ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

モスクワ・夜の最前線

2012-11-11 22:37:28 | ヨーロッパ

 ”SEX”by Винтаж

 ロシア~東欧あたりの女性ポップスのCDジャケなど見てゆきますと、女性歌手の主な仕事はセミ・ヌード姿をジャケで披露することなんじゃないか、なんて疑いたくなるような、まあなんと言いますか、嘆かわしいといいますか嬉しくなっちゃうような状況があちらでは続いている訳ですが。ほんと、そんなジャケばかりだよなあ。

 例えばロシアの男女三人組グループ、ヴィンターシュが2009年にリリースしたこのアルバム、ジャケ写真など見ますとその中央、革下着&網タイツ姿のボーカルの女性が目隠しなんかされて気怠く足を投げ出し、床にはロウソクが”SEX”という文字の形に並べられている。
 実にわかりやすい。これでアルバムタイトルが”SEX”ですからね。収められている曲名も”ストリップ”とか”セクシー・ダンス”とか。これなんぞはロシア男性の性の欲望、根こそぎ頂戴いたします的グループの個性が一目で分かる公式になっておりますなあ。
 などと思っていると、実はこのグループ、ロシアの若い女性たちから圧倒的な支持を得ているなんて情報が入ってきて、あれあれ、と。わからんものですねえ、よその世界の流行りものの実情。

 そういえばこのグループ、女性同士のレズ愛憎劇などテーマにした曲でロシアのポップチャートの一位を取ったりしていて、なるほどあの楽曲は、その種の需要(?)に答えたものだったのかと、今頃になって頷けるものがあったりで。ただ女性向けエンターティメントの現場における性の混沌、我が国の例えば少女マンガなんかでは定番はホモですが、ロシアではレズなのか?まあこの辺、よくわからないんで今後の研究課題といたしますが。
 そうすると、あのジャケ写真の件もどうだかわからん。あながち男性のスケベな欲望を満たすためじゃなく、むしろほら、昨今の若い女性相手のファッション誌なんかの表紙は、男性向けグラビア誌と区別がつかないくらいセクシーなこしらえの若い女性タレントの写真を使っていますでしょう?あれと同じ理屈なのかなあ、などと想像してみたりするのですが。

 ともかく、あちらにはエロティック・エレクトリック・ポップなんてジャンルがあるみたいなんだけど、その中枢に位置するグループと思われます、このヴィンターシュ。
 サウンドはロシアにありがちなエレクトリック・ポップなんだけど、さすがトップグループとなると一本調子なんてこともなくて、緩急織り交ぜ、いろいろサウンド・コラージュを取り入れたりなどもして、飽きさせません。
 ロシア語の無骨な響きをよく生かした陰鬱なマイナーキーのメロディを、打ち込みのリズムの上で焼け付くような焦燥感を振りまきつつのたうちまわらせて歌う女性ボーカルも聴き応えあり。

 そんな具合で、極寒の内で焼き付かんとするロシアの夜の最前線は、今夜もねちっこく燃え上がるのでありました。



アイルランドの歌の泉

2012-11-10 04:16:08 | ヨーロッパ

 ”Legacy of A Quiet Man”by Sinead Stone & Gerard Farrelly

 映画監督のジョン・フォードが、自身のルーツであるアイルランドを舞台に、緑豊かな大自然の中でアイルランドの人々が繰り広げる心温まる恋愛物語を詩情豊かに描いた名作、「静かなる男」の・・・とか、最もらしく書き出してみたが、実はその映画、見たことがないんでお話にならないのでした。毎度、こんなんですまん。一度、見てみたいものだと思っているのですが。
 これは、その映画の主題歌である”The Isle of Innisfree”を作ったアイルランドの国民的作曲家、Dick Farrelly(1916-1990) の作品集。トラッド畑の歌手、Sinead Stone をボーカルに、亡き作曲家の息子、Gerard がピアノを弾く、という形であります。

