2) 十二代 三輪休雪(龍作) : 1940年(昭和15) ~
① 経歴
) 十一代三輪休雪(壽雪)の長男として、山口県萩市に生まれます。
1959年 画家を志望して絵画制作を始めます。
1967年 東京藝術大学大学院陶芸専攻を修了後、処女作「花子の優雅な生活
(ハイヒール)を卒業制作します。
1974年 山口県萩市椿東上野に築窯し、同年 山口県芸術文化振興奨励賞を受賞します。
1977年 ファエンツァ国際陶芸展でゴールドメダルを受賞します。
1979年 国際陶芸アカデミーの会員となりました。
この頃から初期の赤や青等の原色釉を用いたオブジェから、脱却していきます。
1980年頃より茶陶制作を開始します。
1981年 個展「初咲展」(日本橋三越本店)で茶陶を発表して伝統回帰を示唆しますが、
翌年には一転して、個展「黒の風景展」(日本橋三越本店)で新境地のオブジェを発表します。
その後、藁灰釉の白と見島土の黒とのコントラストを基調とした作品が続きます。
1988年 個展「新愛液展」(ギャラリー彩陶庵)で生の土による巨大な作品を制作し、同年の個展
「卑弥呼展」(高島屋、東京、京都、大阪)では金彩作品を発表しています。
卑弥呼はシリーズ化され、「卑弥呼山」(東京、京王百貨店)、「卑弥呼の書」と制作し、この
シリーズから作品の大形化が顕著となります。
1989年 日本陶磁協会賞を受賞します。
1992年 黒陶による「卑弥呼の書」(有楽町、西武)を発表して、このシリーズに区切りを付けると、
やがて黒陶に色彩を加えた技法「黒陶彩」を発表します。
1993年 萩陶芸家協会を設立し、初代会長となりました。
2000年 還暦を迎えて白釉による「龍氣碗」と名付けた茶陶を発表します。
2003年 12代三輪休雪を襲名します。襲名記念の個展「現代陶芸の華」を、茨城県陶芸美術館
で開催します。
2007年 中国山東省・日本山口県友好関係締結25周年事業として、山東省博物館で大規模な
回顧展が開催されます。 茶陶は豪快で重厚感のあるどっしりとした造りで、茶の湯の常識や
類型を超えた機能性に囚われない、オブジェとしての輝きを秘めています。
活躍の場は、日本橋三越本店、名古屋松坂屋美術館、岡山天満屋、山口県立萩美術館、
新宿京王百貨店など多数の場所で、個展を開催しています。
3) 三輪栄造(みわ えいぞう): 1946年(昭和21)~1999年(平成11)
十一代三輪休雪(壽雪)の次男として、山口県萩市に生まれます。
1970年 武蔵野美術大学彫刻科を卒業後、伯父の三輪休和の養子となります。
1978年 日本工芸会山口支部展で朝日新聞社賞を受賞します。
1983年 日本工芸会正会員となります。
1986年 田部美術館「茶の湯の造形展」で大賞を受賞します。
1990年 山口県警察本部の陶壁を制作し、萩焼の伝統的な茶陶を踏襲する一方で、 卓越した
造形力を駆使して新しい萩焼の可能性を追及しています。
「男のネック」、「雪月花」等のシリーズでは自由で幅広い活動を展開しました。
4) 三輪和彦(みわ かずひこ): 1951年(昭和26) ~
和彦氏は伝統工芸の道(茶陶)を歩まずに、陶の限界に挑戦するかの様な、「大きな」作品を
発表し、茶陶とは別の作域を広げていきます。
十一代三輪休雪(壽雪)の三男として、山口県に生まれます。
1975年 アメリカに留学し、サンフランシスコ・アート・インスティテュートで学びます。
1981年 帰国して三輪窯で個展を中心とする制作活動に入ります。
1984年 現代の陶芸II「今、大きなやきものに何が見えるか」(山口県立美術館)。
1987年 個展「恒久破壊」(銀座、ギャラリー上田)。
2000年 個展「三輪和彦の茶室・黎─REI─」(山口県立萩美術館・浦上記念館)。
2005年 第3回 京畿道 世界陶磁ビエンナーレ「横断する陶磁芸術の世界」(韓国)。
2006年ceramic NOW+(兵庫陶芸美術館)。
「白い夢」(1991年日本橋三越)を中心とした轆轤を使って土を立ち上げていく作品と、
「デッド・エンド」(1984年)や「夢想の地」のように素材を限界まで問い詰めた作品に大別されます。
「夢想の地」(1989年): 約1トンの土をピラミッド状あるいは角状に整形し、乾燥により生じた
ひび割れの塊に、金や銀の釉薬を施して仕上げられています。
次回(坂田泥華)に続きます。