ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

「ビリョクだけどムリョクじゃない」百万人以上の核兵器廃絶署名を国連に届けた長崎の高校生達の合言葉

2014年08月10日 | 日本とわたし
8月恒例の、海辺での1週間を、旦那の親族4家族といっしょに過ごしています。
バタバタと準備をして出かけてしまったので、いったいどこに消えてしまったのかと心配してくださっている方もいらっしゃると思います。
ごめんなさい。

この、長崎の平和宣言は、出かける直前にここに転載させていただいていたものです。
出先では、インターネットが使いにくく、思い切ってネット無しで過ごそうと決めたのですが、
やはり気になって、携帯でチラチラと、ツィッターだけは読んだりしていました。

すると…二つ前の『焼き場に立つ少年』についての記事を、とてもたくさんの方々が読んでくださり、
またそれとともに、たくさんのコメントをいただいていることが分かり、大変に驚きました。
コメントはひとつひとつ、携帯の小さな画面で読ませていただいています。
記事を読んでくださった方、伝えてくださった方、そして読んだ感想や考えをコメントとして残してくださった方、
ありがとうございました。
ただ、ここまでを記入するにも四苦八苦しているような状況ですので、お返事させていただくことは到底不可能です。
申し訳ありませんが、あの記事のコメント欄の中では、わたし自身のものも含め、たくさんの意見が交わされていますので、
ご面倒をおかけしますが、時間がおありの時にでも、それらに目を通していただけたらと思います。

「ビリョクだけどムリョクじゃない」は、わたし自身が毎日、呪文のように自分に向かって唱えてる言葉です。
その言葉に偶然出会えて、とても嬉しく、また勇気が出ました。
イケナイと思うこと、オカシイと感じること、イヤだと思うこと、
そこには理屈もへったくれもありません。
こんなふうに言うとまた、感情論だと言われるのでしょうけれども、
人としてどうなのかという疑問や畏怖の念が根底に無い物事が、これ以上増えていくことを黙って見過ごすわけにはいきません。
言いにくくても、考えにくくても、人として生き、人と関わり、未来につなぐという使命を持つ以上、ムリョクでいるわけにはいきません。
「ゼロになにを掛けてもゼロ」
これは、長男が高校生だったかの時に、好きだった言葉です。
彼の机の上の小さな額の中に、マンガのキャラクターと一緒に書かれていました。
長崎の高校生たちが合言葉にしている「ビリョクだけどムリョクじゃない」と、心に響いてくるものがとても似ている、すてきな言葉だと思います。

戦争は政治の外交の一端であると、どなたかがおっしゃっているのを読んだことがあります。
その国その時の政府の、外交においての力量、知識、常識、そして人間性の良し悪しが、戦争を食い止めるか否かの分かれ目めになると。
首長になるような者はだから、時と場合によっては、自分の命をかけなければならないような局面に立たされることを、覚悟しなければなりません。
すでに軍が在り、有り余るほどの武器を持つ国は、まずそれらの効力を試したいし、使用期限が切れてしまう前に使い切りたい。
そしてもっともっと儲けて、もっともっと世界を牛耳りたい。
そのためにはどんな嘘でもつくし、恐ろしい話をたくさん作り、それを信じ込ませるためのお膳立てを、権力とカネに任せてやり続けます。
そこには、人や自然の命、町や文化への配慮などは全く存在せず、武器を使うことのみに執念を燃やす、異常な人たちの異常な思考が有るのみです。
そしてその異常な人たちは、それが最も良いことのように、それしか選択肢が無いかのように洗脳できるシステムを、前もってしっかりと組み立ててあるので、
決めてしまいさえすれば、後は簡単そのもの、あれよあれよという感じで、社会の流れが変わっていってしまいます。
物騒な国がすぐ近くにあるから。
だから自分の家族を守らなければならないから。

戦争は、市民が始めるのではありません。
国とその軍、そしてそれらを陰で操るっている者たちが始めるのだけれども、それでは世間体が良くないので、
市民がうるさくせっつくから、市民がそれを望んでいるからという言い訳ができるよう、市民を巧みに騙します。
戦争をすると決め、市民を戦場に送り出す者たちは誰も、恐ろしい目にも遭わないし、ましてや死ぬこともありません。
態勢が悪化し、危険が身にふりかかるとなったら、真っ先に、家族もろとも、安全なところに逃げられる人たちです。

自分の家族を守るために、などと考えているのは、なにか勘違いをしているように思えてなりません。
いったん戦争というものが起こってしまえば、守るもなにも、市民はただただ逃げることしかできません。
恨みをかってテロを起こされても、ただただ逃げることしかできません。
銃社会のこの国でさえ、テロが起こったからといって、市民が銃を手に町をウロウロしたりしません。
敵が目の前に現れないのだから。
それが現代の戦争でありテロであるのです。
個人的自衛のためなどといって、どんな悲惨な事件が起ころうと、いまだに銃を手放せない。
日本の方々は、それを愚かだと思っていたのではなかったのですか?
個人的にせよ集団的にせよ、武器を手に入れることが愚かであることにかわりはありません。
キリが無くなってしまうのですから。
キリが無い、終わりが見えない未来は、原発事故の処理だけで十分ではないのですか?


