まりっぺのお気楽読書

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イギリス王ジョージ3世王女 アメリア

2011-03-30 23:32:39 | イングランド王妃・王女
弱り果てた父王にとどめを刺した王女
ジョージ3世王女 アメリア・オブ・ユナイテッドキングダム


1783~1810

アメリアはジョージ3世とシャーロット・オブ・メクレンブルク=ストレリッツの六女です。
一番年が近い姉ソフィアとは6歳違い、長男ジョージ(4世)とは21歳離れていました。
父王ジョージ3世のお気に入りでエミリーと呼ばれていました。

アメリアは生まれた時から可愛いと賞讃され、間違いなく魅力的になると思われていました。
小さな時から自分の立場がわかっていて、大女優サラ・シドンズが
「可愛いベイビーにキスさせて」とせがむと、即座に小さな手を差し出した、
という逸話がございます。

               
                ほーら!可愛いでしょう!!

アメリアはたいてい姉のメアリーソフィアとすごしていました。
年少の3人は箱入りとはいえ年長の3人より少しだけ両親の手綱が緩んでいたようで
かなりのお転婆さんだったようです。

何度もジョージ3世一家のポートレートを描いていた画家ゾファニーは、
年少の3姉妹を書いた時かなり苦労をしたみたいで
その後彼女たちの絵を描くことはありませんでした。

アメリアが5歳の時ジョージ3世が初めて精神疾患からくる発作を起こしました。
兄達の素行は乱れていろいろな問題を起こし始めます。
王一家は、仲良く団らんを…というわけにもいかなくなっていきます。

そんな中でも人々の期待通りに美しく成長したアメリアですが
15歳の時に結核の兆しがでて、健康が衰え始めました。
でもアメリアだって年ごろの女性ですもの、20歳の時に恋をします。
相手は21歳年上のチャールズ・フィッツロイです。

         
チャールズは遡るとチャールズ2世とバーバラ・ヴィリアーズの庶子にたどりつきます。

母シャーロット王妃は使用人からこの件を聞かされましたが目をつぶり
ジョージ3世の耳に入らないように気を配りました。
アメリア自身は、チャールズとは結婚できないとあきらめていました。
(こっそり結婚していた、という説もあります)

25歳の時、はしかの後沈みがちになったアメリアは、
母シャーロット王妃とウィンザー城に籠っていることにも気が滅入ってしまいました。
そこでウェイマスの海岸に保養に出かけることにします。

ウェイマスで良くなったり悪くなったりを繰り返していましたが、1810年の10月には
とうとうベットから起き上がれなくなってしまいました。
アメリアは瀕死状態の中で、自分の髪の毛とクリスタルとダイヤモンドで
ジョージ3世のために指輪を作り、姉メアリーの到着を待って亡くなりました。

ジョージ3世は王子達の悪行のせいで度々狂気に陥っていましたが
アメリアの死はさらにダメージを与えることになって再起不能状態になりました。

ジョージ3世は評価も高く、品行方正で浮気をせず、よき家庭人でもあったのに、
また、シャーロット王妃も母性に溢れた優しい女性だったというのに、
なぜに子供たちがかなりの確立で上手く育たなかったのでしょうね?

裏を返せばジョージ3世の子供達は、壮大な夫婦喧嘩・人妻との同棲・歓楽街でのご乱交など
王家としては人には見せたくない部分を自ら暴露していたようなものですね。
ある意味開かれた王室に近づきつつあったと言えましょう。 言えるのか?

(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)

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