雑誌の星占いとTVの血液型占いで、近々とても素敵なことがあるかも、と。
お茶を淹れると、茶柱が。
こりゃ、マジで人生最大の幸運が待ってるかも!?と、柄にもなく密かにウッキウキ気分に。
家に帰ると、やはり待ってました幸運が。
“○○(漫画のキャラクター)タオル、当選”
懸賞など滅多に当たらない私なので、嬉しい珍事には違いないけど...
タオルかよ。せめて、第一希望のPSPだったら良かったのに...
私の幸運って、やっぱこの程度なんですね...
「ぼくを葬る」
メルヴィル・プポー、う、美しい...
そんじょそこらのイケメンじゃないよなあ。ほんと、女も男も関係なく虜にしてしまう、ユニセックスな魅力です。
冷たく傲慢かと思えば、優しく翳りのある言葉や笑顔で、女の心をズキュン艶っぽい瞳や唇で、男の股間もバキュン存在するだけで、誘惑的な男。過酷な運命でさえ、美しい夢幻にしてしまう...
とにかく、メルヴィル・プポーの美しさと魅力に酔う、それだけの映画。
アップにここまで耐えられる男優は、最近では珍しい。目がきれいだなあ。男の子との全裸のベッドシーンも、リアルだけどイヤらしくない。色白で痩身だけど、ガリガリではない、しなやかな体つきが、色っぽい。
この映画のメルヴィルって。男の子にとっては、甘えたくなるクールでカッチョE兄貴。女にとっては、甘えてほしくなる可愛い美青年。ああ~YAOI理想形男子じゃ!
病魔に犯されて、どんどん衰弱していく姿も、壮絶だけど、これ見よがしな熱演ではなく、あくまでフォトジェニック。本当に美しい男は、ゲロ吐いてのたうちまわっても、坊主頭にしても、何やっても絵になる!
もちろん、ただ美しいだけじゃなく、メルヴィルの役者魂も素晴らしい。日本の同世代の男優(キムタコとか、おにぎりジョーとか)に、あの役あの演技は、無理だろうし。
車の中での父親とのシーンは、かなり危険なムードでドキ!ちょっとメルヴィル、それは実のパパでしょ!?ジャンヌ・モローとの絡みも、祖母と孫というより、めちゃくちゃ年の離れた恋人同士みたいな雰囲気だし...
フランソワ・オゾン監督らしく、お涙ちょうだい闘病ものとは全然違う、不思議な映画でした。
余命いくばくもない主人公が、残された時間に周囲の人間とベタベタした愛情物語を展開するのでははく、苦悩も葛藤も絶望も独りで、自分以外のことは全て突き放して死に臨もうとする姿は、エゴイスティックだけど、潔い。
夢物語の終幕のような美しすぎる最期。絶対ありえないけど、私もあんな風に美しく逝きたい~!
それにしても。これって、マドモアゼル・オゾンが、メルヴィルに恋して作ったとしか思えない映画?聞けば、念願かなってのメルヴィル起用だとか。
「バッド・エデュケーション」で、可愛いガエルを思うままに弄んだ?アルモ姐さんに負けてたまるもんですか!みたいな。
アルモやオゾンにとって幸か不幸か?ガエルもメルヴィルも、女のほうが好きな男...そんな、現実では届くことのない、切ない気持ちや欲望が、嗜虐的な創作意欲となって、映画の中で思う存分、美青年たちにアンなことコンなことをさせてしまうのでしょうか。
天才的オネエ監督たち、恐るべし!でも、男優を真に独創的に美しく撮れるのは、彼女?たちなのかもしれません。
三島由紀夫も、ある作品の中で書いてましたが...同性をも魅了できる男こそ、本当に魅力のある男。豊かな才能と、厳しい観察眼を持つゲイ術家のインスピレーションを刺激するのは、男優にとって役者冥利につきることでしょう。
今後も、アルモやオゾンが、どんなイケメンを愛と妄想の毒牙にかけて、いっそう魅力を発揮させるか、楽しみです。
↑ プロモで来日したメルヴィル
お茶を淹れると、茶柱が。
こりゃ、マジで人生最大の幸運が待ってるかも!?と、柄にもなく密かにウッキウキ気分に。
家に帰ると、やはり待ってました幸運が。
“○○(漫画のキャラクター)タオル、当選”
懸賞など滅多に当たらない私なので、嬉しい珍事には違いないけど...
