あ~、なじかは知らねど心侘びてしまった。生きて行くのは面倒くさいですね。
昨日、我がアパートへの入居希望者があったので、とりあえず部屋へ案内する。1LDKパターンと2LDKパターン。相手は幼児と幼稚園児、二人の子を持つ夫婦である。
一通り見たあと、あの部分は新しくならないのかとか要望いろいろ。
若い頃なら「そんなうっとうしいこと言うなら他所へ行け」とか返していたろうが、今では私もすっかり丸くなって、ハアハアすみません、いろいろこちらも予算と言うものがありましてと低姿勢を保つ。
要するに入居してもらって家賃をもらう、それだけの事なのだ、こちらの仕事は。何を考えているのやら分からない食えないオヤジ、というものになり切るには、どんな修行が必要なのだろうかと思ったりする。
そしてついには家賃がもう少し・・・という方向へ。つまりはいろいろ部屋の欠点を指摘しておいて、部屋代をもっと安くしろ、と言いたかったのだね。まあ、そんなことだろうとは思ったのだが。
こちらもそれを予期して予算を考えていたので、そのあたりまでは引き下がる。それ以上を望むならお断りしよう、としたあたりで「それではまた来ます」と相手は立ち上がる。「名勝負だ」と、ふと思い、おかしくもない場面なのに笑いそうになる。
さて、どうだろうか。無事に入居まで行くだろうか。その気ありありのようにも、ただ冷やかしのようにも見える。その辺をハッシと見破れるようにならぬうちは、私もまだまだ修行が足りない、と言うことなのだろう。
かって金子光晴翁は詠った。「いつになったら 人の腹を読むそんなこすからい 目つきがなくなり 自分勝手の正義をふり廻さずに すむのだろう」と。
つーか、私の本業はシンガー・ソングライターで、こちらの仕事は歌だけでは食って行けないからついでにやっているだけなんだけどね。まあ、歌の仕事なんて、もう10年以上ご無沙汰なんだが。
自由への道は遠く遥かだ。
家に帰ったら、この夏、お盆の帰省中に交通事故を起こし、ご主人は即死、奥さんと子供たちも重傷を負っていまだ病院から出てくることが出来ない、という大変な目に会った入居者のAさん一家の分の家賃が届いていた。
払う立場の人がいないといってもいい状況なのだが、どうやらAさんの勤め先の女社長が立て替えていてくれるようなのだ。こちらもこの先、どうなることだろう。いつか家賃がもらえなくなったとして、じゃあどうすればいいのだ。
今日、いつもの道をウォーキングしていて、なぜか途中で力尽きてしまい、フラフラとなりつつ家に帰った。深く静かに疲れ切っている、という状態なのかも知れない。あの”もう歩く力はないのに、帰り道はまだ大分ある”って感じがつまり、生きて行くってことなのかなあ。たまらんなあ。
余談。
映画「続・三丁目の夕日」のコマーシャルが頻繁にテレビで流れているが、「約束したじゃないですか!」とか、変声期真っ只中みたいな男の子の声で叫ぶヴァージョンは勘弁してくれないか。あの声、気色悪くてしょうがない。
なんかあの声、思春期初期の生臭い性の懊悩を濃厚に周囲に振りまいている気がするんだよなあ。ああ気持ち悪い。やめろよなあ。
昨夜は女友達の家で酒を飲んだのだけれど、彼女が酔ってしまって車で送れないので、雨のそぼ降る中を一時間、徒歩で帰宅。ま、歩けるだけいいか、です。
あ、そうですか、みなみらんぼうに同タイトルがありましたか。
私のこれは、アンブロース・ビアスでしたっけ、「生のさなかにも」って書名を使おうとしたんだけど、そのままじゃ芸がないと思って、ちょっと換えてみたらこうなったんでした。