ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

聖トノレクの受肉

2011-06-16 00:37:24 | 南アメリカ

 ”Los Pasos Labrados”by Tonolec Folk

 しばらく前からちょっと面白い試みに取り組んでいるアルゼンチンのユニットの最新作が届いた。
 アルゼンチン北部に住み、文明と隔絶した暮らしの中で独自の文化に生きるアメリカ大陸先住民、トバ族の音楽を独特のアプローチで取り入れた音楽をやっているのだ。ちなみに男女二人のメンバーは白人系のアルゼンチン人で、直系のトバ民族というわけではない。ただ、トバ族の文化に惹かれ、彼らのコミュニティと深い交流を行なって来た、とのこと。

 彼らの前作(あれが多分2ndアルバム?)は以前、この場でも取り上げたが、打ち込みやらサンプリングやらというエレクトロニックの要素と、トバの民俗楽器を含むアコースティックな楽器の響きの取り合わせで、トバ族の音楽の今日的展開とも言うべき作業を行なっていた。その音楽志向は今回も同じ。
 ただ、前作までは純文学的というのか、誠実に異文化と向き合おうというメンバー二人の生真面目な姿勢が正面に出た、ある種生硬なサウンドだった。それが今回、吹っ切れたと言うのか、ずいぶんと生き生きしたものに変わっている。

 ボーカル担当の女性メンバーは独特の脱力感漂うコミカルな歌唱法をものにし、ずいぶんと自由奔放な歌声を聴かせてくれるようになったし、音作り担当の男性メンバーも、電子音楽と民俗音楽の混交の中から独特のグルーブ感を生み出しかけているようだ。
 頭でっかちで理論先行のバンドのサウンドに血肉が通った、とでも言えばいいんだろうか。
 これは良い知らせと思う。今後、彼らは”興味深い動きを見せる連中”から、”次作が非常に楽しみなバンド”へと、私の内では格上げとさせてもらった。面白くなってきたところで解散、とかありがちなボケをかますことのないよう、くれぐれもお願いしたい。





「見えない私」に捧ぐ哀歌

2011-06-14 01:50:53 | アジア

 ”ROAD MOVIE ”by Zi-A

 「顔のない歌手」なんて妙な話題で注目されちゃった歌手、韓国のジーア(Zi-A)嬢のお話でございます。
 1986年生まれの彼女は2003年、新人スカウトのためのコンテストで優勝し、歌手となります。その音楽性と歌唱力は早くから評価され、あちこちのイベントやレコーディングにゲスト参加の後、2007年に発表したデビューシングル、”Voice of Heaven”は、文字通り天国へ導いてくれるような美しさ、と評価も高かったんですが。
 そんな彼女は、”鋭敏過ぎる自意識”という、困ったものを内に飼っている人だったんですね。

 まあ、そのようなものは適度に存在していればむしろ、表現者には有利に働く属性とも考えられるんですが、「人前に私の顔を晒したくない、人に見られたくない」ってんじゃ、なかなか厳しいものがあります。実に彼女、そういう人だったんですね。まあ、よくそんなんで芸能界に入ろうなんて気を起こしたものだという気もしますが。
 ともあれ、そんな事情から、彼女はその素顔を明かさない歌手としてデビューすることとなったのであります。
 彼女のCDはこうして発売され、そして次々にヒットしちゃったんだから面白いもので。「顔が秘密の歌手」ってのも、むしろ人々の好奇心をくすぐる結果となっていたようですね。

 もちろん、売れたからってライブなんか出来やしないんですよ、人前に顔を出したくないんですから。まあ、それでも売れたから良かったものの。
 そうこうするうち。心無い噂、なんてのも立つことになります。まあ、話はシンプル。「覆面歌手のZi-Aって、なんかすげえブスらしいぜ」「だから顔を出さないのかあ。やっぱりなあ」なんて話がネットで花盛りとなる。それに心を痛めたZi-A嬢はついに失踪騒ぎまで起こすこととなります。あちらのネットは、なんか凄いらしいですねえ。
 さて、その後、彼女はどのような運命を辿ったか?まあ、それに関してはいずれ気が向きましたら、ということで。

