ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

わたしたちは、今回の選挙で、落選するべき議員たちを、必ず落選させなければならない!

2016年03月29日 | 日本とわたし
この人、松島氏は、朝日新聞記者を経て、自民党の候補者公募に応じ、2000年の衆院選で初当選。
2014年に、法務大臣として初入閣しましたが、自身のイラストや名前が入ったうちわを選挙区内で配っていたことが、寄付行為にあたると国会で追及され、2カ月たらずで辞任しました。


その後も、議員宿舎の一件でまたまた違反して、今に至るもこのありさま。








国会って何なん?
議員って何なん?
選挙の時だけガアガアと、皆さまのために頑張りますとがなり散らしといて、当選したらこの有様。
この国会を開くのに、いったいどれだけの税金が使われてるのか知ってますか?

国会を開くと、1日3億円使われています。
国会議員にかかる人件費や経費、秘書給与などを合わせて、議員1人当たり1日20万円、
衆参750人分で、1日1億5000万などです。
他の経費を含めると、3億円になります。

で、その国会で眠りこける怠慢議員たち。










こんな連中を養うために、税金払わされてるのって、すっごくムカつきませんか?







ほんでもってこのおっさん、ワイロを受け取っていた甘利前経再相。
睡眠障害とやらで3ヶ月も入院してる割には、選挙対策のためにバリバリ体を鍛えてるらしいですが、
なんで捜査も事情聴取もできないままでダラダラ日が経ってるんですか?
睡眠の妨げにならんように、お昼にでも病院に行って、事情を聴取するのが、検察の仕事なんじゃないですか?




検察といえばこの男、白昼堂々の“暴力沙汰”を起こした自民党参院議員、山田俊男はその後どうなったんでしょう?



自民党参院議員が白昼堂々の“暴力沙汰” JA関係者を殴る
【日刊ゲンダイ】2016年3月25日
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/177926/2
2016年3月25日
 
自民党議員が、公衆の面前で、まさかの暴力沙汰だ。

今月18日に開かれた、自民党の「農林水産業骨太方針策定プロジェクトチーム」で、
山田俊男参院議員(69)が、JA関係者にブチ切れ、暴力を振るったというのだ。

この日は、午前10時から、党本部で会合が開かれ、加工品の原料原産地表示について、
“生産者”、“事業者”、“消費者”の各団体代表が、それぞれの立場で意見を表明。
表示の必要性を唱える生産者、消費者側の意見が、大勢を占めた。

ところが、会合の途中から現れた山田議員は、後半の質疑応答の際、
「原産地表示義務がなくても弊害はない」と、生産者や消費者側とは真逆の意見をぶち上げた
という。

暴力事件が起きたのは、会合が終わった後だったという。
会合に出席したメディア関係者は、こう言う。

「会合終了後、生産者側の立場にいるJA関係者が、山田さんに直接意見を言うと、
山田さんは、
『おまえは何を言ってるんだ!』と激高。
『ぶん殴るぞ!』と詰め寄っていました。

JA関係者が、
『殴りたければどうぞ』と言った瞬間、みぞおちあたりに、相当な力で、2、3発拳を入れた

JA関係者がひるんだと見るや、何も言わずに去っていった。
周囲にはマスコミ関係者を含め、十数人残っていましたから、騒然としました」

それにしても、現職の国会議員が、白昼堂々と暴力を振るうとは、前代未聞だ。
山田議員は1969年、JA全中に入会。
99年に、専務理事に就任している。
07年に、比例区から出馬し初当選。
現在2期目
だ。
農林水産関係団体委員会副委員長などを経て、現在は、参院農水委の理事を務めている農政の専門家だ。
しかし、農業関係者からは、
「TPP反対と言いながら、実績を残していない」
「生産者の立場に立っていない」と、悪評が飛び交っている。


事の真偽はどうなのか。
殴られた被害者に電話で話を聞くと、こんな答えが返ってきた。

山田さんの暴力は事実です。
医者にかかると、全治1週間の打撲傷とのことで、診断書も手元にあります。
18日以降、何度かメールでやりとりしましたが、謝罪の言葉はありません。
法的手段に訴えることも検討しています


山田事務所に問い合わせると、
「議員本人が忙しく、23日中に事実関係を確認するのは難しい」と、否定も肯定もしなかった。

 
不透明な政治資金関連の疑惑で、東京地検特捜部が関係先の家宅捜索に入る前に、PCのハードディスクをドリルで破壊した小渕優子・前経済産業相や、
ずっと以前のこととはいえ、女性宅に押し入って下着を盗んだパンツ高木は、なんと今も現役の復興相?!