 それにしても、なんと心洗われるような美しい旋律ばかり並んでいることかと、これには、オーバーな話だが唖然とさせられてしまう。
 その作品には”The Isle of Innisfree”のようなトラッド色の濃い歌曲もあれば、その当時の流行を意識したような、いわゆるポップスっぽい表情を見せる楽曲もある。だがいずれも、その芯に水清きアイルランドの春の息吹がそのまま封じ込められたような、清冽な美しさを孕むメロディばかり。
 やはりここはアイルランドの土地柄を考慮してケルトの響きが云々、なんて話をはじめるのが常道なのかも知れないけれど、確かにこの作曲家には、そのようなものさえ飛び越えて、ピアノ越しにアイルランドの土地の精霊と直に会話を交わしていたのではないか、などと考えてみたくなる浮世離れのした霊感の感触があるのだった。

 ジャケの説明を読んでみると、ほかに本業を持ちつつ、おそらくは半アマチュアみたいな立場で、それでも生涯、歌を作り続けた人のようだ。また、作曲ばかりではなく、自身の書いたメロディにはほぼ全てに彼自身のペンによる歌詞が付けられていた。この辺のエピソードは、厳格な芸術家というより、いかにも街の愛好家らしい趣があり、好感が持てる。
 静かな生涯を送ったのだろうな、などと勝手に想像してみる。そして、アイルランドの野山の風景を思い浮かべてみる。尽きることなく湧いて出てくる美しいメロディに聴き惚れながら。



ティップちゃんのおしゃれモーラム

2012-11-09 02:54:53 | アジア

 ”O.K. BOE AI”by KAWATIP THIDADIN

 初めてこの子の歌う姿を You-tube で見たときは、「やあ、ついにこんな子が出てきたんだな」と、すっかり嬉しくなっちゃったのでありました。
 タイ東北部の、まあ言っちゃあ悪いがド田舎の泥臭いローカル歌謡、モーラムを、こんなに新しい感覚で歌う女の子が現れた。それも、とてつもなくカッコいいサウンドを引き連れて。しかも可愛い。なおかつ現役女子大生であるというんだから。一体どこに文句のつけようがあるというんだろうか。
 なんか、これがセカンドアルバムなんだそうだけど、くっそう、デビュー盤、聞き損なっちゃったよ。まあ、このところタイって、あんまり気を入れて聴いていなかったからなあ。まこと、筒井康隆の言うとおり、全てのジャンルの熱狂的ファンであるのは物理的に不可能だ。

 思い返せば、タイのポップスを聴き始めた頃は、このモーラムみたいなローカル歌謡ばかり聴いていたものです。
 法事の時に坊さんが打ち鳴らす鳴り物みたいなパーカッションの打ち鳴らすねちっこいリズムに乗って、ドロドロの水田でのたうつナマズみたいにグネグネとコブシを回して、鼻の詰まったみたいなミャーミャー声で歌われる田舎の祭りの演芸みたいな音楽を聴くのが、何やら非常にスリリングに感じられた。汎東アジア的ファンキー感覚の源流に触れた、みたいな気持ちになっていた。

 でもまあ、人は飽きやすいものでしてね。そのうち、”洗練された都会のサウンドのうちに秘かに息づく民族の血”みたいな、そんな微妙な世界に興味が行き始めた。同じタイの泥臭歌謡でも、いくらか今日的な、まあ演歌であるルークトゥン、それもどちらかと言えばあんまり田舎臭くないものなんかを私は好んで聴き出していた。
 そんな隙(?)を突くように登場したのが、この KAWATIP THIDADINちゃんだったのであります。
 伝統色濃いディープな語り物であるモーラム歌謡のニュアンスを、アイドル的でさえある明るい歌い口で昇華し、キュートに聴かせてくれてしまっているわけですよ。で、ラストの曲なんかでは、ちゃんと田舎娘の素朴な心情なんかをほのぼの、かつネトッと聴かせてもくれるんで、このあたりも憎いですねえ。

