まりっぺのお気楽読書

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ポルトガル王アフォンソ4世妃 ベアトリズ

2010-05-07 00:53:57 | ポルトガル王妃
迫りくるアラゴン&カスティーリャ
アフォンソ4世妃 ベアトリズ・デ・モリナ・イ・カステーラ


1293~1359/在位 1325~1357

書き出すと面倒くさいので家系図にまとめてみましたが
アラゴン王国とカスティーリャ・レオン王国が狙ってますよね!

できたら自分の国にしてしまいたいが、とりあえず味方につけとくか…てな感じで
三国入り乱れた家系図がたまらないことになっています

で、ベアトリズですけど、カスティーリャ王サンチョ4世の王女です。
兄フェルナンドはアフォンソ4世の姉コンスタンスと結婚しました。

     

娘マリアは甥のカスティーリャ王アルフォンソ11世妃になりまして
レオノールはアラゴン王ペドロ4世妃になっています。

“ 勇敢王 ” と言われるアフォンソ4世は、父王が庶子に甘いからって反乱を起こしたり
娘がネグレクトされているからとカスティーリャに戦争をしかけたり
息子ペドロが愛妾を妃にしようとした時には処分を命じたりと
結構血の気が多いタイプの方みたいですが、正義感は強かったようです。

そばで見ていたベアトリズはどう思ってましたでしょう?
なにもエピソードが無いんですよね…
とりあえず、ペドロがイネスの件で反乱をおこした時にはとりなしてます。
熱血漢の妻って、わりと気苦労が多かったりして…



               
使用人の人選を間違った王妃
ペドロ1世妃 コンスタンサ・マヌエル


1315~1345/在位せず

父はアラゴン王フェルナンド3世の血をひくペニャフィエル公ファンで
母はアラゴン王ハイメ2世の王女コンスタンスという家柄です。

           

10歳でカスティーリャ王アルフォンソ11世の妃になりましたが
この結婚は2年後に取り消されました。

ペドロも子供の時にカスティーリャ王女ブランカと結婚しましたが無効になりました。
(*Wikipedia英語版でリンクされているブランシュ・ド・カスティーヨは別人です)

1339年に王太子ペドロと結婚しました。
この時、大変な失敗をっ

コンスタンサは召使いとしてイネス・デ・カストロという女性を同行したんですけど
ペドロはすぐ彼女に夢中になっちゃって…
結局ずーっとイネスに寵愛を奪われたまま人生を終えることになります。
どうせ連れて行くなら、夫が振り向かないような人ばかり揃えりゃいいものを…

後継ぎは生まれましたが、ずっとペドロに無視されたままの6年の結婚生活の末
1345年に亡くなりました。

イネス・デ・カストロについては、つづく…

(参考文献 Wikipedia英語版)

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