福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

「特定健診・特定保健指導」(3)健康観・死生観

2007年09月27日 06時33分14秒 | 医療、医学
 生活習慣病予防のための生活指導は実際には効果は乏しい。職業柄、生活指導は随分熱心に行っているが、大きな成果は期待していない。実際のところほぼ匙を投げている。指導で一番効果的な台詞は「ならば、好きなようにしなさい」である。半ば強迫である。

 最近は業務に準備の隙間を作れないために全てお断りしているが、かつては県内方々の地域住民や企業の依頼で健康に関する講演や講話をしてきた。医師は診察に訪れた患者だけを対象に診断治療をしていてはだめで、疾病予防のための知識啓発は重要だとの視点に立っているからである。

 その際に、私は「健康維持のために、あれも駄目、これも駄目・・」と言う論旨では行わなかった。「一人一人が、自分の行動に責任を持つ事。誘惑の多い現代を健康的に生きるには自制が必要。それが出来ないのであれば、自分は生活習慣病で死ぬのだ、と言う気概を持って自制などせずに堂々と好きなように生き、死ねば良い」と述べてきた。だから、私の演題は「不健康に生きるには」である。

 日本は、恐らく世界的に見て健康維持の面で最も恵まれた国だと思うが、国民の健康不安も世界一だと思う。中年以降の殆どの方は「健康追求病」にかかり、「健康不安神経症」的である。飽食、運動不足で身体は悲鳴を上げているのは確かだが、生活を変えることそっちのけで医療機関を受診し、検査を求め、数値に一喜一憂し、投薬を求める。

 こんな方々は受診前にしなければならないことが多々あるが、一方では医療機関もこのような患者をも診療対象にしなければやっていけないという苦しい事情もあって互いの思惑は一致し、双方で手を取り合って医療経済をダメにしている。私はこのような患者への対応で連日疲弊している。これも地域への貢献の一つさ、と割り切り、空しく笑うしかない。

 総じて言えば、都市部の高齢者は生き生き、コロコロで遊び歩くのも積極的である。「まだ死にたくない」、というが、意外と心血管系の疾患でコロッと死ぬ。一方、田舎の爺ちゃん婆ちゃん方は質素で謙虚、「もう何時死んでも良いです・・」と淡々と言いつつ畑作業を楽しみながら、徐々に枯れて行く。それでてなかなか死なない。

 私に言わせれば、どちらも完成品、良い人生なのだ。「特定健診・特定保健指導」の成果や如何に。
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