 とりあえず今回は、彼女が人々に顔を見せない歌手であった時代に出したヒット曲を集めた、このデビュー・アルバムをご紹介。
 これは私も大好きなアルバムですね。Zi-A嬢の良く伸びる高音を生かした美しいバラードばかりが満載の一枚。聴いていると、彼女のガラス細工のように壊れ易い感性が、その底で震えているのが見えてくるようです。
 ピアノのアルペジオや揺れ動くストリングの流れの中で、スッと糸を引いて流れて行く透明な哀しみの感情。切々と想いを伝える歌唱は、なんだか痛々しく聴こえもします。

 なんたって、下に貼った彼女の最大のヒット曲のタイトルが「愛してる、ごめんね」ですからねえ。「私なんかが愛しちゃってごめんね」いいから。そういうことまで気を使わなくて、いいから。





遥かなる海熊の呼び声

2011-06-13 02:02:09 | ヨーロッパ


 ”We Built A Fire”by Seabear

 以前、その1stアルバムを紹介したことのあるアイスランドのロックバンド、”Seabear”の、昨年出た2ndアルバムが手に入った。なんか不思議なジャケ画であり、こんな絵、どこかで見たことがあるけど、なんだったかなあ?なんか、雑誌”ガロ”周辺で昔、良く見た記憶があるんだけれど。
 結構大人数でやってる割には隙間の多い音、それもなにやら柔らかく丸っこい印象のフォークロックを聴かせるバンドだ。爽やか、というのを通り越して淡いコーラスを従え、決して激さない語り口調のボーカリストが紡いで行くのは、素朴と言うか牧歌的なメロディライン。

 以前にもこんな感想、言ったかもしれないが、彼らの歌には擦りガラスの向こうの風景を覗いているイメージがある。
 そのおぼろげな風景の中に、”夏の終わりの市民プールで夢中になって泳いでいて、気がついたら日は西に傾き、プールサイドに人影はすっかり減って、薄ら寒い風が吹き始めていた中学時代の思い出”みたいな、独特の懐かしさを漂わせた物悲しさが一貫して響いている。それは結構癖になる個性であり、生活の中で心が疲れたとき、ふと思い出して聴いてみたくなる、そんな効用を彼らの曲に付与している。
 心が折れそうな時、たとえばこんなに日曜日の深夜、一人で休みなく振り続ける雨の音を聞きながらつまらないことに心痛めている、こんな時にはね。

 それにしても、”ライオン・フェイス・ボーイ”で始まり”ウルフ・ボーイ”で終わる収録曲であり、その狭間には”木製の歯”やら”柔らかい舟”やら”暖かい血”なんて曲が並んでいて、これは歌詞が知りたい、きっとユニークな歌詞世界なんだろうなあと興味を引かれるものの、歌詞カードもなく、もちろん、そんなややこしい歌詞を聴き取れる英語能力があるわけでもなし、とりあえずはどうにもならん。もどかしいなあ。

 擦りガラスの向こうの曇り空の下から、Seabearのメンバーたちの遠い声が聴こえてくる。呼びかけて来る、呼びかけて来る。
 それに応えたいのだが、なにを話しかけられているのか分からないのだから応えようもなく、私はただ座り込んで彼らの歌を聴いている。タオルを肩にかけてプールサイドを立ち去る後ろ姿は、坊主頭の中学生の頃の私だ。夕陽はすでに山の端にかかっている。



アメイ行き最終列車

2011-06-11 02:27:15 | アジア


 ”BAD BOY”by 張恵妹(A-MEI)

