"CANTA SOLO PARA ENAMORADAS" by JOSE ANTONIO MENDEZ
例の映画、”ブエナ・ビスタ”を見ていたら、キューバの老バラード歌手を指して、「彼こそがキューバのナット・キング・コールなんだ」とかいう場面があり、うんそうだ、キング・コールこそが重要なんだと、我が意を得たり、みたいな気分になったものだった。あ、キューバ音楽、ろくに知らないんで固有名詞が出てこなくてごめん。
音楽の通人となった、なんて自分で信じ込み始めた頃には、ディープなダミ声なんかで泥臭く熱唱する歌手を見つけては、そんな彼の暑苦しいシャウトをこそリアル、なんて思い込んだものだ。が、さらに一巡り音楽の天国と地獄を見て回るうち、甘い声で美しいバラードを歌い上げる優男の歌声にこそ、大衆音楽のホントの凄さが潜んでいると気がつくようになる。
妖しく空の高みから舞い降りて夜の秘密を包み込む、甘いストリングスの幻想。コロコロとグラスの淵を転がるカクテルピアノの響き。優男は、昔々の秘められた恋歌をビロードの手触りの歌声で繰り出しては、さらなる夜の深みへと女たちを誘う。この甘美な煉獄の果てしない罪深さよ。
キューバにも、その手のヤバい夜の秘密を歌う音楽の系譜が存在していたというわけだね、フィーリン。その道の開拓者、メンデス氏のこの盤を一枚、しかも今、聴きつつあるだけの状態であれこれ言うのもなんだけれども。
音楽的には、ラテンのボレロなんかに根があるのはもちろんなんだろうけど、ジャジーなバラード方向に演者の視線は向いていそうだ。この、インプットはラテンの情熱でアウトプットはジャズの粋筋という捻れ現象が深い味わいを、このフィーリンなる音楽に与えているようだ。
昔からよくする譬え話なんだけど。ここに2枚のディスクがあって、片方には「正しい音楽」が、もう片方には「間違った音楽」が収められている。さあ、あなた、どちらのディスクを聴きたいと思いますか?
このフィーリンなる音楽は堂々、「間違った音楽」に収められる資格があるだろう。「明るい明日を築こう」なんて呼びかけるつもりは全くなかろうから。ただ甘美な夜の終わりなき誘惑を讃え、罪に堕ちて行くことの痺れるような快楽を歌う。
だから私は迷わずにフィーリンに付いて行こうと決め、「間違った音楽」のディスクを手に取らずにはいられないのだ。