ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

本当に困った時はこれを使え!

2011年04月22日 | 日本とわたし
朝方夢を見た。

どこかに行って、また元の場所に戻らなければならない、という感じだった。
行った先は、どこにでもあるような家並みが続く、けれども奇妙に幅の広いアーケードの商店街があったりする、まるで行ったことのない町だった。

気がつくと、格子戸の古い引き戸の前に立っていた。
後ろの人から中に入るよううながされ、戸のへこみに指をかけて引くと、まるでレールにロウでも塗ってあるかのように、滑らかに動いた。
「どうぞ」という声が後ろでして、わたしはおずおずと、真四角のコンクリート床の部屋の中に入った。
部屋のど真ん中には、普段旦那が使っているようなマッサージテーブルが置いてあり、そこにはもうすでにひとりの男性がうつ伏せに寝転んでいた。
テーブルのすぐ横に立っている別の男性が、「この人のはいろいろとややっこしくてね……時間がかかるわ」と、ため息まじりに言うのを聞いて、なぜだか急に、自分のことが心配になった。

部屋の壁はずらりと一面造り棚になっていて、そこにはわけのわからない薬や粉や小さな道具が、所狭しと並べられていた。
いったいわたしには、どの薬が使われるのだろう……と、ぼんやり思いながら眺めていると、
「さあ、あんたの番だよ」と男性の声がして、振り向くともう、テーブルの上には誰も居なくて、その男性の手には、停止した心臓にショックを与える時に使うのにそっくりな、けれども形は四角ではなくて丸い道具が握られていた。
そしてわたしにはそれが、自分の治療に使われる物だと充分理解できているようだった。
何も指示されないまま、着ていた長袖のシャツの右手だけを抜き、右側の裾をまくり上げ、その男性に背中を向けた。
するとその男性は、その道具をわたしの右肩の肩甲骨辺りに当てた。
その道具はとても強い力で吸引するもので、彼はそれをわたしの背中に押し当てながら、ゆっくりと円を描くように動かした。
「これはわたしの左側にある問題を解決するための治療なんでしょう?」
強烈な吸引を感じながら、わたしは呻くようにそう言った。
「あれ?よく知ってるねえ。どうしてそういうふうに考える知識があるの?」
「夫が鍼灸師なので」
「なるほど……。なかなかこういうことは理解してもらえなくてねえ……苦労してるんだ」
少し大げさなため息をついてから、彼はやっと、その吸引機をわたしの背中から外した。

シャツを着ていると急に、「そうだ、あんたと同じ駅に行くついでがあるから、乗っけてってやるよ」と言って、彼は部屋から飛び出して行った。
わたしも急に、ああ、急がなくちゃと気がついて、部屋の中に居た助手のような若い男の子の後をついて表に出た。
「乗っけてってやるよ」と言ったくせに、男性は助手の若い男の子を車の助手席に乗せると、さっさと発進させている。
どうしたわけか、自分の車が外に止めてあるのを見つけ、わたしも車に飛び乗って彼の後を追いかけた。

とても幅の広い商店街の中に、彼は車を乗り入れて行き、そこで知り合いのお年寄りを見つけては、車の中に詰め込んで行く。
いったい何人乗せるつもりなのだろうと呆れながら、わたしは後ろからその様子を眺めていた。
やっと駅に着き、車を適当な所に停めて、大勢のお年寄りと一緒にわたしも彼の後ろをついて行った。
切符をどこまで買ったらいいのか、それがどうしても思い出せずに、じりじりとした気持ちで路線表の駅名を何度も読み返していると、
「おい、もう間に合わない、行こう!」という、切羽詰まった彼の声がして、腕を強く引っ張られた。
切符を買わないまま、駅の構内に入ると、コンクリートの床の真ん中になぜだか畑があって、そこにはとても貧弱な野菜が、もうほとほと疲れ果てた、とでも言いたげに、枯れた土の上に頭をもたげていた。
駅のホームに続く階段を降りようと別の場所に行くと、その床にはとても鋭く尖った小さな岩が所狭しと埋められてあり、こんな所で転けたりしたら大変なことになる……と、小さな子供達のことがとても心配になった。
そしてやっと、少し空気が穏やかに感じられる場所に着き、ホッと一息つきながら、土産物などが並べられた棚をぼんやり眺めていた。
足元から声が聞こえたので驚いてそちらを見ると、わたしはいつの間にか中二階のような所に立っていて、その床が丁度目の高さになる所から、男性が頭半分だけ覗かせながら、わたしの名前を呼んでいた。
「いろいろとありがとうございました」と、なんだかとてもありがたい気持ちになって、わたしは彼にお礼をちゃんと言おうと、土下座のような格好で彼にお礼を言った。
すると彼は急に、顔に厳しい表情を浮かべ、わたしの右手の手首を痛いほど強く掴み、その手のひらの上に彼の握りこぶしを乗せた。
彼のこぶしがゆっくりと開いていくと、わたしの手のひらの上に、灰色のザラザラとした砂のようなものがこぼれ落ちてきた。
それを見て驚いているわたしに彼は、静かに、けれども何かが差し迫っているような声色でこう言った。
「いいか、よく聞くんだ。これを使え。本当に困った時にはこれを使え。いいな、本当の本当に困った時にだぞ!」
わたしはこっくりと頷き、わたしを強い光のこもった目で睨む彼の顔をじっと見つめながら、その砂をギュウッと強く握りしめた。

そして目が覚めた。
わたしの右手は、爪が食い込んで痛いほど、強く握りしめられていた。
恐々手のひらを開いてみた。
そこには何も無かった。
けれども、あの灰色の砂の、ザラザラとした感触は、今もしっかりこの手の中に残っている。

わたしは『話』を書かなければならない時が来たんだな。そう思った。