この日本地図は、今年の5月のはじめ、NHKの『クローズアップ現代』の、人口減少問題を取り上げた番組の中で、スタジオの床に置かれていたものです。
福島県が真っ黒に塗りつぶされていて、そのことが当時、ネットの中で騒がれていました。
どうしてだったのか。
それは、福島県が、データを出せなかったことが原因だということでした。
こんなふうに、どのような理由であれ、自分が今暮らしている、あるいは暮らしていた町や村や市が、真っ黒に塗りつぶされるのはたまらない。
こんなふうに、データが出せなくなる地域がまたどこかにできて、真っ黒に塗りつぶされてはたまらない。
でも、重大事故から3年半近く経った今でもなお、国と電力会社は、再稼働は当たり前だと言わんばかり。
事故を起こした東電は、黒字を出し、それをマスコミはそのまま報じています。
こんなトンチンカンで間違ったシステムが、どうして今も生き残ることができるのか。
こんな酷い環境にして、人を苦しめている側の人間や会社が、どうして今も、普通に暮らし、儲けていられるのか。
それは、どんなことが起こり、どんなことになっても、その責任を問われないよう、万全の装備を整えているからです。
そのことが、わたしには理解し難く、また悔しくてならないことでした。
ところが今朝、こんなニュースを目にして、少しだけ光が見えてきたような気がします。
「報告を受けていながら対策を指示せず事故を起こし、死傷者を出した責任は問われるべき」
その通りだと思います。至極最もなことだと思います。
第一次安倍内閣の時に、警告を受けたにも関わらず、オウムのように同じ言葉を使い、ナメきった態度で返答していた安倍首相。
これまでにも、何度も、報告や警告を受けていたにも関わらず、聞き流し、しっかりした対策を講じてこなかった電力会社。
そのどちらも、事故と被害に対する責任を問われなければなりません。
そうでないと、日本の社会には、倫理も正義も存在しないことになります。
↓以下、転載はじめ
河北新報 Online Newshttp://www.kahoku.co.jp
東電幹部起訴相当/責任追及は教訓を残す一歩
福島第1原発事故の発生は、回避できたのではないか。
多くの国民が抱くそうした疑念が晴れておらず、刑事責任の追及を求める声が根強いことを、象徴する判断が示された。
事故に関連し、業務上過失致死傷容疑などで告訴・告発され、東京地検が不起訴処分としていた、
東京電力の勝俣恒久元会長ら元幹部3人について、検察審査会が、「起訴相当」と議決した。
不起訴処分の時点から、ある程度は予測され、検審制度の在り方が問われる中での、1度目の議決でもあることから、過大な評価は避けなければならないが、
事故責任を曖昧にしてはならないという議決の意思表示は、重く受け止める必要がある。
「想定外の事態発生を、以前から認識していたのに、危機管理が不十分だった」との議決書の指摘に無理はなく、
具体的な経営陣の関わり方を、詳細に捜査し尽くす手続きは欠かせない。
東電は2008年、巨大地震を警告する、文部科学省地震調査研究推進本部の長期評価に基づいて、社内で、
「福島第1原発に最大15.7メートルの津波が来て、4号機の原子炉周辺は2.6メートル浸水する」という予測を立てた。
それが、必要な対策に結び付かなかったのはなぜか。
検審の議決書は、
「原発停止のリスクが生じるとして、長期評価の採用を見送った」と断じ、
勝俣元会長について、
「最高経営責任者として、巨大津波襲来の可能性について報告を受けていたと考えられ、安全確保を第一とする指示が必要だった」と判断した。
ほかの幹部も含め、
やるべきことをやっていれば事故は回避できたのだから、
対策を指示しなかったことで事故を起こし、死傷者を出した責任は問われるべきだ、という結論である。
「巨大津波を、具体的に予測できたとは言えない」として、不起訴にした検察当局には、
津波予測の報告に対して、経営陣の誰が、どの時点で、どんな判断を下したのかを、もう一度綿密に突き止める捜査が求められる。
多くの訴訟でも争点になっているように、巨大津波の予見可能性は、難しい問題だ。
トップの責任まで問えるのかどうか、慎重な扱いが予想される。
検察側が、再度不起訴にしても、検審の再審査で起訴の議決が下れば、強制起訴され、裁判に移る仕組みではあるが、
同じように、経営トップが業務上過失致死傷罪に問われた、尼崎JR脱線事故のケースをはじめ、強制起訴では無罪判決が続く。
検審制度は、市民感覚反映の仕組みとされながら、成果が問われる現状にある。
今回も、再捜査を含めて、手続きを踏むだけの流れになる恐れがある。
しかし、広範で深刻な被害を及ぼしている事故の重大性を考えれば、それで済むはずはない。
震災当時の対応、揺れ自体の影響など、福島第1事故の詳細は、まだまだ不明な点が多い。
事前の津波対策の不備は焦点であり、真相究明は、これからの事故対策にも大きな意味を持つ。
