ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

星めぐりの歌

2012-10-02 17:00:25 | その他の日本の音楽

 もうずいぶん前の話だが、宮沢賢治が作った曲ばかりを収めたCDと、彼の詩集が合本になったものが書店の棚にあって、ちょっと気を惹かれたりしたものだ。が、豪華な装丁の本で値段もそれなりだったものだから手を出せずにいるうち、見かけなくなった、というかその書店自体が店を閉じてしまった。
 そのまま本の事は忘れていたのだが、今、深夜のラジオから賢治の作った曲のひとつ、「星めぐりの歌」が流れてきたので、そういえばと思い出したところだ。

 今でもあの本は手に入るだろうか。いや、あえて入手せずとも、こんな具合に心の隅に薄れかけて、でも消えることのない遠いあこがれのような形で記憶にとどめておくほうが、むしろ賢治の歌には似合いなのかもしれない、などとも考えてみる。
 記憶の遠い向こう側で呼んでいる賢治のメロディ、それでいいじゃないか。気が向いた時、口ずさんでみたり楽器で弾いてみたりするために曲集みたいなものがむしろ、欲しい気がする。

 賢治に関わるエピソードで私が特に好きなのが、賢治が農作業を終え、採れた作物を積んだ荷車を押して行く際、彼が身につけていた作業着が当時としてはあまりにナウくオシャレな代物だったがゆえに、見送る農民たちは、やや引きつつそれを眺めていた、というもの。賢治に悪気はない、彼なりに懸命に農民のために働いていたのだが。
 また、彼が農業指導として行なっていた肥料の設計書類には、「以上、あまり収穫が増えても、驚かないこと」などと書かれていたというのだが。そこまでに画期的な効用のある肥料、などが存在したのだろうか?賢治が農学校でどれほど学ぼうと、ちょっと信じがたいのだが。
 別に嘲笑するのがこの文章の目的ではない。そんな、どこか現実からずっこけてしまう賢治が妙に好きだ、という話だ。
 
 まだギターを抱えてあちこち歌い歩いていた頃、賢治の故郷に近い北の町の小さな店で歌う機会があった。歌い終え、店の経営者に「リハで賢治の歌を歌ってたけど、本番では歌わなかったね」と言われた。「うん、ここに来た記念に歌いたかったけど、いざみんなの顔を見てしまうと、それを歌ったら”ウケ狙いでご当地ソングを歌う売れない演歌歌手”みたいな感じになっちゃうかって気がしてさ」と答えた。
 そのまま笑って別れたが、その店にも、その人にも、その後の縁はなかった。

 あの店は今でもあるのだろうか。あの人は元気だろうか。実を言えば、一回限りの付き合いだったその人の名もその店の名も、頼りない私の記憶からはもう失われ、店がどのあたりにあったのかさえ思い出せない。ただ人たちと笑いあったり黙りこくってお茶を飲んでいたりした暖かいひとときの断片が記憶の隅に残っているだけだ。

 なにか話すべき事があったのではないかと振り向いても、そこにはもう人々の影もない。地球は物言わぬまま旅を続け、人々は星をめぐり、容赦ない時の経過を生きて行く。




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