わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

茶の話26(商人の茶の湯2)

2011-12-03 22:19:26 | お茶と「茶の湯」と茶道具(茶陶)
江戸も元禄頃に成ると、世の中が安定して来ます。五代将軍綱吉の頃で、日光東照宮の修理や上野寛永寺の

根本中堂の造営などの土木工事が行われ、世の中は好景気に湧きます。

1) 冬木屋が豪商に成る切っ掛けは、明暦の大火でした。

  この好景気の波に乗り、紀伊国屋文左衛門や、奈良屋茂左衛門などの豪商が現れます。

  その中に、材木商の冬木屋があります。明暦の大火の際、機敏に行動し、飛騨の山林を買い漁り、

  大火後の建築ブームに乗って、莫大の利益をあげます。冬木屋二代政親の時代の事です。

   注: 明暦の大火(1657年3月2~4日)とは、当時の江戸の大半を焼失する大火災でした。

    振袖火事とも呼ばれています。死者は3万~10万人とも言われています。

    この時、江戸城本丸も焼失してしまいました。

   その後も蓄財を重ね、三代目弥平次の頃、最盛期を向かえ、深川に土地を買って移転してます。

2) 天下の名品の茶道具を買い集める。

   紀伊国屋や奈良屋の様に、吉原などで豪遊をせずに、茶の湯の嗜み(たしなみ)を身に付け、

   代々名品を次々に買い求めます。茶は表千家五代の随流斎(ずいりゅうさい)に師事しています。

  ① 「油屋肩衝」を豪商河村瑞賢(ずいけん)より、「千八百両」で買取ます。

  ② 利休作の「園城寺(おんじょうじ)花入」を、京の茶人家原自仙(いえはらじせん)より、

    「千両」で買い求めます。

  ③ 特筆すべき事は、冬木屋の分家の小平次の蔵で、利休の「辞世」の遺偈(ゆいげ)と和歌を

    発見した事です。この辞世は、利休が切腹前に、したためた物で、娘婿の小庵に与えられますが、

    その子の宗旦の時、堺の商人万代屋宗完(もずくやそうかん)に、貸し出され以後行方不明に

    成っていた物です。発見者は川上不白(ふはく、後で取り上げます。)でした。

  その他にも、尾形光琳(こうりん)に金銭的援助を行うと伴に、各種文化面に多大の援助を行います。

  現在東京国立博物館に所蔵している、秋草の「小袖」は、光琳が恩義に報いる為、冬木家に

  送った物です。

3) 冬木屋の没落

  四代目郡高(くにたか)の時、幕府に法外の高値で販売したとして、「三十万両」の返還を

  要求されます。 その為、次第に家運は傾いて行きます。

  六代、七代目と成ると、暮らしに困り次々に茶道具を、手放して行きます。

 以下次回に続きます。

 参考文献: 茶の湯事件簿 火坂雅志著 (株)淡交社
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