ヒロミツ氏の死去を悼む特別企画として。ヒロミツ氏が彼のバンド、モップスを率いて70年代はじめにヒットさせた「月光仮面の歌」って、ありましたよね。昔のTV番組の主題歌をスロ-ブル-ス形式に変えて歌った他愛ないコミックソング。それをモップスが野音でやったある夜のことなど思い出してみたい。
時は1970年代の極初期、場所は日比谷の野音、ということで意識のタイムスリップ、の上、読んでいただきますようお願いします。
今、まさに売れている最中のヒット曲であり、と言うことで、皆、そこそこ喜んで聞いていたのだ、その曲を。が、その途中。
ギタ-の星勝がデタラメ言語で何やら喋り、それをヒロミツが「月光仮面のオジサンは、こう言っております」とか「翻訳」してみせる、まあ、曲の笑わせ所、そこにさしかかったとき。
それまでステ-ジのすぐ下で、シンナ-とかやってたのかなあ、寝ころがっていた、年季の入った感じのヒッピ-氏が。いや、古い言い方でフ-テン族と言ったほうが雰囲気が出るが、彼が「ウエアアアアアア」とでも表記するしかない奇声を大声で発したのだ。
すると、なんとなく。何となく、一瞬、その場の空気が白けた。星勝のデタラメ語も急に元気がなくなってしまい、ヒロミツの「翻訳」も「う-んと。え-と」とほとんど絶句状態になってしまった。
そんなしどろもどろのまま演奏は尻すぼみで終わり、その後のモップスの演奏も、調子を取り戻す事のないままだったと記憶している。
つまりフ-テン氏は、モップスのステ-ジを奇声でブチ壊してしまったのだ。が、私の心のうちには、なぜかその時、彼に対する怒りはなく、それどころかむしろ、「正しいのは彼のほうだ」みたいな思いがあった。
おそらく、会場にいた他の皆も同じ思いだったのではないか。皆のあいだにも彼に腹を立てる雰囲気はなく、むしろ急に夢から覚めたように、モップスの演奏が失速して行くのを、静かに見守っていたのだ、なぜか。
さらに言えばモップスの面々も、恐らくは何らかの思いを味わっていたのではないか。それはたとえば、”後ろめたさ”といったような。でなければ、あれほどのベテランバンドが、客席からのたった一度の奇声で、あそこまで調子を狂わせてしまう筈がない。
そのフ-テン氏はあの時、まるで、「王様は裸だ」と叫んだ子供のように、その奇声によって皆を、一時、目覚めさせてしまったのだ、と私には思えてならないのだ。
彼は、おそらくは無意識に、皆に問いかけたのだ。「そんな幼稚な悪ふざけではなく、今、この場で、もっと切実なロックが奏でられるべきではないのか?」と。そして、モップスの面々も含め、その場にいた者すべてが、冷水を浴びせかけられたように、一瞬、無邪気な祭りの夢から覚めてしまったのではないか、あの時?
もちろん、「何故、彼のその一声が、それほどの力を持ちえたのか?」と問われたら、「ツボに入った」とか「何となくそう思う」等という間抜けなものしか私に答えはないし、その時遭遇した状況を、勝手に自分の思い入れで解釈してしまっているだけと言われればその通りなのだが。しかし、「夢の70年代」の終わりは、もうその頃には始まっていた、そんな気がする。
その後モップスは、フォーク歌手の吉田拓郎の作になる”たどりついたらいつも雨降り”なるフォーク曲を歌い、”ジーンズと下駄履きの、白いギターを持った気の良いお兄さん”を求める当時の日本の大衆の心情におもねる道を歩き始め、多くの支持を集めた。そして私は、彼らに興味を失っていった。
言い切るが、モップスはデビュー時、1stアルバムを出した5人組だった頃だけがロックだった。サイケだった。
まだまだぶきっちょだった黎明期の日本のロックの極北からファズ・ギターの響きとともにやってきて、もう一つの世界の扉を開けてくれたように思えた。当時、田舎で一人、孤独にフィルモアの夢など見ていたロックファンのガキたる私には。
なのにのち、4人組になってからは坂道を転げるように退屈になって行った。
と言っても、秘密の鍵を抜けた一人が持っていたって話じゃない。毎度おなじみ、”生きて行くのはなかなか大変なんだよ”って話をしているわけだ。
こいつに勝てた奴はいないから仕方がないし、これからは4人組になってからのモップスのことは思い出さないでいてあげよう。