醜聞続々…高木復興相は「下着ドロの過去」報道に逃げの一手
【日刊ゲンダイ】2015年10月16日
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/166341/2

日刊ゲンダイ既報の通り、安倍改造内閣で、閣僚の醜聞が次々と発覚している。
中でも見過ごせないのが、15日発売(2015年)の週刊新潮や文春が一斉に報じた、高木毅復興相(59)の下着ドロだ。
こんなハレンチ大臣、前代未聞だ。

高木大臣は、30年ほど前に、地元・敦賀市内の住居に上がり込み、タンスを物色し下着を盗んだ。
被害女性の知人が通報したことで、発覚した。
週刊誌が報じた内容がこれだが、実は、組閣直後から、怪文書が出回り、本紙も、高木大臣の事務所に、真偽を問い合わせた。
地元事務所は「分からない」の一点張りだったが、週刊誌報道などによると、
高木大臣は、事前に作った合鍵で侵入したというから、まるでストーカーではないか。

「“余罪”はまだあります」と言うのは、さる地元関係者だ。

「父親の孝一さんが、5期目をかけて戦った95年の市長選の時、〈高木毅は下着ドロ〉といった怪文書が出回りました
この怪文書については、地元で知らない人はいないほど知れ渡っている
最初に下着ドロに手を染めたのは、高木さんが高校生の頃のこと
青山学院大に進学し、東京へ移ってからもやっていた
大学卒業後、地元に戻ってからも、懲りずに3、4回盗んでいた
そんなウワサも出ていた。
真偽はとにかく、そんなウワサが出ている人物が国会議員であることに驚きます

他にも、
「敦賀気比高の前に立つ孝一氏の銅像に、女性物のパンツがかぶせられていた」
「衆院選の際、投票用紙に、〈パンツ泥棒〉と書かれていた」
――なんて話も出てきている。
これが事実なら“常習犯”だが、高校時代の同級生はこう話す。

明るい性格でスポーツは得意でしたね。
でも、孝一さんに比べると、高木さんは、頭の出来がイマイチだった。
生徒会長を務めていましたが、会議にはほとんど出席しなかった。
部活にもほとんど顔を出していなかった。
現在もあまり地元に帰らず、市民との交流も希薄。
さしたる実績もないので、まさか大臣になれるとは思いませんでした


地元でも「アイツが大臣?」と、仰天なのだ。
高木大臣は、どう釈明するつもりなのか。
改めて事務所に質問したが、「担当者が不在」と返答はなし。
しかし、閉会中審査が開かれれば、その瞬間、高木大臣はアウトだ。


*追加です。
さらにもう一人、昨年の国会開催中に、ウソをついてハワイ旅行に行った議員がいました。


写真の向かって右側から二番目、「保育園落ちた」ブログ問題の国会質疑で、「匿名だよ、匿名」とヤジを飛ばした、自民党の菅原一秀衆院議員、54歳。
その時この男は、経済産業副大臣だったんです。
なのに、国会審議中に、携帯電話で、

「おれは26に先に入って、ハワイ島に一泊。
27にホノルル。
だからあなたは27に日本を発てばよい。
帰りは1日。
3泊5日。
部屋は大丈夫。(手のひらマーク)

ワイキキパークホテルとれた。
ハレクラニの前」


などと、浮かれたメールを送り、ハワイ旅行を「政治経済事情視察」として出かけてたんです?!
いくら経産副大臣だからって、国会中にそんな嘆願書がスルッと通る衆院議院運営委員会っていったい…。
しかも当時、経産省は、平日は普段通りの業務がありましたし、大臣は海外に長期出張中だったのです。