責任追及は、教訓を残すための一歩であることを、強調しておく。
↑以上、転載おわり
福島県が真っ黒に塗りつぶされていて、そのことが当時、ネットの中で騒がれていました。
どうしてだったのか。
それは、福島県が、データを出せなかったことが原因だということでした。
こんなふうに、どのような理由であれ、自分が今暮らしている、あるいは暮らしていた町や村や市が、真っ黒に塗りつぶされるのはたまらない。
こんなふうに、データが出せなくなる地域がまたどこかにできて、真っ黒に塗りつぶされてはたまらない。
でも、重大事故から3年半近く経った今でもなお、国と電力会社は、再稼働は当たり前だと言わんばかり。
事故を起こした東電は、黒字を出し、それをマスコミはそのまま報じています。
こんなトンチンカンで間違ったシステムが、どうして今も生き残ることができるのか。
こんな酷い環境にして、人を苦しめている側の人間や会社が、どうして今も、普通に暮らし、儲けていられるのか。
それは、どんなことが起こり、どんなことになっても、その責任を問われないよう、万全の装備を整えているからです。
そのことが、わたしには理解し難く、また悔しくてならないことでした。
ところが今朝、こんなニュースを目にして、少しだけ光が見えてきたような気がします。
「報告を受けていながら対策を指示せず事故を起こし、死傷者を出した責任は問われるべき」
その通りだと思います。至極最もなことだと思います。
第一次安倍内閣の時に、警告を受けたにも関わらず、オウムのように同じ言葉を使い、ナメきった態度で返答していた安倍首相。
これまでにも、何度も、報告や警告を受けていたにも関わらず、聞き流し、しっかりした対策を講じてこなかった電力会社。
そのどちらも、事故と被害に対する責任を問われなければなりません。
そうでないと、日本の社会には、倫理も正義も存在しないことになります。
↓以下、転載はじめ
河北新報 Online Newshttp://www.kahoku.co.jp
東電幹部起訴相当/責任追及は教訓を残す一歩
福島第1原発事故の発生は、回避できたのではないか。
多くの国民が抱くそうした疑念が晴れておらず、刑事責任の追及を求める声が根強いことを、象徴する判断が示された。
事故に関連し、業務上過失致死傷容疑などで告訴・告発され、東京地検が不起訴処分としていた、
東京電力の勝俣恒久元会長ら元幹部3人について、検察審査会が、「起訴相当」と議決した。
不起訴処分の時点から、ある程度は予測され、検審制度の在り方が問われる中での、1度目の議決でもあることから、過大な評価は避けなければならないが、
事故責任を曖昧にしてはならないという議決の意思表示は、重く受け止める必要がある。
「想定外の事態発生を、以前から認識していたのに、危機管理が不十分だった」との議決書の指摘に無理はなく、
具体的な経営陣の関わり方を、詳細に捜査し尽くす手続きは欠かせない。
東電は2008年、巨大地震を警告する、文部科学省地震調査研究推進本部の長期評価に基づいて、社内で、
「福島第1原発に最大15.7メートルの津波が来て、4号機の原子炉周辺は2.6メートル浸水する」という予測を立てた。
それが、必要な対策に結び付かなかったのはなぜか。
検審の議決書は、
「原発停止のリスクが生じるとして、長期評価の採用を見送った」と断じ、
勝俣元会長について、
「最高経営責任者として、巨大津波襲来の可能性について報告を受けていたと考えられ、安全確保を第一とする指示が必要だった」と判断した。
ほかの幹部も含め、
やるべきことをやっていれば事故は回避できたのだから、
対策を指示しなかったことで事故を起こし、死傷者を出した責任は問われるべきだ、という結論である。
「巨大津波を、具体的に予測できたとは言えない」として、不起訴にした検察当局には、
津波予測の報告に対して、経営陣の誰が、どの時点で、どんな判断を下したのかを、もう一度綿密に突き止める捜査が求められる。
多くの訴訟でも争点になっているように、巨大津波の予見可能性は、難しい問題だ。
トップの責任まで問えるのかどうか、慎重な扱いが予想される。
検察側が、再度不起訴にしても、検審の再審査で起訴の議決が下れば、強制起訴され、裁判に移る仕組みではあるが、
同じように、経営トップが業務上過失致死傷罪に問われた、尼崎JR脱線事故のケースをはじめ、強制起訴では無罪判決が続く。
検審制度は、市民感覚反映の仕組みとされながら、成果が問われる現状にある。
今回も、再捜査を含めて、手続きを踏むだけの流れになる恐れがある。
しかし、広範で深刻な被害を及ぼしている事故の重大性を考えれば、それで済むはずはない。
震災当時の対応、揺れ自体の影響など、福島第1事故の詳細は、まだまだ不明な点が多い。
事前の津波対策の不備は焦点であり、真相究明は、これからの事故対策にも大きな意味を持つ。
責任追及は、教訓を残すための一歩であることを、強調しておく。
↑以上、転載おわり