5) 必ずしも多くの技術(技法)は必要有りません。
① 目的が同じの場合、その目的を達成する方法や手段は多く存在するのが一般的です。
だからと言って、それらの方法や手段を、全て身に付ける必要は無いのは当然の事です。
例えば、制陶する前に土を練るのは、必要不可欠で基本的な事です。
この場合、土の硬さを均一にする。土の中の空気を抜く事が主目的になります。
その為に、手で菊練をするのが普通ですが、その他に足の踵(かかと)を使う方法や、土練機を
使う方法などがあります。気泡を抜く真空土練機が理想ですが、一般の土練機の場合には、
菊練を行う事になります。
又、数十回ランダムに糸で切る方法や、土を床や机に叩き付ける方法など色々あります。
② 一般的な手を使っての菊練でも、右手を使い土を右回転方向に移動する方法と、左手を使い
左回転で練る方法があります。又一度練って丸めた土を、天地を逆にして再度練る方法も
有ります。どちらが良くどちらが悪いと言う問題では有りません。但しその方法を採用して
いるのには、それぞれ言い分があると思われます。
③ 練った土を轆轤(ろくろ)上に据える場合にも、そのまま据える人と、天地を逆にして据える
人もいます。 練りの回転方向と、轆轤の回転方向を考慮(同回転、逆回転)して決めて
いる様です。
④ 轆轤は作品を早く綺麗に作る道具です。
轆轤に付いても、好みに応じて電動轆轤、蹴り轆轤、昔の回し棒を使う手轆轤など多様です。
同様に轆轤の回転方向も右回転(時計回り)と左回転(反時計回り)があり、両方を使い
分けている人もいれば、一方向で全てを済ませる人もいます。
当然、両手の指の使い方に差が出ます。更に、手や指の使い方は人によって千差万別です。
それ故、先生又は最初になら習った方法で、専念すべきと考えます。
以上の様に、目的を達成するには幾つかの方法が存在します。だからと言って全てを見に付ける
必要はありませんし、各々の方法の間には、厳密には違いが有るのでしょうが、お互いに大きな
違いはないと思われます。多くを知る事はベテランでは無い限り、混乱(混同)の元になります。
6) 蕎麦打ちを趣味にしている方が、菊練の仕方を蕎麦を練る様にして練っているのを見かけます
本来別の目的と思われる行為を、同じ物と勘違いしたのも「自己流」と言えます。
「自己流」と本人が自覚している場合には、さほど問題も無いのですが、「自己流」とは
認識しないで行っている場合も多いです。注意してくれる人がいれば、「自己流」である事が
解かるのですが・・、自分のしている行為を他の人と見比べたり、たまには見つめ直すのも
「自己流」を発見する手段になります。
前回にも言いましたが、必ずしも「自己流」は悪い訳ではありません。
7) STAP問題では、実験ノートの有無が重要な証拠として議論されています。
同様な事が陶芸にも言えます。几帳面な方はノートを所持し作品名、使用粘土の種類、作品の
形と大きさ、釉の種類などが書き込まれています。そこから何時どの様な作品を作ったかを
知る事ができます。ノートは自分自身が知れば良い事ですので、公にする必要はありませんが、
後々大変役に立つ資料に成ります。
8) 陶芸の範囲は、土作りから制作、装飾、絵付け、釉の調整、施釉の仕方、焼成方法などと
非常に広く、これらを一人で行う事が多いです。即ち分業の部分が少ないです。
それ故、あれもこれもと手を広げ過ぎると、混乱が起こり自分が一番したい事がおろそかに
成ってしまい勝ちに成り易いので、十分注意が必要です。
以上せ、「自己流と陶芸」の話を終わります。
次回より、「焼き物の着物」の話に戻ります。
① 目的が同じの場合、その目的を達成する方法や手段は多く存在するのが一般的です。
だからと言って、それらの方法や手段を、全て身に付ける必要は無いのは当然の事です。
例えば、制陶する前に土を練るのは、必要不可欠で基本的な事です。
この場合、土の硬さを均一にする。土の中の空気を抜く事が主目的になります。
その為に、手で菊練をするのが普通ですが、その他に足の踵(かかと)を使う方法や、土練機を
使う方法などがあります。気泡を抜く真空土練機が理想ですが、一般の土練機の場合には、
菊練を行う事になります。
又、数十回ランダムに糸で切る方法や、土を床や机に叩き付ける方法など色々あります。
② 一般的な手を使っての菊練でも、右手を使い土を右回転方向に移動する方法と、左手を使い
左回転で練る方法があります。又一度練って丸めた土を、天地を逆にして再度練る方法も
有ります。どちらが良くどちらが悪いと言う問題では有りません。但しその方法を採用して
いるのには、それぞれ言い分があると思われます。
③ 練った土を轆轤(ろくろ)上に据える場合にも、そのまま据える人と、天地を逆にして据える
人もいます。 練りの回転方向と、轆轤の回転方向を考慮(同回転、逆回転)して決めて
いる様です。
④ 轆轤は作品を早く綺麗に作る道具です。
轆轤に付いても、好みに応じて電動轆轤、蹴り轆轤、昔の回し棒を使う手轆轤など多様です。
同様に轆轤の回転方向も右回転(時計回り)と左回転(反時計回り)があり、両方を使い
分けている人もいれば、一方向で全てを済ませる人もいます。
当然、両手の指の使い方に差が出ます。更に、手や指の使い方は人によって千差万別です。
それ故、先生又は最初になら習った方法で、専念すべきと考えます。
以上の様に、目的を達成するには幾つかの方法が存在します。だからと言って全てを見に付ける
必要はありませんし、各々の方法の間には、厳密には違いが有るのでしょうが、お互いに大きな
違いはないと思われます。多くを知る事はベテランでは無い限り、混乱(混同)の元になります。
6) 蕎麦打ちを趣味にしている方が、菊練の仕方を蕎麦を練る様にして練っているのを見かけます
本来別の目的と思われる行為を、同じ物と勘違いしたのも「自己流」と言えます。
「自己流」と本人が自覚している場合には、さほど問題も無いのですが、「自己流」とは
認識しないで行っている場合も多いです。注意してくれる人がいれば、「自己流」である事が
解かるのですが・・、自分のしている行為を他の人と見比べたり、たまには見つめ直すのも
「自己流」を発見する手段になります。
前回にも言いましたが、必ずしも「自己流」は悪い訳ではありません。
7) STAP問題では、実験ノートの有無が重要な証拠として議論されています。
同様な事が陶芸にも言えます。几帳面な方はノートを所持し作品名、使用粘土の種類、作品の
形と大きさ、釉の種類などが書き込まれています。そこから何時どの様な作品を作ったかを
知る事ができます。ノートは自分自身が知れば良い事ですので、公にする必要はありませんが、
後々大変役に立つ資料に成ります。
8) 陶芸の範囲は、土作りから制作、装飾、絵付け、釉の調整、施釉の仕方、焼成方法などと
非常に広く、これらを一人で行う事が多いです。即ち分業の部分が少ないです。
それ故、あれもこれもと手を広げ過ぎると、混乱が起こり自分が一番したい事がおろそかに
成ってしまい勝ちに成り易いので、十分注意が必要です。
以上せ、「自己流と陶芸」の話を終わります。
次回より、「焼き物の着物」の話に戻ります。
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