 で、そのサウンドは。これはバックに付いてる連中の功績なんだろうけど、ヒップホップなんかの要素を入れ込みつつ、全く新しいタイ・ポップスのサウンドを作り出してしまっているんで、これも良い仕事してると思うわ。注意して聴いていると、色々なイタズラが仕掛けてあってね、あちこちでニヤニヤさせてもらいました。
 聴き終えて妙に心に残ったのが、3曲目あたりの、こういうのをラガマフィンっていうのかな、レゲのリズムに乗せて、やや影のある世界を聴かせる。こんなのもいいよな、いろんなことがやれるよな、とますます彼女の明日に期待してしまう私なのでありました。



「ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか」を読んで

2012-11-07 14:32:13 | 書評、映画等の批評

 「ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか」by 中山康樹(幻冬舎新書)

 タイトルそのまんまというか。ミック・ジャガーをはじめ、60~70年代のロックのヒーローたちは老境を迎えた今、なにを考え、どのように生きているのかを、彼らのその時点での新譜から読み取っていった書である。
 「全盛期」は遠く時の彼方に過ぎ去り、歓声を持って彼らを迎えたかってのファンたちも年を経て、多くのものは音楽ファンの看板さえ降ろした。そんな現実を前に、ただ老いて行くことも拒否して現役を続けるミュージシャンたちの戦いの記録である。

 とはいえ、ミック・ジャガーの、というかストーンズの新譜なら、まだ多くの人が買い、聴いていることだろう。また、同じ世代のたとえばポールマッカートニーの新譜なら未だ、大層な売れ行きを示すだろうが、同じ元ビートルスのリンゴ・スターのアルバムなど、誰が聴いているのか。
 ”あの頃”には大変な人気者だったクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルだが、そのリーダーだったジョン・フォガティの新譜を今、どれだけの人々が追い続け聴き続けているというのだろう。そしてエリック・バードンは。エルトン・ジョンは。グレアム・ナッシュは。

 などなど。著者はここで、律儀に彼らかってのロックスターたちの新譜を追い続け、それらの作品の検証を行う。浮び上がってくるのは、きらびやかな照明を浴びようが浴びまいが、時代の波に乗っていようがいまいが、彼らの人生は続いて行くということ。そして、それら与えられた時間の中で最善を尽くそうとする、老いたるロックスターの姿だ。そこに聖なるものを読み取るのもいいが、それより彼らの新譜、聴いてやったらいいじゃないか。
 などといっているが、この私も、かってのロック・ヒーローの新譜をきっちりフォローなどしていない。何しろだいぶん前にロックファンからワールドミュージック・ファンに宗旨替えしてしまい、一部を除いてロックそのものを聴かなくなって久しい身なのであって、あんまり偉そうな口は利けない。

 ちょっと例外的立場にあると思われるのは、ブライアン・ウィルソンのケース。彼の今日の活躍を「奇跡の復活」と誉めそやし、幻の作品であった「スマイル」の今頃になっての「完成品」を、「待たされたなあ」とか言いつつ買い求める連中のほとんどは、実は、ビーチボーイズ時代のブライアンを、つまり「スマイル」を「作り損なった」頃の彼をリアルタイムで知っていたわけではなさそうな気がする。
 彼らは、音楽ジャーナリズムがブライアンの復活に合わせて書き立てた「復活の神話」に乗せられ、ただ”祭り”に合流してみせているだけであって、ブライアンの音楽を何十年にもわたって支持して来たわけでもない。まるでそうであったかのようなことを言っているが。
 このイカサマのあたりに、我々の落ち込んだ歪みの世界を解く鍵がありそうな気もする。

トスカーナの夕影

2012-11-06 03:41:37 | ヨーロッパ

 ”L'ombra Della Sera”

 地の底から湧き出たる、陰々たる瘴気に満ちたメロディ。それは遠い昔に封印され、忘れ去られた筈の呪われた地下室の血の惨劇を物語る・・・
 イタリアのプログレ・バンドが発表した、1970年代イタリアのホラー映画へのオマージュ曲集である。ゴシック・ロマンっぽいジャケ写真にマニア心をくすぐられつつ中を覗けば、内ジャケのえげつない見開き写真に辟易させられる構造。イタリア人、濃いわ、やっぱり。

