ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

フランス式人種浄化法

2006-02-06 21:59:28 | ヨーロッパ

 ラテン音楽の雑誌”ラティーナ”を読んでいたら、ある記事の中に”カルト・ド・セジュール(滞在許可証)”なんてバンド名があり、おや、懐かしいなそういえばフランスにそんなバンドもあったなと思い出しはしたものの、その音は思い出せなかった。まあ、私にとってはそのくらいのバンドだったのだろう。

 記事のその部分で述べられていたのは1986年、フランスで総選挙の結果、社会党が破れ保革連立政権が生まれ、その内閣が”新国籍法”なるものを可決しようとした際のエピソードだった。
 ”3ヶ月以上の実刑を受けた移民出身者はフランス国籍であっても国外追放することが出来る”というのが、”新国籍法”の骨子だったそうである。

 それを人権無視の悪法であり、法案は通るべきではないと考えた当時の文化大臣ジャック・ラングと、シャンソン歌手シャルル・トレネは、アルジェリア出身者によるバンド、カルト・ド・セジュールがアラビックなアレンジで歌うトレネの国民歌謡「懐かしきフランス」のシングル盤を国会で議員たちに配ったそうな。そして。以下は記事の文章をそのまま引用させていただくが。

”カルト・ド・セジュールのヴォーカルがラシッド・ターである。顔はアラブ人でも、心はフランス人だということを音楽でアピールし、新国籍法を撤廃しようという魂胆であった”

 おい、ちょっと待て。一見、人権弾圧を打ち破らんとした人々の美しいオハナシかとも読める文章だが、そしてまさにこの記事の書き手(木立玲子氏)はそのような趣旨で文章を進めているのだが、なんかおかしくはないか?

 ”顔はアラブ人でも心はフランス人”だって?”顔は”もなにも、要するにそいつはアラブ人なのだろう?だったら彼が、どのような立場のものであろうと、「中身が立派なフランス人である」事は、そのような矛盾した存在になってしまった現実は、なにもめでたいことではないだろう。

 一個の人間として、その存在を尊重されるべきである、そんな主張なら納得は出来る。が、「見かけはどうあれ、中身はフランス人なのだから」とはなにごとだ。
 それがたとえ法案撤廃へ向けての作戦、方便だとしても、やはり納得は出来ない。アラブ人が当たり前にアラブ人である事が許されない、「心はフランス人」となってやっと人間扱いされる、そんなフランスの現実を追認する作業となってしまうではないか、結果的には。

  結局これは、毎度おなじみ、フランスお得意の”文化”を錦の御旗に押し立てた、別種の民族浄化作業であろう。片側からは”異人種ゆえに出て行け”とのプレッシャー(ムチ)あり、もう一方からは、”お前の心の中身ごとフランス人になってしまえ。それが出来れば出て行かずに済む”との”踏み絵”の実践(アメ。毒入り)あり。

 キイは、「一人の人間としての尊厳」では駄目で、「見た目にかかわらず心がフランス人だから」でなくてはフランス人の”良識”に訴えることは適わない、この部分だろう。

 この”美談”は、ついには「フランス人にあらざれば人にあらず」との、傲慢きわまるかの国の中華思想に行き着く。にもかかわらず。
 そのいきさつをフランス人でもないのに記事のライター、木立玲子氏は何の疑いもかけずに賞揚する。いったいこれは。

 おや、失礼。毎号、かの雑誌で詳細なヨーロッパ・レポートをものしておられる、”元ラジオフランス・プロデューサー”なる絢爛たる肩書きをお持ちの木立氏は、顔は日本人でも心はとうにフランス、心の滞在許可証(カルト・ド・セジュール)は、とうにお持ちでしたか。






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