ITSを疑う

ITS(高度道路交通システム)やカーマルチメディア、スマホ、中国関連を中心に書き綴っています。

自動運転車がITプラットフォームになんかならないと思う3つの理由

2022年01月31日 | 自動運転

今年のラスベガスCESショーで自動運転車のコンセプトを展示したSONYの吉田会長は「車の価値を『移動』から『エンタメ』に変える」と語っている。

ソニーグループのトップがモビリティー分野で示した「価値観の大転換」

これに限らず、今後車が自動運転になることで車は単なる移動手段からITプラットフォームとなるのだ、という論調がIT業界から聞こえてくる。
しかし、私はどうしてもそんな未来が来るとは思えず、むしろ壮大な勘違いではないか、と思う。

先ず第一の理由
単なる通話コミュニケーション機器だった電話機は携帯になり、そしてITプラットフォームであるスマホに進化した。同じことが車に起きようとしている、という考え方がある。
しかし、携帯電話はその名前の通り携帯するもので、スマホとなった現在、朝起きてから寝るまで身に着けていることができる。

しかし車は基本的に移動の道具であり、移動にしか使わない。この最も基本的な事実をなぜ無視するのだろうか?一日の中で車の中にいる時間がどのくらいかを考えれば、そんなものをITプラットフォームにして何の意味がある?それをありがたいと思うのは終日車の中にいる職業ドライバーの方だけだろうが、自動運転の世界ではその職業ドライバーも存在しなくなるのだ。

第二の理由
前項とも関連するが、もうすでにポケットに中にスマホが入ってるということ。移動中のITプラットフォームという意味ではスマホはすでに不動のものであり、さらにこの先まだ進化するだろう。もちろん車の中でも使える。そうした状況の中で、車から降りたら使えない「スマホ化した車」に何の意味があるのだろうか?
いうまでもないことだが、車というものは目的地に着いたら降りなくてはならない。コミュニケーション、エンタメ、ショッピング、なんにせよそこで中断を余儀なくされることになる。

第三の理由
完全自動運転が実現した世界で、はたして人は車を「所有」するのだろうか?という問題がある。
すでにタクシーやシェアカーがあるのに人はなぜ車を所有するのか?高級車ではブランド品と同じような所有満足という世界も存在するが、一番の理由は「使いたいときにすぐ使える」からだろう。しかし完全自動運転の世界では、車は使いたいときに来てくれ、タクシーのように乗り捨てできる。その状況でまだ所有にこだわる人は多くないだろう。捕まえるタクシーの車種を誰も気にしないように、ユーザーはブランドや車種の決定には関与しない。車種はフリート業者が決めることになる。現実的に考えれば、車種選択で一番重視されるのはコストだろう。
スマホ化した車であれば利用者が車内広告、エンタメや車内e-コマースを利用するからマネタライズできる、という意見もあるがそれはあまりに楽観的過ぎる。ないとは言わないが、せいぜい交通広告の一種というレベルの話だろう。

自分で運転をしなくていい移動という意味では電車バス、タクシーや飛行機と自動運転車に差はない。とくにタクシーと飛行機はプライベートな空間を持てるということで自動運転車と類似する。では現在そこでどれほどのビジネスができているか、と考えればおのずと答えはみえてくる。

車はそもそも自分で操縦するというエンタメ性とブランド価値による所有満足があるから冷蔵庫や洗濯機などに比べてはるかにエモーショナルな消費財だ。市場規模もけた違いに大きい。だからこそ、ITとの結びつきでなにかでかいマーケットが存在するのでは、とIT業界は思うのだろう。
しかし自動運転車は運転するというエンタメ性が失われ、さらに所有からシェアにかわり、電車やバスとおなじ「単なる輸送機器」になる。モビリティという意味では革命的な変化が起きるだろうが、その車内でなにか革命的なことが起きる必然性はなにもない。