 なにしろかの国のプログレバンドのおどろおどろしくも重苦しいサウンドは、ホラー映画の映像に見事にマッチし、その種の映画のサウンドトラック作りはかの国のプログレバンドたちの良いバイト、いや収入の額から言えば、そちらがむしろ彼らの本職であった、などという話も聞いている。

 メロトロン、ミニムーグなどという、どちらかといえば過去の遺物くさい楽器群がくすんだ音像の壁を作り、70年代プログレ臭は濃厚に漂う。奏でられるのは荘重にして悲嘆に満ちたクラシカルなロック組曲。とても2012年、この時代に世に出た音盤とも思えぬ。
 ロックバンドの割にはメンバーにギタリストがおらず、代わりに前面に出て悲嘆の絶唱を聴かせるのは、なんとエフェクト処理をかまされたテルミンである。ヒュンヒュンとユラユラと揺らめき身悶えるその音像は、まさに現世と幽冥境との境目が失われた負の祝祭を統べる者の仮の姿にふさわしいものがある。

 終盤に至り、不意に鳴り渡るトランペットの響きにはやられた。その哀感あふれる侘しい音色は、昔々、確かにイタリア映画や、それからイタリア産のツイスト・ナンバーなどでいつも鳴り渡っていたあれだ。
 しかし時は過ぎ、東の空にいつしか日の出の気配が忍び寄る。かくて棺桶の蓋は閉じられ、幻の館は霧の中に姿を消す。そしてクソ面白くもない正論の罠は、元通り我が人類の世界を覆うのである。



Causway Bay の朝は変わらねど

2012-11-05 00:30:01 | アジア

 ”Purely”by Lily Chan

 窓から眩しい朝の日差しは入って来て、いつものように爽やかな朝が始まろうとしている。そう、それは確かな現実なのだ。けれど。
 吹き抜けて行く風の歌う歌に、なにか一筋の哀しみの節が混じっているような気がする。いや、そんな悲しみなど、あるはずはないのだが。
 何が悲しいのかわからない。頭を振って忘れてしまおうとするのだが、その正体不明の想いはなぜか、いつまでも心に残って消えることがない。街は、人々は、もうすでにエネルギッシュに今日一日の営みを始めているのだが。

 あのテレサ・テンのカバー集や、さらにさかのぼって戦前、上海歌壇のスターとして鳴らした伝説的歌手、周旋のカバー集など、印象に残るアルバムをたて続けに送り出してきた香港のリリー・チャンが、またも気になるカバー作品をリリースした。
 今回は、かっての香港ポップス黄金時代に男女スター歌手たちが世に送り出したヒット曲各種を再演したもの。香港ポップスに想い入れる者にはまさに、痒いところに手が届く選曲であり、ほのぼのと嬉しくなります。まさに俺たちの宝石だぜ、などと口走ってしまいそうな愛しきメロディたちの万華鏡。
 ああ、この曲がヒットしていた頃は、あんなことをしていたなあ。あの頃のあいつは、あの時のあの子は、みんな、どうしているんだろう。

 だが、時代を彩った名曲集とは言えリリーの歌声に過度の思い入れはなく、むしろ囁きやつぶやきに近いさりげないもの。まるで自らの心のうちに生きる思い出だけに向かって歌いかけているように。
 そんなリリーの歌声に合わせて、バックの音作りも室内楽的というのか、物静かなものとなっている。ピアノやギターの爪弾き、フルートの囁き、そっと立ち現れては消えてゆく控えめなストリングスの揺らめき。すべてが水彩画のような淡い色合いを持って、そっとリリーの歌声を支える。