こんな男が、自民党の待機児童問題等緊急対策特命チームの筆頭幹事なんですね…。 


*さらに追加です。
北海道補選の野党共通政策のひとつ、辺野古新基地反対についての下村氏の意見。



押し付ける時は「日本全体の国防の為」と言い、じゃあ全体で考えようとすると「北海道の補選に辺野古は関係ないじゃん」…。


この4月の京都、北海道の選挙、そして夏の選挙で、落ちるべき議員を落とす。
それが主権者としての仕事だと思います。
でっかいお灸を据えてやらないと分からないようですから。
コメント (6)
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米国『イースター(復活祭)』事情

2016年03月29日 | 日本とわたし
先日の日曜日、イースターのお祝いに、初めてわたしたち夫婦がホスト役を務めました。
これまで、かれこれ25年近く、イースターのお祝いはワシントンD.Cの祖母の家か、叔母の家、そしてここ数年は叔母の娘夫婦の家でお祝いしていたのですが、
さすがにそろそろ我々がした方が良いのではないかということで、イースターの日本版と銘打って、みんなに来てもらうことにしました。
ワシントンD.C、ペンシルバニアから、遠路はるばる来てくれたみんな。
総勢20名、下は3歳から上は94歳までの、老若男女入り乱れメンバーです。

ここで、イースターって何?という方に。
イースターは、日本語では『復活祭』と呼ばれているお祭りです。
キリスト教徒にとっては、クリスマスとともに、というか、クリスマス以上に、とても大切にされているお祭りです。
十字架に磔にされ亡くなったイエス・キリストが、三日後によみがえったことを記念するお祭りだからです。
イースターの日付は「春分の日の後の最初の満月から数えて最初の日曜日』ということで、毎年変わります。


さて、これまで何回もホームパーティをしてきたけれども、20名いっぺんに、というのは初めてだったので、
夫もわたしも、日がだんだんと近づいてくるにつれ、無事に終えられるのかどうか心配になってきました。
とりあえず、うちにあるもので賄えるものと、不足しているものを書き出しました。
うちの一階にある台所は、この家の中で一番広い部屋なのですが、当日は料理の準備や配膳でごった返すので使えません。
本来ならばダイニングルームになっているはずの部屋は、ピアノが占領してこれまた使えません。
なので、(生徒たちの待合に使っている)でっかいソファをそのままに、リビングにありったけのテーブルを繋ぎ合わせて配置するしかありません。
そのありったけのテーブルを繋ぎ合わせても、一辺に6人が精一杯…う~ん…やっぱり買い足すことになりました。
50ドルの折りたたみ式のプラスチックのテーブルを見つけました。
これを足すと一辺に10人、なんとか20人が座れそう…座れなかったらどうしよう…いやいや、なんとかするっきゃない。
そして次は椅子。
ピアノ椅子まで引っ張り出してきて、見事にバラバラの椅子を数えても、やはり20脚は無理だったので、これまた1脚15ドルの椅子を4脚買い足しました。

とりあえずぼちぼちと掃除をしたり、庭をいじったりしていましたが、やはり前日になるとあそこもここもと、気になる所が続出!
でも、今回は日本食を20人分作らなければならないので、とてもじゃないけれど掃除に手が回りません。
ダメ元で夫に、「申し訳ないけど、一階と二階の床に掃除機をかけるのと、一階の窓拭きを一箇所だけしてくれないかな」と頼んでみると、
「オッケー」という快い返事が返ってきました?!
き、き、奇跡じゃ…。

この日本食イースターは、夫の提案だったので、多分ちょっとばかりわたしに気を遣ってたのかもしれません。
頼みもしていない所までゴシゴシ磨いたり、わたしの手の届かない高い所の埃取りまでしてくれて大感激。
わたしも、料理の合間に、浴室のあちこちを磨いたり、花を飾ったり、ああもう、キリがないというのはこのことです。
でも、本番までにバテてしまったらいけないので、とりあえず切り上げて、とにかく無事に終わることを祈りつつベッドに入りました。


当日の朝、あ、ここもまだやってない、あ、あそこも!と、小さな汚れを目にしては焦って磨くわたし…。
いったい何やってんだか…。
玄関前に落ちた小枝などを集めていると、一番乗りのお客さまが来てくれました。

とうとう始まりだ。と覚悟を決めて、うぇるかむ~!