タオルかよ。せめて、第一希望のPSPだったら良かったのに...
私の幸運って、やっぱこの程度なんですね...
「ぼくを葬る」
メルヴィル・プポー、う、美しい...
そんじょそこらのイケメンじゃないよなあ。ほんと、女も男も関係なく虜にしてしまう、ユニセックスな魅力です。
冷たく傲慢かと思えば、優しく翳りのある言葉や笑顔で、女の心をズキュン艶っぽい瞳や唇で、男の股間もバキュン存在するだけで、誘惑的な男。過酷な運命でさえ、美しい夢幻にしてしまう...
とにかく、メルヴィル・プポーの美しさと魅力に酔う、それだけの映画。
アップにここまで耐えられる男優は、最近では珍しい。目がきれいだなあ。男の子との全裸のベッドシーンも、リアルだけどイヤらしくない。色白で痩身だけど、ガリガリではない、しなやかな体つきが、色っぽい。
この映画のメルヴィルって。男の子にとっては、甘えたくなるクールでカッチョE兄貴。女にとっては、甘えてほしくなる可愛い美青年。ああ~YAOI理想形男子じゃ!
病魔に犯されて、どんどん衰弱していく姿も、壮絶だけど、これ見よがしな熱演ではなく、あくまでフォトジェニック。本当に美しい男は、ゲロ吐いてのたうちまわっても、坊主頭にしても、何やっても絵になる!
もちろん、ただ美しいだけじゃなく、メルヴィルの役者魂も素晴らしい。日本の同世代の男優(キムタコとか、おにぎりジョーとか)に、あの役あの演技は、無理だろうし。
車の中での父親とのシーンは、かなり危険なムードでドキ!ちょっとメルヴィル、それは実のパパでしょ!?ジャンヌ・モローとの絡みも、祖母と孫というより、めちゃくちゃ年の離れた恋人同士みたいな雰囲気だし...
フランソワ・オゾン監督らしく、お涙ちょうだい闘病ものとは全然違う、不思議な映画でした。
余命いくばくもない主人公が、残された時間に周囲の人間とベタベタした愛情物語を展開するのでははく、苦悩も葛藤も絶望も独りで、自分以外のことは全て突き放して死に臨もうとする姿は、エゴイスティックだけど、潔い。
夢物語の終幕のような美しすぎる最期。絶対ありえないけど、私もあんな風に美しく逝きたい~!
それにしても。これって、マドモアゼル・オゾンが、メルヴィルに恋して作ったとしか思えない映画?聞けば、念願かなってのメルヴィル起用だとか。
「バッド・エデュケーション」で、可愛いガエルを思うままに弄んだ?アルモ姐さんに負けてたまるもんですか!みたいな。
アルモやオゾンにとって幸か不幸か?ガエルもメルヴィルも、女のほうが好きな男...そんな、現実では届くことのない、切ない気持ちや欲望が、嗜虐的な創作意欲となって、映画の中で思う存分、美青年たちにアンなことコンなことをさせてしまうのでしょうか。
天才的オネエ監督たち、恐るべし!でも、男優を真に独創的に美しく撮れるのは、彼女?たちなのかもしれません。
三島由紀夫も、ある作品の中で書いてましたが...同性をも魅了できる男こそ、本当に魅力のある男。豊かな才能と、厳しい観察眼を持つゲイ術家のインスピレーションを刺激するのは、男優にとって役者冥利につきることでしょう。
今後も、アルモやオゾンが、どんなイケメンを愛と妄想の毒牙にかけて、いっそう魅力を発揮させるか、楽しみです。
↑ プロモで来日したメルヴィル