本日は7月1日。随分と早いものである。光陰矢の如し。もう新年を迎えてから半年経過した。本当にこんなに経過したんだろうか?
つい先日まで除雪に悩んでいたのに、いつの間にか桜も散ったなあ、野菜もダリアも植えたっけか・・・などなど。
なんか日常生活の一つ一つの印象が薄く、希薄になっているようだ。
幸い、私は毎日生活記録を作っているから、ざっと見直してみて、確実に新年から半年生きていた。
私の日記は大まかな日常の時間的行動記録になっている。
これは過去の嫌な経験、「職務質問」に端を発している。1日ごとのアリバイ証明のためである。大して詳しい内容ではないが、これに加えて、仕事上で残している記録、他の私的な記録、Suicaなどのクレジット記録、メモなどを組み合わせればなんとか立体的なアリバイデータに構築できるだろう。もう2度と職質なんて受けないだろうがこんな記述がクセになった。
私はここ10年以上、世間、人間から離れてのんびり過ごそう、と念じて実行している。最初は嘱託医としての結構仕事を継続していたから一気に切り替えはできなかったが、徐々に勤務時間を減らしてきて今はほぼ満足できるような環境にある。
だから、大きな話題も、奇跡もなく、逸脱も過剰もない淡々とした生活を送っている。
1:00am頃起床する。スキャナーで新聞切り抜き記事、文献などを電子化し名称化する。徒然日記記述すると一段落、iPadで読書する。5:00amネコたちが周りに寄って来る、朝の餌タイムである。その後外に出て花壇畑の世話、散水、収穫をする。その後私の朝食タイム、野菜サラダ中心の食事ですます。6:30am出勤する。水木は午前フリーで読書ほか、草刈りとかまとまった仕事をする。出勤日、ボランティア日は先方の業務に従う。帰宅は19:30、夕食後ネコ達と過ごし、21:00就寝である。休日は自由時間となるが頻回に飯川病院の日当直が当る。こんな生活が淡々と続く。
本人がどう考えていようと結果的には目立たない人生を、平凡な人生を歩んでいる。そのように生きて、いづれ消え去るのだ。それでいい。
現役を引退後、根が出不精で引きこもり状態の私だから、生活記録は動きのない、似たような日々の繰り返しの記録となる。
そんなことを綴った日記は読んでて退屈なものになるのはやむを得ないが、自身の存在の確認のために書くのだからそれでいい。
私の生活記録には1000字くらいのミニエッセイがつく。普段考えていること、読んだ本など、他愛ないことを毎日1項目綴る。
これが意外と重荷になってきている。
1日があまりにも短く、サッと過ぎ去るものだから、記述内容に沿った資料を集め、検討し、まとめるのにうろうろしているうちに、もう次を書くべき時間が迫ってくる。
時間が乏しくなった原因として、とにかく本が読みたい、季節柄外仕事が多いことをあげられるが、加えて、何をするにもペースが落ちてきて一つ一つが時間がかかるようになっている事だろう。そのバロメーターの一つ、急いて歩こうという意欲は無くなったこともあるが、歩行スピードは確実に落ちている。
まあ、いいじゃないか、もう歳だし・・と、気楽な気持ちで行こう。
つい先日まで除雪に悩んでいたのに、いつの間にか桜も散ったなあ、野菜もダリアも植えたっけか・・・などなど。
なんか日常生活の一つ一つの印象が薄く、希薄になっているようだ。
幸い、私は毎日生活記録を作っているから、ざっと見直してみて、確実に新年から半年生きていた。
私の日記は大まかな日常の時間的行動記録になっている。
これは過去の嫌な経験、「職務質問」に端を発している。1日ごとのアリバイ証明のためである。大して詳しい内容ではないが、これに加えて、仕事上で残している記録、他の私的な記録、Suicaなどのクレジット記録、メモなどを組み合わせればなんとか立体的なアリバイデータに構築できるだろう。もう2度と職質なんて受けないだろうがこんな記述がクセになった。
私はここ10年以上、世間、人間から離れてのんびり過ごそう、と念じて実行している。最初は嘱託医としての結構仕事を継続していたから一気に切り替えはできなかったが、徐々に勤務時間を減らしてきて今はほぼ満足できるような環境にある。
だから、大きな話題も、奇跡もなく、逸脱も過剰もない淡々とした生活を送っている。
1:00am頃起床する。スキャナーで新聞切り抜き記事、文献などを電子化し名称化する。徒然日記記述すると一段落、iPadで読書する。5:00amネコたちが周りに寄って来る、朝の餌タイムである。その後外に出て花壇畑の世話、散水、収穫をする。その後私の朝食タイム、野菜サラダ中心の食事ですます。6:30am出勤する。水木は午前フリーで読書ほか、草刈りとかまとまった仕事をする。出勤日、ボランティア日は先方の業務に従う。帰宅は19:30、夕食後ネコ達と過ごし、21:00就寝である。休日は自由時間となるが頻回に飯川病院の日当直が当る。こんな生活が淡々と続く。
本人がどう考えていようと結果的には目立たない人生を、平凡な人生を歩んでいる。そのように生きて、いづれ消え去るのだ。それでいい。
現役を引退後、根が出不精で引きこもり状態の私だから、生活記録は動きのない、似たような日々の繰り返しの記録となる。
そんなことを綴った日記は読んでて退屈なものになるのはやむを得ないが、自身の存在の確認のために書くのだからそれでいい。
私の生活記録には1000字くらいのミニエッセイがつく。普段考えていること、読んだ本など、他愛ないことを毎日1項目綴る。
これが意外と重荷になってきている。
1日があまりにも短く、サッと過ぎ去るものだから、記述内容に沿った資料を集め、検討し、まとめるのにうろうろしているうちに、もう次を書くべき時間が迫ってくる。
時間が乏しくなった原因として、とにかく本が読みたい、季節柄外仕事が多いことをあげられるが、加えて、何をするにもペースが落ちてきて一つ一つが時間がかかるようになっている事だろう。そのバロメーターの一つ、急いて歩こうという意欲は無くなったこともあるが、歩行スピードは確実に落ちている。
まあ、いいじゃないか、もう歳だし・・と、気楽な気持ちで行こう。