 それにしても、この水彩画の世界に静かに降りしきる水色の悲しみの正体って、なんだろう?単に、過ぎ去った時代への感傷、そればかりではないように思えてならないんだが。



I.C の風の噂に

2012-11-03 00:33:47 | その他の日本の音楽

 ”厚木I.C”by 小泉今日子

 某誌の「小泉今日子特集号」を立ち読みしていて、取り上げられていた一枚のアルバムが妙に気になってしまった。2003年4月リリースの「厚木I.C」なるアルバム。
 そのタイトルが喚起するザラッとした手触りと、雑誌の記事内に縮小されて載せられたものであるのに強力な印象を残すジャケ写真。青白い光がにじむ街角に佇む、歌手コイズミ。
 私は昔から一貫して、キャンディーズ支持あたりから始まるグループ・アイドル好きであり、キョン2のようなソロ歌手に興味を持ったことはなかった。それゆえ、小泉今日子のアルバムを通して聴くのも、これが初めてだ。

 早朝なのだろうか、それとも夕暮れなんだろうか。ジャケを飾る写真は妙に青白い光に満たされた街角を、吸いさしのタバコを持って漂流するコイズミのさまざまな姿を捉えている。
 彼女がさまよう街は洗練されてはいるが、どこか埃っぽく地方都市っぽい、空っ風が吹き抜けるのが似合いの寂しさが染み付いているように見える。ここが厚木という街なのか。私は立ち寄ったことはない。と思うが。アル中の放浪者だった青春時代に足を踏み入れているのかもしれない。

 アルバムの冒頭の曲の歌い出し、「私は信じない私を」と軽いラテンのリズムに乗って歌詞は歌い出される。まさにしょっぱなから歌手コイズミの存在は自ら根を断ち切り、宙を漂い始める。漂いつつ、咲く花や行く雲やサヨナラについてなどが物語られて行く。もうとうにアイドル歌手などと言ってはいられない年齢の歌手コイズミである。

 たとえば、かっての同級生たちに連絡を取る必要に駆られ、住所録などひっくり返すと、人は消えてなくなってしまうものなのだなあ、などと唖然とさせられることがある。容赦のない時の流れと気まぐれな運命の風向きの狭間で。人は、まるで溶けるようにその足跡を消してしまう。何処へか。一人一人。刻々と。確実に。
 だから人は、儚い灯火を掲げて暗闇を灯し、知り合えたはずの人の名を遠く呼んでみたりする。花に寄せる想いの歌が凛と響いたり、遥かな雲に失われた時の行方を追ってみたり。

 それから、厚木基地のフェンスにもたれて、「よからぬことを考えている」と笑ってみせたりする。



まとめを忘れてました(汗)ツイッターでの発言2012年上半期抜粋

2012-11-01 15:11:16 | つぶやき

2012年10月31日(水)
DIYの店で工具を買っていたらオシッコしたくなった。店の前庭の園芸用品売り場の隅にプレハブのトイレがあったので、そこで用を足す。直後に気がついたのだが、これは使用するためのトイレではなく、仮設トイレの見本として置いてあるものではないのか?値札も付いてたし。とりあえず逃げといたわ。

2012年10月06日(土)
今日は「世にも奇妙な物語」をやっててくれていいよなあ。もう、テレビドラマでも映画でも稲川さんの話でもいいから、一日24時間、一年365日、ず~っとホラーものを放映し続けるチャンネルってのが出来たらいいのになあ。

2012年09月17日(月)
@E-----Na ヒップホップと繋がっとるのはマイルスよりもむしろコルトレーンだと。
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@mgo 高名なジャズマンたちに擦り寄って権威付けを得ようとする心の卑しさよ。ジャズなんか蹴飛ばしてやれよ。 RT

2012年09月13日(木)
NHK総合で「麒麟の川島、京都で庭師に挑戦」なんて番組をやってるのだが、そのコーチ役の庭師の発言がいちいち芸術家ぶっていて、鼻につく。あれが京都人のノリですか。それとも全ては番組の演出?だとすりゃ悪趣味なことよなあ。

2012年09月05日(水)
CMといえば、なんで今頃になって大滝詠一の「ロングバケイション」の中の曲があちこちで使われているんだ。いかにも「日本の文化、すっかり手詰まりです」みたいな感じで、パッとしないぜ。