平成26年長崎平和宣言
http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/appeal/

69年前のこの時刻、この丘から見上げる空は、真っ黒な原子雲で覆われていました。
米軍機から投下された一発の原子爆弾により、家々は吹き飛び、炎に包まれ、
黒焦げの死体が散乱する中を、多くの市民が逃げまどいました。
凄まじい熱線と爆風と放射線は、7万4千人もの尊い命を奪い、7万5千人の負傷者を出し、
かろうじて生き残った人々の心と体に、69年たった今も癒えることのない、深い傷を刻みこみました。

今も世界には、1万6千発以上の核弾頭が存在します。
核兵器の恐ろしさを身をもって知る被爆者は、核兵器は二度と使われてはならない、と必死で警鐘を鳴らし続けてきました。
広島、長崎の原爆以降、戦争で核兵器が使われなかったのは、被爆者の存在とその声があったからです。

もし今、核兵器が戦争で使われたら、世界はどうなるのでしょうか。
 
今年2月、メキシコで開かれた「核兵器の非人道性に関する国際会議」では、
146か国の代表が、人体や経済、環境、気候変動など、さまざまな視点から、
核兵器がいかに非人道的な兵器であるかを、明らかにしました。
その中で、もし核戦争になれば、傷ついた人々を助けることもできず、
「核の冬」の到来で食糧がなくなり、世界の20億人以上が飢餓状態に陥るという、恐るべき予測が発表されました。
 
核兵器の恐怖は、決して過去の広島、長崎だけのものではありません。
まさに、世界がかかえる “今と未来の問題” なのです。
 
こうした核兵器の非人道性に着目する国々の間で、核兵器禁止条約などの検討に向けた動きが、始まっています。
 
しかし一方で、核兵器保有国とその傘の下にいる国々は、核兵器によって国の安全を守ろうとする考えを、依然として手放そうとせず、核兵器の禁止を先送りしようとしています。
 
この対立を越えることができなければ、来年開かれる、5年に一度の核不拡散条約(NPT)再検討会議は、なんの前進もないまま終わるかもしれません。
 
核兵器保有国とその傘の下にいる国々に、呼びかけます。
 
「核兵器のない世界」の実現のために、いつまでに、何をするのかについて、
核兵器の法的禁止を求めている国々と協議ができる場をまずつくり、対立を越える第一歩を踏み出してください。
日本政府は、核兵器の非人道性を一番理解している国として、その先頭に立ってください。
 
核戦争から未来を守る地域的な方法として、「非核兵器地帯」があります。
現在、地球の陸地の半分以上が、既に、非核兵器地帯に属しています。
日本政府には、韓国、北朝鮮、日本が属する北東アジア地域を、核兵器から守る方法の一つとして、
非核三原則の法制化とともに、「北東アジア非核兵器地帯構想」の検討を始めるよう,提言します。
この構想には、わが国の、500人以上の自治体の首長が賛同しており、これからも賛同の輪を広げていきます。


今、わが国では、集団的自衛権の議論を機に、「平和国家」としての安全保障のあり方について、さまざまな意見が交わされています。
 
長崎は「ノーモア・ナガサキ」とともに、「ノーモア・ウォー」と叫び続けてきました。
日本国憲法に込められた、「戦争をしない」という誓いは、被爆国日本の原点であるとともに、被爆地長崎の原点でもあります。
 
被爆者たちが、自らの体験を語ることで伝え続けてきた、その平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれています。
日本政府には、この不安と懸念の声に、真摯に向き合い、耳を傾けることを強く求めます。


長崎では、若い世代が、核兵器について自分たちで考え、議論し、新しい活動を始めています。
大学生たちは、海外に、ネットワークを広げ始めました。
高校生たちが国連に届けた、核兵器廃絶を求める署名の数は、すでに100万人を超えました。
 
その高校生たちの合言葉「ビリョクだけどムリョクじゃない」は、
一人ひとりの人々の集まりである市民社会こそが、もっとも大きな力の源泉だ、ということを、私たちに思い起こさせてくれます。
長崎はこれからも、市民社会の一員として、仲間を増やし、NGOと連携し、
目標を同じくする国々や国連と力を合わせて、核兵器のない世界の実現に向けて、行動し続けます。
世界の皆さん、次の世代に、「核兵器のない世界」を引き継ぎましょう。

 
東京電力福島第一原子力発電所の事故から、3年がたちました。
今も多くの方々が、不安な暮らしを強いられています。
長崎は、今後とも、福島の一日も早い復興を願い、さまざまな支援を続けていきます。

 
来年は、被爆からちょうど70年になります。
 
被爆者は、ますます高齢化しており、原爆症の認定制度の改善など、実態に応じた援護の充実を望みます。
 
被爆70年までの一年が、平和への思いを共有する、世界の人たちとともに目指してきた、
「核兵器のない世界」の実現に向けて、大きく前進する一年になることを願い、
原子爆弾により亡くなられた方々に、心から哀悼の意を捧げ、
広島市とともに、核兵器廃絶と恒久平和の実現に努力することを、ここに宣言します。

2014年(平成26年)8月9日
長崎市長 田上 富久