引き続き、諸藩の磁器の生産について、述べます。
4) 会津本郷焼(あいづ、ほんごうやき)(福島県)
会津本郷は、陶器と磁器が共存する、東北地方で最古の歴史を誇る窯場です。
1593年に、領主である蒲生氏郷が、播磨国(兵庫)から、瓦工を呼んで、鶴ヶ城の屋根瓦を
製造させたのが、本郷焼の、始まりです。
・ 17世紀中頃に、瀬戸から陶工、水野源左衛門が招かれ、本格的に、焼き物の基礎が築かれます。
その後、1645年 に、会津藩主、松平保科正之が、長沼(福島県岩瀬郡長沼町)から、
瀬戸生まれの陶工を、召し抱えて、本格的な陶器の製造が、開始されました。
・ 有田の、磁器の製造技術は、加賀(石川、九谷焼)、京都(京焼)、伊予(愛媛、砥部焼)など、
各地に伝えられました。
① 会津藩にも、1800年に、有田や京都で学んだ、佐藤伊兵衛が、磁器の製法を伝え、
白磁が焼かれます。
幕末には、大いに発展し、現在の会津本郷焼の、原型が完成します。
(地元の豊富な原料を用いた、会津本郷の焼物は、約350年の月日を経て、瓦から、
日用使いの器へと形を変え、現在17軒の窯元に支えられています。)
② 現在、宗像窯以外の、16の窯元では、磁器が中心に焼かれています。白磁染付、色絵など、
窯元ごとに、独自の作風を打ち出し、「会津本郷の磁器と言えばこれ」という様な
特徴的な物は、ありませんが、どれも華やかで、賑やかです。
③ 昔と違って、分業で行っていた作業も、今はすべての工程を、一人の職人が行っています。
会津本郷焼は、日常品であるため、使いやすさ、丈夫さ、軽さを第一に、作っています。
④ 会津本郷焼で使われる釉薬に、「飴釉」(あめゆ)があります。
飴釉は、文字通り飴色で、光沢を持ち、この釉を使った、代表的な陶器が、「鰊鉢」(にしんばち)
で、古くから鰊の、山椒漬けに、使われてきたました。
5) 砥部焼 (とべやき)(愛媛県伊予郡砥部町)
① 砥部焼は、1730年頃から、作られている焼き物で、藩の財政再建のため、
砥石(といし)の屑(くず)から、磁器を作った事が、始まりと言われています。
・ 1777年に、九州の波佐見や、三川内などの技術を、取り入れて、染付の磁器の焼成に、
成功しました。後の1818年には川登で、良質な陶石が発見され、量産化が進められました。
② 現在の砥部焼
明治以降、第二次世界大戦以前の砥部焼では、さらに良質な陶石が、発見され、
近代窯業の技術や、設備が導入され、良質の磁器が、大量生産されるようになりました。
作品は、染付や呉須で描かれた、大花瓶や錦絵磁器、などがあります。
1976年に、経済産業省から、伝統的工芸品の指定を受け、2005年(平成17年)に、
愛媛県の無形文化財に、指定されました。
6) 出石焼 (兵庫県出石郡出石町)
出石焼は、18世紀中ごろに、始まります。
日本で、唯一「純白」の素地を生産する、磁器の産地でもあります。
伝統的に、彫刻を施した磁器製品が多いです。
「かきたに陶石」を使い、轆轤造りで、彫り、透かし彫り、絵付けの技法で、 飲食器、 花瓶 、
工芸品 、茶器、 茶道具などを、作っています。
7) 天草陶磁器
熊本県本渡市、天草郡大矢野町、五和町、苓北町、天草などが、生産地です。
① 天草では、江戸初期~中期より、村民達により、陶磁器が焼かれていました。
② 天草陶石と言う、優れた陶石が、産出されており、全国の陶業地に、送り出されています。
天草陶石は、カオリンをより多く含み、鉄分が少ないので、有田の 泉山の磁石より、
製品化する際に有利で、現在では、泉山陶石が、枯渇した為もあり、有田でも 天草陶石が、
大量に使われています。
③ 1673年以前から、磁器が焼かれ、陶器は1765年に水の平(現在本渡市)に、水の平焼が
創業されました。日用品が、主に焼かれています。
透明感のある純白の磁器や、黒釉を使った、個性的な製品が多いです。
以下次回に続きます。