やい、プロミス。「もっとお客さんの立場で考えるとかね」「それいいっ」なんて会話、”セールスレディ”の連中がするわけないじゃないか。嘘くさいCMだな

@shi----ku 松山晋也さん北中正和さん関口義人さんピーターバラカンさんサラーム海上さんがこぞって賞賛してるのにまだ信じない人ってどうなのよ?
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@mgo 有名ライター陣が”こぞって賞賛”しているから信じるって発想もいかがなものか。 RT
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@shi---ku 知名度の問題ではありません
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@mgo その割にはご自身の文章の書き出しが、「僕みたいな無名ライターが絶賛しても、半信半疑なのはわかるけど」でしたが。 RT 。

2012年09月04日(火)
やい、ハウス食品。この炎天下にシチューのCMとか流してんじゃねえやいっ。

今、テレビに小森純が出ていたが、あの女の存在理由というものがさっぱりわからない。特に面白いことを言うでもなし、彼女に性的幻想を持つ男もいなかろうし、「あんなふうになりたい」と憧れる女がいるとも思えない。一体小森純は視聴者の、どんな需要を満たしているのだ?

2012年08月08日(水)
例の「高校生がイジメで腕に20数箇所も”根性焼き”された」事件。被害者の方を退学させようとした妙な学校の事、あちこちで報道されたが、なぜか学校名はどこも報じない。このまま伏せた状態で行く気なのかね?それとも、高校野球で仙台育英高校が敗退するまでは伏せておこう、ってことなのかね?

2012年07月18日(水)
「クーラーの温度を高めに設定したら・・・ふう、やっぱり暑いですねえ」「でもお母さん、かき氷がとっても美味しくなったよ!」とかいう”民放連”の節電アピールCMの気色悪さ。そんな嘘くさい親子の会話があるもんか。

2012年06月15日(金)
あくまでも事件の顛末とは関係の無い話なんだけど、ゴビンダ・マイナリ元被告の奥さんと娘たちのルックスやその仕草が、なんか胡散臭く見えてならない。だからどうだと言うのではないが。→「マイナリ元被告 成田から出国(読売新聞 06月15日)」

2012年05月26日(土)
さっき日テレで、またぞろ「幸せの国・ブータン」とかやってたけど、もういい加減、鼻につくよね。何か別の角度からの北朝鮮なんじゃないのか。かの国の秘密の地下牢には「それでも私はこの国に幸せを感じない」とか呟く”思想犯”が鎖に繋がれていたりしないか。

2012年04月05日(木)
本日の”お、ラッキー!”と思えた瞬間。お湯を沸かしていたら、ピーピー・ケトルが古い演歌のメロディを一瞬、奏で始めた時。

2012年03月29日(木)
@Ic----ss ファンクやR&Bがジャズの子供だとすれば、ヒップホップはジャズの孫だと思う” 菊地成孔 
 ↑
@mgo ジャズの子供はジャズしかいないし、ファンクやR&Bにしたって芸術ぶりっこのジャズを親と認めるようじゃ腑抜けと言うしかないだろう。雑なことを言うな、菊池とやら。 RT

2012年03月03日(土)
「演奏者だけが盛り上がって聴衆は冷めているのは三流、 聴衆も同じく興奮して二流、 演奏者は冷静で聴衆が興奮して一流。」なんて指揮者カラヤンのセリフを”名言”として引用しているツィートを見たんだけれど、そんなの、尊大な権威主義者としてのカラヤンを象徴する嫌味なセリフとしか思えない。

2012年02月24日(金)
”古民家の再生を手伝った”なんてことで「チャラチャラしている奴と思ったらそうでもないな」と認識を変えるなんて、お前の人間評価の底は浅いなあ、ダイハツのCMのオヤジよ。

2012年01月26日(木)
”ヘーベルハウス”のCMより→「やはり都会に住もうと思う。広さはないが豊かさがある」悪かったなあ、田舎は貧相で。コメントを読んだ細野晴臣、覚えとけよ、貴様。