わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

現代陶芸174(大上昇1)

2012-08-24 22:19:16 | 現代陶芸と工芸家達
日本六古窯の一つ、兵庫県立杭の丹波焼を代表する作家に大上昇氏がいます。
 
丹波焼の発祥は、鎌倉時代と言われ、鎌倉から桃山時代にかけては、窖窯を使い紐造による壷、
 
甕(かめ)鉢等に、自然釉(灰が熔けたもの)が掛かった作品を作っていました。

 江戸時代より「鉄砲窯」や「蛇窯」が使われ、轆轤成形と変化し、釉も使用され生活雑貨品を大量に
 
 作る様になります。
 
  注: 鉄砲窯とは、横幅約2m、高さ約80cm、 長さ60m程で、煙突は無く、最奥の部屋に蜂の巣
 
     状の穴が開き、煙を逃がしています。
 
 現存する窯は、「日本では、立杭以外には無く、古い様式の窯」で、山麓の斜面を利用して
 
 築かれています。先年、無形文化財に指定され、丹波焼も伝統工芸品の指定を受けています。
 
1) 大上昇(おおがみ のぼる): 1929年(昭和4)~ 平成 ?年(没年不明)
 
  ① 経歴
 
   1929年 兵庫県丹波上立杭にある大熊製陶所に生まれます。
 
   1951年 関西学院大学を卒業し、生家で陶業に入ります。
 
   1966年  日展に初入選を果たし、作品は外務省のお買い上げになります。
 
   1968年 自宅の庭に登窯を築き、「昇陽窯」(しょうようがま)と名付けます。
 
   1970年 日本伝統工芸展に入選します。
 
   1972年 大阪、松坂屋で、個展を開催し、「灰釉手桶水指」が高松宮お買上となります。
 
   1973年 日本陶芸展に入選し、南米巡回展出品となります。
 
   1983年 日本伝統工芸士に認定されます。
 
2) 丹波焼きに付いて。
 
  ① 丹波焼きの復興
 
    明治に入り丹波焼きも、ご他聞に漏れず窯場も衰退して行きます。
 
    当時の窯は共同窯(連中窯と言う)で、5~6軒の窯元が共同で使う長さ40~50mの薪窯
 
    でした。しかし一軒一軒と廃業する窯元が出てきます。
 
    1952年に柳宋悦、濱田庄司、河合寛次郎、バーナードリーチなどの民藝家が丹波を訪れ、
 
    指導を受けてから復興の兆しが芽生え、民藝陶器が主流になり、丹波焼も発展して行きます。
 
  ② 共同窯から個人窯へ
 
    丹波焼きが盛況になるに従い、何かと不便な共同窯より、個人が窯を所有する様になります。
 
    大上氏も「鉄砲窯」の上部を切り煙突を立て、二部屋の「登窯」に改良します。
 
    尚、現在の昇陽窯の工房(兵庫県篠山市今田町)には、登窯が3、窖窯が1、ガス窯2窯を 
 
    使って作品を作っています。
 
3) 大上昇氏の陶芸
 
以下次回に続きます。
 
コメント
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