ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

36年目の「哀しい妖精」

2012-09-07 06:25:58 | 60~70年代音楽

 深夜のラジオで歌謡曲の懐メロ番組など聞いていて、南沙織の特集となり、何曲目にか聞こえてきた”哀しい妖精”なる曲に、何やらハッとさせられてしまったのだった。その歌には自分が昔、シンガー・ソングライターの音楽に入れこんでいてその種の連中の幻の名盤とかを探しまわり、あるいは生ギターを抱えてライブハウスで自作の曲を歌ったりしていた”あの頃”の空気を感じさせるものがあったので。
 まあ、南沙織自体がその時代の歌い手であるので、そう感じても何も不思議ではないのだが、その曲に関してはリアルタイムで聞いた記憶がないので、なにか冷凍保存されていた当時の記憶の忘れ物が突然蘇ってきたみたいな感覚に、不意打ちを食らった気分になったのだった。
 ラジオの解説ではその曲、ジャニス・イアンのペンになるものであるとのこと。新鮮な感触は、そのせいもあるのだろう。

 思い出せば南沙織のデビューアルバムを持っていた記憶はあるので、始めの頃は私、結構ファンであったのだろう。が、次第に彼女が内に持っていた、ある種帰国子女っぽい”知的な女性志向”があからさまになるにつれ、その気持ちもいつしか霧消してしまったのだった。そんな偉い人にはついて行けません、みたいな、ね。 
 たしか南沙織、沖縄のアメリカン・スクール出身ではなかったか。だとすればそれは現地のある種特権階級みたいなもので、帰国子女風のエリート臭も、そのあたりからくるものなのだろう。そんな彼女が当時の日本本土という”後進地帯”に降臨し、違和感感じつつアイドルをやっていた、そのへんの無理がいつか限界に達し、その後の突然の芸能界引退劇ともなったのかと想像する。

 ”悲しい妖精”を、さらにもう一度、You-tubeなどで聴き直してみると、歌詞内容の、何やら男本位過ぎる世界観に、かなりしらけるものを感じてしまう。アクティブに人生を切り開くのは男の仕事で、女はそれを憧れつつ見つめていればいい、とでも言うような趣旨に、それもいかがなものかと首をかしげさせられてしまう。
 まあ、これも時代のタマモノ、リアルタイムで聴いていたら私もそれなりに納得していたのかもしれないが、今の感覚で聴くと、こんなんでいいのかな?と男である私でさえ疑問に感ずる部分も出てきてしまうのであって。この歌詞、当時の南沙織はどう感じつつ歌っていたのだろう?

 どのようなきっかけで実現した企画なのかは知らぬが、アメリカの、時代の先端にいたシンガー・ソングライター(しかも女性の)から提供された歌を歌うにあたって南沙織の中には、それなりに期するものがあったのではないか。私の歌いたかったのは、本当はこういう歌なの、という。
 ところが、用意された日本語の歌詞は、そのような”旧時代”丸出しのものであった。(この日本語詞がジャニス・イアンの書いたもののそのまま日本語訳とはとても思えない。日本側で勝手に用意したものだったのだろう)
 彼女の失望、いかばかりか。せっかくジャニス・イアンの曲をもらえたことだし、あたらしい女性の生き方などテーマに歌いたかったのに、これでは自分がこれまで歌わされてきた”日本の歌謡曲”と何も変わらないではないか、と。この歌は、実は彼女の挫折の記念碑みたいなものだったのでは、なんて思ってしまうのだった。

 まあ、過ぎ去った時間の向こうの物語は取り戻すべくもなく、全ては推量に過ぎないのだが。今はただバラエティ番組に出演した、彼女と篠山紀信との間に生まれた俳優業の息子の語る、”我が母の育児法に関する笑い話”などテレビで聞き流しながら昼食のラーメンをすする日々があるだけなのである。




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