福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

頭を下げた瞬間、多数のシャッター(1)「現代版さらし首」だ

2007年09月23日 08時13分08秒 | コラム、エッセイ
 最近、ちょっとしたことで記者会見が行われるようになってきた。中にはこんな程度の話題まで会見するのか、と思う内容のものまである。特に、会社や企業、組織体に何らかの落ち度、失敗がある際に会見を開くのは当たり前になっているようである。

 勿論、トップクラスのメンバーによる公式見解の発表と公開の意義は決して小さくない。ただ、内容によっては文書の公開でも良いようなものまである。記者会見の多くは、恐らく当事者から前向きに計画されたものではなくマスコミからの強い申し出、あるいはマスコミ各社からのさみだれ的取材申し出に対して対応上やむなく行われているようである。

 先日、夕食時にニュース番組を観るともなく流していたらこのような場面が二つ続いた。一つは自殺者が出た高校の校長の記者会見、もう一つは「悪天候のため・・」と書くべき文書を「悪天皇のため・・」と記載して配布した何処かの県、秋田?だったように思うが、の関係者であった。後者に関しては大戦前の日本ならまだしも今なら、そこには全く悪意のない単純なワープロミスであり、チェックに問題があった事は問題であるとしても、会見など開く必要はないだろう。

 気になったのは、説明しているときにはそれほど動きのない、真面目に聞いているのか分からない様に見えるマスコミ席の方々が、関係者が頭を下げ陳謝する場面になると突然動きだし、一斉にシャッターを切る、という事であった。

 マア、マスコミの方々には通じないだろうが、記者会見等で必要なことは如何に会見の内容を正確に報道することであって、頭を下げる瞬間を報道することの意義はそれほど大きくないはずである。残念だったのはその日のニュースの構成は内容よりも頭を下げる瞬間を報道することに主目的があるような構成であった。
 ここまで来れば、報道と言うより「現代版さらし首」でしかない。
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