会津本郷焼 砥部焼
4) 会津本郷焼(あいづ、ほんごうやき)(福島県)
会津本郷は、陶器と磁器が共存する、東北地方で最古の歴史を誇る窯場です。
1593年に、領主である蒲生氏郷が、播磨国(兵庫)から、瓦工を呼んで、鶴ヶ城の屋根瓦を
製造させたのが、本郷焼の、始まりです。
・ 17世紀中頃に、瀬戸から陶工、水野源左衛門が招かれ、本格的に、焼き物の基礎が築かれます。
その後、1645年 に、会津藩主、松平保科正之が、長沼(福島県岩瀬郡長沼町)から、
瀬戸生まれの陶工を、召し抱えて、本格的な陶器の製造が、開始されました。
・ 有田の、磁器の製造技術は、加賀(石川、九谷焼)、京都(京焼)、伊予(愛媛、砥部焼)など、
各地に伝えられました。
① 会津藩にも、1800年に、有田や京都で学んだ、佐藤伊兵衛が、磁器の製法を伝え、
白磁が焼かれます。
幕末には、大いに発展し、現在の会津本郷焼の、原型が完成します。
(地元の豊富な原料を用いた、会津本郷の焼物は、約350年の月日を経て、瓦から、
日用使いの器へと形を変え、現在17軒の窯元に支えられています。)
② 現在、宗像窯以外の、16の窯元では、磁器が中心に焼かれています。白磁染付、色絵など、
窯元ごとに、独自の作風を打ち出し、「会津本郷の磁器と言えばこれ」という様な
特徴的な物は、ありませんが、どれも華やかで、賑やかです。
③ 昔と違って、分業で行っていた作業も、今はすべての工程を、一人の職人が行っています。
会津本郷焼は、日常品であるため、使いやすさ、丈夫さ、軽さを第一に、作っています。
④ 会津本郷焼で使われる釉薬に、「飴釉」(あめゆ)があります。
飴釉は、文字通り飴色で、光沢を持ち、この釉を使った、代表的な陶器が、「鰊鉢」(にしんばち)
で、古くから鰊の、山椒漬けに、使われてきたました。
5) 砥部焼 (とべやき)(愛媛県伊予郡砥部町)
① 砥部焼は、1730年頃から、作られている焼き物で、藩の財政再建のため、
砥石(といし)の屑(くず)から、磁器を作った事が、始まりと言われています。
・ 1777年に、九州の波佐見や、三川内などの技術を、取り入れて、染付の磁器の焼成に、
成功しました。後の1818年には川登で、良質な陶石が発見され、量産化が進められました。
② 現在の砥部焼
明治以降、第二次世界大戦以前の砥部焼では、さらに良質な陶石が、発見され、
近代窯業の技術や、設備が導入され、良質の磁器が、大量生産されるようになりました。
作品は、染付や呉須で描かれた、大花瓶や錦絵磁器、などがあります。
1976年に、経済産業省から、伝統的工芸品の指定を受け、2005年(平成17年)に、
愛媛県の無形文化財に、指定されました。
6) 出石焼 (兵庫県出石郡出石町)
出石焼は、18世紀中ごろに、始まります。
日本で、唯一「純白」の素地を生産する、磁器の産地でもあります。
伝統的に、彫刻を施した磁器製品が多いです。
「かきたに陶石」を使い、轆轤造りで、彫り、透かし彫り、絵付けの技法で、 飲食器、 花瓶 、
工芸品 、茶器、 茶道具などを、作っています。
7) 天草陶磁器
熊本県本渡市、天草郡大矢野町、五和町、苓北町、天草などが、生産地です。
① 天草では、江戸初期~中期より、村民達により、陶磁器が焼かれていました。
② 天草陶石と言う、優れた陶石が、産出されており、全国の陶業地に、送り出されています。
天草陶石は、カオリンをより多く含み、鉄分が少ないので、有田の 泉山の磁石より、
製品化する際に有利で、現在では、泉山陶石が、枯渇した為もあり、有田でも 天草陶石が、
大量に使われています。
③ 1673年以前から、磁器が焼かれ、陶器は1765年に水の平(現在本渡市)に、水の平焼が
創業されました。日用品が、主に焼かれています。
透明感のある純白の磁器や、黒釉を使った、個性的な製品が多いです。
以下次回に続きます。
会津本郷焼 砥部焼