”University of Calypso ”by Andy Narell & Relator
まずカリプソの新譜である、と言う事実が嬉しい。実力派のベテラン二人が、カリプソの伝統曲をサカナに和やかに円熟の芸って奴を披露してくれる、なんとも楽しく、不思議に懐かしく、そしてたまらなくあったかい音楽の泉。これは絶対お勧めだ。誰が聞いても楽しめる、素晴らしい音楽だもの。
渋いギターと軽妙な唄を聴かせるリレイターの方はカリプソ界のベテラン歌手で、いかにもそんな感じのコミカルな歌い口でカリブ海の喜怒哀楽を伝える。
一方、達者な、ちょっと上手過ぎる感じのスティール・パン、つまりドラム缶の蓋の部分に凹凸を打ち込み木琴のように音階を打ち出せるようにしたトリニダッド諸島特有の民俗楽器を聴かせるナレルの方は、実はアメリカ人で、スティールパンの演奏の可能性をさまざまな分野に広げつつある人のようだ。どうもこっちはもともと、別の楽器のプレイヤーだった形跡がある。このアルバムのプロデューサーも兼ねているようだ。
この二人にシンプルなリズムセクションが加わるだけの小編制のバンド演奏で、非常に端正な、室内楽的と言っても良い、きれいにまとまってスイングする演奏を聴かせる。
他のメンバーもとても達者なプレイヤーたちで、クラリネット奏者を中心にフレンチ・カリビアン・ジャズとでも言うべきものの演奏が始まったりするあたり、非常に広々とした気分にさせてくれ、音の展開につれ、眼下にカリブ海文化圏の音楽地図が広げられて行くみたいで、その知的興奮てえんですか、たまりませんわ。
でも、気持ちよくなる一方で、カリプソなんてものは本来、カリブ海の黒人のブラックなジョークが脈打つもっとアクの強い音楽で、こんな風に異文化圏の人間がニコニコと寛いで聴いていられるのは一種の退廃、あるいは衰退の証しなのかも知れない、なんてある種落ち着かない気持ちがよぎる一瞬もあるのも事実だ。
気持ちよく聴けてしまうから逆に、なんか後ろめたい気がするってのも性格暗過ぎる話なんだろうけどねえ。
でも、いかにも人の良いオジサン然としたリレイターだって、若い頃はもっと尖がった性格だったかも知れないし、カリブ海の黒人たちの中には、「白人の演奏するカリプソなんて」と内心、忸怩たる思いの者もいないとも限らない。
まあワールドミュージックというもの、いつも文化や人種の垣根の向こうを覗き見ているみたいなものだから、この問題はいつもついて来るんでね。考えたってしょうがないと言えばしょうがないものなんだけど。
それでも今夜も遭いたくて、エンャコラと船を出す、と歌ったのは野坂昭如だったねえ。