”We Built A Fire”by Seabear
以前、その1stアルバムを紹介したことのあるアイスランドのロックバンド、”Seabear”の、昨年出た2ndアルバムが手に入った。なんか不思議なジャケ画であり、こんな絵、どこかで見たことがあるけど、なんだったかなあ?なんか、雑誌”ガロ”周辺で昔、良く見た記憶があるんだけれど。
結構大人数でやってる割には隙間の多い音、それもなにやら柔らかく丸っこい印象のフォークロックを聴かせるバンドだ。爽やか、というのを通り越して淡いコーラスを従え、決して激さない語り口調のボーカリストが紡いで行くのは、素朴と言うか牧歌的なメロディライン。
以前にもこんな感想、言ったかもしれないが、彼らの歌には擦りガラスの向こうの風景を覗いているイメージがある。
そのおぼろげな風景の中に、”夏の終わりの市民プールで夢中になって泳いでいて、気がついたら日は西に傾き、プールサイドに人影はすっかり減って、薄ら寒い風が吹き始めていた中学時代の思い出”みたいな、独特の懐かしさを漂わせた物悲しさが一貫して響いている。それは結構癖になる個性であり、生活の中で心が疲れたとき、ふと思い出して聴いてみたくなる、そんな効用を彼らの曲に付与している。
心が折れそうな時、たとえばこんなに日曜日の深夜、一人で休みなく振り続ける雨の音を聞きながらつまらないことに心痛めている、こんな時にはね。
それにしても、”ライオン・フェイス・ボーイ”で始まり”ウルフ・ボーイ”で終わる収録曲であり、その狭間には”木製の歯”やら”柔らかい舟”やら”暖かい血”なんて曲が並んでいて、これは歌詞が知りたい、きっとユニークな歌詞世界なんだろうなあと興味を引かれるものの、歌詞カードもなく、もちろん、そんなややこしい歌詞を聴き取れる英語能力があるわけでもなし、とりあえずはどうにもならん。もどかしいなあ。
擦りガラスの向こうの曇り空の下から、Seabearのメンバーたちの遠い声が聴こえてくる。呼びかけて来る、呼びかけて来る。
それに応えたいのだが、なにを話しかけられているのか分からないのだから応えようもなく、私はただ座り込んで彼らの歌を聴いている。タオルを肩にかけてプールサイドを立ち去る後ろ姿は、坊主頭の中学生の頃の私だ。夕陽はすでに山の端にかかっている。