イースターには欠かせない『イースターエッグ』
でも、いったい何で卵なん?と、長年首を傾げてきたのですが、バリバリの現役クリスチャンに尋ねてみました。
イエス・キリストは、十字架に磔られたまま亡くなったけれど、それから三日後に復活したの。
卵の殻を破り、この世に生まれ出てくるひよこのように、死という殻を破り、現世によみがえったキリストを祝う日に、卵はだから象徴なのよ。

なるほどなるほど。

まだまだコートが必要な、肌寒い曇り空の下、イースターエッグを見っけるちびっ子たち。






いつの間にかエメラが、卵を隠すお姉さんになっている?!(自作の卵を見せてくれました)


いっぱい集まって大満足のアンソニーとエリー。


おばあちゃんから、さらに楽しいプレゼントをもらって、


おっさんたちは台所でこっそりと、


ギリギリで座れそうです!


なんと、炊飯器のお米を水を入れずに炊いてしまったわたし…日本食の肝なのに…しくしく…。
なので、味付け海苔講習のプランがぶっ飛んでしまいました。
でも、夫の予想通り、レンコンのきんぴらがまたまた大好評。
う~ん、日本だったら主菜にもならない、珍しくもないお惣菜なんですが…。
ほんでもって、お味噌汁に入れたサイコロ切りのサツマイモが美味しいと、これまた大好評。
なんかシンプル過ぎて申し訳ないと内心思いながら、いろんな質問に答えていたのでした。

いやあ、でも、ほんとに凄かったです。
20人ぐらいでごちゃごちゃ言うな!と、大人数のパーティ慣れをしていらっしゃる方は思われるかもしれませんが、
やっぱりまあ、初めてということもあって、夫もわたしも、終わってからしばらく(はっきり言うと昨日の晩まで)は、呆然自失の状態が続きました。
けれども、靴を履いたままのお客さまだったので、床拭きはしなければなりません。
月曜日も、ほぼ半日かかりの洗濯と掃除をし終えると、さすがにもう、なーんにもしたくなくなりました。

終わってみると、帰り際のみんなの笑顔と、感謝の言葉が蘇ってきて、ああやって良かったなとしみじみ思えるのですが、
でもまあ、また来年も、というのは絶対に有り得ないっぽいです。
みんな、こんな大変な思いと準備をしてくれてたんだなあと、分かってたつもりでいてもやはり、実際に経験すると実感できるありがたさ。
それぞれの家に戻ってから、次々に送られてくるみんなの感謝メールの中にも、どんなに大変だったでしょうという労いの言葉が、必ず入っていました。
家族が集う三大行事、イースターと感謝祭とクリスマス。
みんなが無事に、また次の集まりに顔を見せてくれますように。

また違う仔のようです。
イースターを祝いに来てくれたのかな?




ちなみに、イースターにはうさぎも象徴のひとつです。
卵は「イースターうさぎ」が運んできたとされていて、子沢山のうさぎは古代より、繁栄・多産のシンボルなんだそうです。

まあこのお祭りも、今やすっかり商用化されてしまって、クリスマスやバレンタインデー同様、うさぎや卵の置物が商品棚に並びます。
それを見るたびに、心の中にもやもやとした思いが広がります。
お祭りに対してではなく、お祭りを利用して儲けようとする、特に大きな企業の商売根性に、抵抗を感じるのです。
社会が、華美や贅沢ではなく、質素の方に向かうことは無理なのでしょうか?
そろそろ、そういう生き方、捉え方が必要になるのではないのかなと、そんなことを思ったイースターでした。
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