 俺ってバカじゃね?「今頃気がついたのか」とお笑いの貴兄に。いや、すんませんなあ、毎度毎度ご迷惑かけて。

 いやなにがバカってねえ、この9日に私、この場でアフリカン・ポップス古層発掘盤”アナログ・アフリカ”の中の一枚、”Afro-Beat Airways”について書いたでしょ? あれ、CD置き場の片隅でほこりを被っていた盤を見つけて「お、これは忘れないうちに論じておかねばならん」とかいいつつ慌てて文章をアップしたんだけど、後で調べてみたらちょうど一ヶ月前、盤を手に入れた直後にすでに記事にしていた盤だったのでした。今頃気がつきました。
 ボケかましちゃったなあ。同じアルバム、2度紹介しちゃったよ。検索でこのページに来た人、なんと思うだろう?かっこ悪いなあ。恥かしいからどっちか消そうかと思ったんだけど、まあどうせ書いたんだからそのまま残しておきます。バカにするがいいさ、ふんっ。

 とか、これがはじめてのつもりで書いてるけど、以前にもこんなこと、やっていないと言う保証はない。もうずいぶんいろんな盤を話題にして来た。記憶巣はすっかり錆び付き、自分でも何をやってしまうやら、何の自信もない。まあともあれ、気をつけていかねばなあ。
 という訳で今回、台湾の人気歌手の阿妹(A-Mei)こと張恵妹が1997年に出した、彼女にとっては初期作品、2ndアルバムの”Bad Boy”であります。大丈夫、昔に手に入れたアルバムだからと言って、過去に取り上げた作品を再度論じてしまう心配はない。だってこのCDには、まだシールで封がしてあって買いはしたものの一回も聴いていないこと、丸分かりなんでね。いや、これだって、せっかく買ったCDを10年以上も忘れていたのかよ、というバカの証明になりかねないが。

 A-MEIは1972年、台湾の生まれ。のど自慢番組で25人抜きをやったのち、台北のライブハウスで歌っていたところをスカウトされ、1996年12月、デビュー。 1stアルバムは連続9週売り上げチャート第一位と大成功で、ついには台湾だけで売り上げが100万枚を記録し、一気に人気歌手となる。
 なお、彼女は台湾先住民のプーマ族(卑南族)の血を受け継いでいる。彼女の登場によって台湾では先住民の歌い手に注目が集まり、ちょっとしたブームになった、なんて余談もあるそうな。
 このアルバムはデビュー・アルバムの成功を受けて翌年、リリースされたもので、これもまた連続売り上げNo1.を記録し、台湾のみならず中国本土や香港、シンガポールにまで、彼女の人気は広がっていった。

 で、何で私がせっかく買ったこのアルバムを聴かずに放り出していたのかといえば、彼女の”台湾先住民の血を受け継ぐ歌手”って所に過度の思い入れをしてしまったから、ということになる。
 先住民独自のポップスというのは台湾には確かに存在していて、独自のジャンルを形成しているのだけれど、A=MEIもそんな音楽をやっているに違いない、こリャ面白そうだぞと。
 ところがそんな私の期待を裏切って、どうやら音楽のジャンル的には普通のポップスをA-MEIはやっているようだと知って、ガックリしちゃったのだ。なんだ、そうと知ってりゃ、この間見かけた2ndアルバム、買わなかったのになあ。ああ、損した。と。
 さて、10数年の恩讐を越えて(?)こちらの勝手な期待も捨てて、あらためて虚心坦懐に聴いてみるA-MEIの歌声は。
 うん、これがなかなか良いのだった。あやあ、これなら素直に彼女の音楽を受け入れておけばよかったなあ。

 一部では”台湾のアムロ”と渾名される彼女、見かけはアイドルっぽいけれど、その地声は結構太く力強くドスが聴いていて、ある種、オトコマエな魅力さえ感ずるキップのよさがある。しゃがれ声を張り上げてシャウトなんかすると、相当にロックなヤサグレ感が漂い、これも良い。
 ともかく、熱くハードなナンバーを歌い上げても、その底には結構クールでハードボイルドな闇みたいなものが潜んでいる歌声で、4曲目のようなジャジーなナンバーを歌うと、深夜の都会の裏通りに野生のケモノが迷い込み、月に浮かれてジャンプしている、そんな幻想的な風景などまで浮かんでくる。
 このあたり、彼女の個性なのか部族の特性が表に出てきているのか、まだ良く分からないんだけれど、ちょっと聴いていて血が騒ぐ感じだ。

 うう、こういうことなら。実はA-MEIの新作アルバムが相当に傑作であるらしい、そんな噂が伝わってきているのであって、これは”買い”だろうね、そのアルバムも。と、何をいまさら、なA-MEIファンは舌なめずりするのであった。うん、彼女は良いよ。今頃気がつくのもドンくさくてカッコ悪いけどな。



アフリカの夜の翼

2011-06-09 05:06:47 | アフリカ

 ”Afro-Beat Airways: West African Shock Waves”

 あっと、この盤について、まだ何も書いていなかったっけ?こりゃいけませんなあと慌ててキイボードを前にしたんだけれど、いまさら説明するまでもない、皆さんもこのシリーズをきっと愛しておられるはずだ、そう信ずる。”アナログ・アフリカ”のシリーズ、今回は第8集、”アフロビート・エアウェイズ”である。

 1970年代の西アフリカはガーナやトーゴと言った国々の夜の大気をますます熱くやかましくかき回した、現地の名も無きバンドマンたちが地元のレコード会社に残した録音が、ビッシリとこのCD盤に染み付いている。そんな因果な記録を入手できて、今回も最高にご機嫌な気分である。
 正気の沙汰ではないアフリカ音楽の愛し方を実行する一人のドイツ人マニアにより発掘され、全世界相手に暴露される、このアフリカのローカルポップス。その実態はアフリカ風に誤読された狂乱のファンク・ミュージックだ。つまりは、本場アメリカの黒人たちより西欧風の常識からはより自由な立場で暴れ狂った者たちの騒動記である。

 聴いているとだんだん、ホーン・セクションなどの微妙なチューニングの狂いが妙にファンキーで心地良かったりするようになる。
 これはもちろん、彼らの演奏の稚拙部分を馬鹿にして言っているのではないよ。当然、本気で褒めているのでって(と、いちいち断らねばならないのが悲しい。文章表現を正面からしか読めない、想像力の乏しい人がいるんだよねえ)
 ともあれ。ファンとしてはむしろ、「正しいチューニングになんて合わせてやらねえっ」ってな心意気が嬉しくなるのだ。オザキユタカも歌ってるべ、「行儀良く真面目なんて出来やしなかった」とね。

 その、最高にご機嫌にチューニングがあやふやなホーンセクションのアンサンブルの中から唐突に、妙にスムーズなノリのジャズィーなアドリブが飛び出してくる唐突さが楽しい。こいつら、”いわゆるテクニック”は、あるのかないのか、どっちだ?
 ほんと、オモチャ箱をひっくり返したみたいな音楽なんだよなあ。
 そして、あちこちのバンドがフィーチュアしている、最高にファンキーなオルガン・ソロ。こいつはやっぱりこの世界の大看板と言えるだろう。

 豪華すぎるブックレットは今回も封入されていて、アフロ・ポップスの歴史が放つ臭気までも伝えてくる。とりあえずCDジャケの裏の写真はどうだ。精一杯着飾り、現地のバーで一杯やっているメンバーを挟んで座っているホステス風の女たち、こりゃどう見てもオカマでしょう。どういう会話がなされているんだろうなあ。
 その他、いかにもうさんくさいアフロ・ヘアーに裾広がりすぎのベルボトムのジーンズなどなど。メンバーのファッション・チェックもかかせません。ともかく、各場面のそこここに実にパワフルないい加減さが強力な芳香を放っている。

 それにしても。こんなに途方もない時間が、もう過ぎ去ってしまっているなんて。





アベマリア、そしてアベマリア

2011-06-08 02:10:17 | クラシック裏通り

 ”Pianissimo”by 田部京子

 「君と語る無上の喜びの約束なんてもうどうだっていい。僕は当分、マリア様のこと以外、考えまい」と日々の倦怠への苛立ちをペンで叩き付けたのはアルチュール・ランボーだったっけ?だがさて詩人よ、あたり一面、マリア様だらけになってしまったら、君はどうなさる?

 その収録曲目構成に唖然とさせられてしまったアルバムである。
 まず冒頭から”アベ・マリア”という表題の曲が4曲、たて続けに演奏される。作曲者はシューベルトやらモーツァルトやら。それに続けて、”子守唄”として知られた曲が8曲連続。作曲者はシューベルトやらブラームスやらサティやら。そして締めはドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」に始まる幻想曲集という次第で。
 なんだか若き日、彼女を連れてはじめてのドライブ、なんておりに張り切って作ったカー・ステレオ用のカセットテープの中身、なんてものを思い出してしまったりもする。お気に入りの曲、隙間なく満載。
 それと同じ様なことがジャケの解説でも語られている。今回は田部京子のピアノで聴きたい曲を遠慮なしに並べてやった、と。

 クラシックの世界はまるで知らないが、こんな、ある種奇矯な試み、容認される風はあるんだろうか。といったって、とうにCDは出てしまっているのだから仕方あるまいが。
 もっとも演奏自体は背筋をスッと伸ばした、凛とした矜持のうかがえるもので、むしろ格調は高い。「甘過ぎにならず、上品なお味に仕上がりましたなあ」とか、なぜかお料理番組で、なおかつ京都弁で褒められるシーンなどが関係ないけど頭を過ぎった。
 つまりは快感原則に拠って並べられた曲たちだが、演奏者の深い内省による繊細極まりない曲解釈と表現により、むしろ逆の、ストイックな美の探究の場に、ここはなってしまっているのだ。
 砂糖菓子で作られた宮殿のレプリカが、練磨を経ていつしか実物以上の輝きを放ち始める姿に見惚れるばかり。

 残念ながらこのアルバムの中の曲はYou-Tubeには見つからなかった。田部女史のファンの人が、彼女のタッチを真似て弾いているものがあったけど(→)しょうがないから、ニューオリンズのR&Bの名歌手、アーロン・ネヴィルの歌唱でも貼っておく。私のような世俗音楽ファンには、シューベルトのアベマリアって、こっちの方が馴染みがあるのね。




アイルランド、朝霧の丘に

2011-06-06 01:55:32 | ヨーロッパ

 ”Song for the Journey”by Annmarie O'Riordan

 彼女、アイルランドのトラッド歌手だそうな。私にははじめて聴く人なのだが、これが4枚目のアルバムとの事。だが、もう2~30枚は出しているんじゃないかと思うような貫禄だ。太い声質の悠揚迫らざる歌唱で、私などは、はじめてドロレス・ケーンを聴いた時など思い出したのだった。

 歌われているのはアイルランドの伝承曲、および新作のフォーク曲など。すべて、しみじみとした味わいのある美しいメロディのスロー曲ばかり。伴奏陣は品の良いトラッド演奏のマナーで、必要最低限の音数で彼女の歌を支える。
 ”アメイジング・グレイス”とか”オールド・ラギッド・クロス”といったアメリカの古謡がアイリッシュの癖の強いコブシ付き歌唱法で歌われると、開拓時代の北アメリカ大陸で焚き火を囲む移民たちの姿など浮んでくるが、それらの後であまりにも有名なドボルザークの”帰郷”が歌われるのだから、実際、そのような意味合いのある選曲なのだ。

 よくもこれだけ切ないメロディばかり集めたものだと思うが、すべて強力な郷愁の想いを含みつつ歌い上げられる。朝霧に包まれた、目覚めたばかりの北の森のイメージが広がる。歌の響く先、そこここに朝露が光り、生まれたばかりの世界を祝福する。音の向こうから漂ってくる深い森の緑の香りに、その緑の想いにむせ返りそうだ。
 アルバムに織り込まれたあまりに強力な郷愁の想いに、こちらもつられてアイルランドの緑の丘に帰ってみたくなるのだが、いや、行ったこともない土地に、帰りようもないのだった。




初夏・エテルナ

2011-06-04 01:39:33 | ヨーロッパ

 ”MISTIKOS PROORISMOS”by EFTIHIA MITRITSA

 さっき。夜の10時過ぎくらいだったかな、所用あって近所のコンビニに買い物に行ったのだけれど、海岸通りを流れる空気のうちに、ちゃんと初夏の息付きが流れ込んでいるのに驚いたのだった。人の気持ちを妙な胸騒ぎに誘い込む、この空気の不思議な生暖かさ。今夜、初夏が私の町にもやって来た。
 ほんの2~3日前には近所の人たちと「この季節にこんなに寒いなんて。自然がどこかおかしくなっているんだよ」なんて話をしたばかりだったのだが。この春から、人々の意識の背中辺りにのしかかって去らぬ重苦しさ。あの”終わりの季節”の囁きにもめげず、春の約束は今年も果たされようとしている。
 海岸通りの交差点あたりの灯りは当世風に自粛の風が吹いて薄暗くはあるが、いつの間にか季節の巡りは律義に、このちっぽけな町の通りに今年もやってこようとしているのだった。

 20代半ばかと想われるギリシャの女性歌手のデビュー盤である。歌手の名前をどう発音するかなんて、見当つけることさえ諦めた。(このタイトル、”秘密の約束”って意味じゃないかなんて気がするんだが、どうですか?)
 瀟洒、という言葉が非常に似合う出来上がりとなっていて、一発で気に入ってしまった。どこか不機嫌な表情をその底に漂わせ、イチゲンの、ヨソモノの食い付きを最初は拒否さえしてみせるかのような偏屈なギリシャ・ポップスにしては珍しく、なんて言い方もどうかと思うが、ともかく非常に素直にポップスとして楽しめた、という話である。

 20代の女性にしてはずいぶんと落ち着き払った歌唱だが、まあ、ヨーロッパ、それもギリシャだから。そんな大人ぶった、退廃さえ漂わせる歌声の中からこぼれ落ちる甘酸っぱい青春の日々の感傷。相当周到な計算の元に作り上げられた、そんな構図。アコースティックな、フォークっぽいつくりのサウンドに巧妙にギリシャ伝統のブズーキの響きが紛れ込み、当世西欧風なポップスの流れがいつか、濃密なギリシャ・ポップスへと合流して行く。
 悠久のギリシャの歴史の厚ぼったい重圧と 古きヨーロピアン・ポップスの倦怠。張り巡らされたクモの巣のような時の堆積。その狭間を縫って噴出してくる、芽生えたばかりの青草の輝き。この構図もちょっと良い感じだ。




ワン・レイニーナイト・イン・サイゴン

2011-06-03 04:30:58 | アジア

 ”Ao Hoa - The Best Of Nhu Quynh 2”

 しのつく雨がうっとうしく降りつのる夜などには、なぜかシンセ関係の音楽を聴く事が多かった。宅録の多重録音でシコシコお宅っぽく作り上げた無機的な音が描き出す虚構の銀河の囁きなどに耳を傾けて自分を閉ざしているのが、そんな雨の夜の無聊を慰めるにはふさわしく思えた。
 最近はこの、米国在住のベトナム民歌系ポップスの歌い手、ニュ・クインの歌など聴いて過ごす方が多くなった。たとえば今日のように。
 しっとりと濡れたような歌声で南アジア特有の湿度と哀感を多く含んだ歌謡をしとやかに歌い上げるニュ・クインの音楽が、湿っぽい夜をやり過ごすのに、大いに救いになると思えるのだった。

 彼女の音楽をこの場で取り上げるのは2度目、一度目はこのベスト盤のパート1について書いたのだった。今はアメリカに住み、世界中のベトナム人社会に向けてベトナム歌謡を歌い続ける彼女が放ったヒット曲を集めた、CD2枚組のシリーズのこちらは2組目。とはいうが、3や4が出る事があるのかどうかは知らない。ともかく。まだ若いのにこのようなボリュームのベスト盤がたて続けに発売されるくらい、彼女は人気者であるといい事なのだろう。
 今、ざっと聴いてみている最中なのだが、こちらは一枚目より若干地味と言うか落ち着いた感触の作品が多く感じるが、これは私の今の気分に左右された感想かも知れず、あまりあてにはならない。ともかく資料が見つからないので、各曲の発表年代等の最低限の記録もなしで聴いているのだ。

 一枚目を聴いた時にも感じたのだが、バックのバンドの音がクリヤーというか今日の欧米のポップスを聴きなれた耳にも違和感がなさ過ぎ、なんだか不思議な気がした。いわゆる第三世界(こんな言葉、今どき使わないか)のポピュラー音楽を演奏する現地のバンドが多く発している、西欧世界の最新流行の音との落差がまるで感じられないのだ。
 それで私は「そうか、アメリカ在住の彼女なら、アメリカ人に譜面を渡して演奏させているのだろうな」などといい加減な空想をしていたのだが。しかし、プロモーション・ビデオなど見る限り、バックの演奏もべトナム人によるもののようだ。普通にロックをやるようなバンド編成にベトナムの民俗楽器を加えた、ベトナム人によるメンバー編成。

 考えてみれば、ベトナム戦争終結前の南ベトナムはサイゴン市などは、当時のアメリカの世界戦略の最前線であり、世界最先端の音が届く快楽の巷であっても不思議はなかったし、そんな状況に生きたミュージシャンたちが今日、米国のベトナム人社会に流入していても、これまた不思議ではないはずだ。
 ニュ・クインの楚々たる歌の響きの底には、そんな歴史の傷跡が一筋の影を落としている。そう思うと、ますますニュ・クインの歌が魅惑的に感ぜられてきて、これはたまりません。それにしても良い女だよなあ、ニュ・クイン。





夜を往く歌声

2011-06-01 00:34:46 | イスラム世界

 ”From Night To the Edge of Day ”by Azam Ali

 そしてさらに”夜のムードミュージック特集”は続くのであった。

 さてこれは、西アジア風味のアンビエント・ミュージック的なものを売りにしてアメリカで評判をとっているグループのヴォーカルの人の2ndソロアルバムとか。前作も、そのグループの音も聴いたことはないのだが、このアルバムをひょんな事から耳にし、興味を惹かれた。

 イスラムっぽく、あるいはアジアっぽくメリスマのかかったヴォーカルが多重録音され、ゆらゆらと流れて行く。その後ろで殷々と響くシンセの和音と民俗楽器の音。イラン。トルコ。アゼルバイジャン。西アジア各地の民俗音楽の幻想が、夜を流れる霧のように無から生まれて海の上をひととき漂い、そして入り江を巡って虚無へと帰って行く。
 こんな幻想を私は幼い日、暖かい春の夜に空高くに見たような記憶がある。祭りの縁日見物の帰りだったような気がする。いやいやこれは、後付けのでっち上げの記憶であるのだろう。

 ここに演じられているのは、もとより現実に存在する音楽ではない。歌手の夢想の中だけに鳴り響いている音楽のリアル化であり、むしろプログレのジャンルに属する音楽だろう。
 現実に近付き過ぎず離れ過ぎず。微妙なバランスの中でガラス細工のような西アジア幻想は漂う。それは、朝日の訪れと同時に消え去ってしまうような夜の領域の想念の果実である。

 歌手はそもそもがイランの生まれの人であるが、さまざまな事情があってインド~アメリカ合衆国~カナダと流れた亡命の、デラシネの人であるようだ。
 そんな彼女の、西アジア各地の子守唄を集めたこのアルバムは、異郷であるアメリカ合衆国において息子を出産すると言う彼女自身の体験にインスパイアされた、スピリチュアルな音楽上の実験の記録である。あるいは世界国家の試み。あるいは音楽に託した一つの祈り。