わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

現代陶芸107(永楽善五郎)

2012-05-03 22:32:56 | 現代陶芸と工芸家達

永楽家は、元々千家流茶道の「千家十職」の一つの「風炉師」(土製の風炉を造る職人)であったが、

文化文政時代(1804~1829年)の十一代保全(1795年~1854年)の代に、染付や色絵、交址(こうち)

写しの茶道具を作る様に成ります。

  注: 千家十職とは、千家流(表、裏、武者小路千家)の家元の使う茶道具を造る職人(職方)の事で

   「楽茶碗師」・「塗師」・「竹細工茶杓師」・「表具師」・「金物師」・「指物師」・「袋師」・「一閑張師」・

   「釜師」・「風炉師」を言います。

1)  十六代永楽 善五郎(えいらく ぜんごとう)(永楽茂一): 1917年(大正6) ~ 1998年(平成10)

  ① 経歴

   ) 京都東山の十五代永楽正全の長男として生まれます。

      1930年 京都市立美術工芸学校図案科に入学します。

      1932年 父正全が他界します。翌年家業を継ぐ為、休学します。

      1934年 十六代目善五郎を襲名します。同年三井高棟より陶用銀印を拝受します。

        三井高棟: 三井財閥の総帥で弟十代の当主(1857~1948年)。

      1936年 三井高棟の大磯城山荘内に、城山窯を築きます。(しばらくの間京都と城山間を行き来

       します。

      1939年 本名を永楽善五郎と改名します。

      1955年頃より 大阪、京都、東京など各地で個展を開催し、作品の発表の場を広げ始めます。

 ②  永楽善五郎の陶芸

    永楽代々の生業は、千家を中心とする茶道具類であり、京色絵の完成者の仁清の茶陶や、

    江戸時代の茶陶として人気を博した古染付、祥瑞、古赤絵、交址などの装飾を倣いながら

    独自の色絵と・銹絵(さびえ)・の世界を切り開いています。

    ・ 善五郎の造る茶陶は、利休の求める「侘び、さび」とは対極にある華美に富んでいます。

      その為、茶会にはそぐわないと思っている茶人も多い事も、事実の様です。

   ) 色絵: 上絵付けの技法で、五彩、赤絵、錦 手、染錦手、十錦手などを総括して言います。

     「色絵春・秋水指」(1939)、「色絵木瓜形宝づくし水指」(高17.7 X 径19.6cm、1969年)

     「色絵紅葉茶壺」」(高26.9X 径25.2、1982年)、「色絵唐松茶碗」」(高8.1 X 径13.8 ・高台形4.5cm、

     1980年)、「色絵菱香合」(高1.2 X 径9.7cm、1975年)などがあります。

   ) 交址焼き(こうちやき): 本来は15世紀頃中国で焼かれ、わが国に伝えられた色絵の磁器

     ですが、永楽家で「交址焼き」と呼ぶのは、永楽保全によって創作された焼き物です。

     技法としては、明代の中国で焼成された「法花(ほっか)」(浮き模様の事)を工夫再現したものだ

     そうです。保全以来、永楽家のお家芸として現在に伝えられています。

     「紫交址網魚水指」」(高20.8X 径18、cm19766年)、「交址若松食籠」」(高13.9 X 径20.8、

     1980年)、「交址開扇香合」」(高2.28X 径8.3、1975年)などの作品があります。

  ) 金襴手: 明代の嘉靖年間(1522~1566)に景徳鎮窯で焼成され、江戸時代に大いに

     持てはやされる様になった焼き物です。有田や伊万里などの他、幕末には京都でも作られる様に

     なります。特に青木木米、永楽保全らの金襴手は優れ、本歌の写しばかりではなく、各自の創意が

     見受けられます。作品としては「金襴手梅ノ絵手桶水指」」(高26.7 X 径25.5、1961年)、

     「金襴手八角鉢」」(高13.8 X 径25.8cm、19753年)などの作品があります。

2)  十七代永楽 善五郎: 1944年(昭和19) ~

   十六代の長男として京都に生まれます。名を紘一といいます。

   1968年、東京芸大大学院工芸科を修了します。

   1998(平成10)年、十七代永楽善五郎を襲名します。

次回(楽吉左衛門)に続きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする