今年最初の読み聞かせは、6年生のクラスでした。
選んだ本は、この絵本です。

『だいじょうぶ だいじょうぶ』
いとうひろし作
ほんとうは、というか、最初は『ラチとらいおん』を読もうと決め
ていたのです。が、 「絵本日記」のみぃさんが書かれた記事を
読んでいるうちに、どうしてもこの絵本を読んでみたくなり、
実際に自分で読んでみたら、今度は、6年生の前で
読んでみたくなったのです。
おはなしは、ぼく がおじいちゃん と過ごした日々を
すこし大きくなってから回想しているふうにすすんでいきます。
成長していくということは、ほんとうにこんなことの連続だな
と思うことばかり。
たとえば、新しい発見をすれば、それがこわいことや
困ったことに通じる場合もあるし、(絵では、大きな石を
持ち上げてみると、その下に蛇がいて驚かされます)
わあ、と思って見上げていただけの飛行機も、
空から落ちることがあるという事実も知らされます。
なんだか、このまま おおきく なれそうに ないと、
おもえる ときも ありました。
そんなときに、おじいちゃんのおまじない、魔法の言葉。
それが 「だいじょうぶ だいじょうぶ。」
何度も何度もその言葉を繰り返すうちに、ぼく の中で、
こわいものを克服する勇気や、学ぶ意欲、出会いへの期待
などが育まれていきます。
私自身も、かつてその言葉から数え切れない支えを受け、
そして今、自分の子どもや、自分自身に対しても
気づかぬうちに(時には日に何度も)口にしている言葉です。
「だいじょうぶ、だいじょうぶだよ。」
何度もこの本を読んでいるうちに、思いました。
ラチにとってのりんごと、この「だいじょうぶ」という言葉は、
まったく同じものなんだなあって。(『ラチとらいおん』は、
今学期中もう一度回ってくる6年生のクラスで、読むつもりで
いますので、そのときに詳しく書きたいと思っています。)
読み聞かせの時の絵本は、あまりメッセージ性の強くない
ものがいいと思っていますが、卒業式が近くなると、
どうしても6年生には、「力が入って」しまいがちです。
みんながナーバスになる時期だからこそ、からっと笑える
ような本のほうが、いいのかもしれないなあとも感じています。
でも、親しんだ小学校をもうじきはなれていっても、みんななら
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」という老婆心(?)が、つい
働いてしまうのです。
選んだ本は、この絵本です。

『だいじょうぶ だいじょうぶ』
いとうひろし作
ほんとうは、というか、最初は『ラチとらいおん』を読もうと決め
ていたのです。が、 「絵本日記」のみぃさんが書かれた記事を
読んでいるうちに、どうしてもこの絵本を読んでみたくなり、
実際に自分で読んでみたら、今度は、6年生の前で
読んでみたくなったのです。
おはなしは、ぼく がおじいちゃん と過ごした日々を
すこし大きくなってから回想しているふうにすすんでいきます。
成長していくということは、ほんとうにこんなことの連続だな
と思うことばかり。
たとえば、新しい発見をすれば、それがこわいことや
困ったことに通じる場合もあるし、(絵では、大きな石を
持ち上げてみると、その下に蛇がいて驚かされます)
わあ、と思って見上げていただけの飛行機も、
空から落ちることがあるという事実も知らされます。
なんだか、このまま おおきく なれそうに ないと、
おもえる ときも ありました。
そんなときに、おじいちゃんのおまじない、魔法の言葉。
それが 「だいじょうぶ だいじょうぶ。」
何度も何度もその言葉を繰り返すうちに、ぼく の中で、
こわいものを克服する勇気や、学ぶ意欲、出会いへの期待
などが育まれていきます。
私自身も、かつてその言葉から数え切れない支えを受け、
そして今、自分の子どもや、自分自身に対しても
気づかぬうちに(時には日に何度も)口にしている言葉です。
「だいじょうぶ、だいじょうぶだよ。」
何度もこの本を読んでいるうちに、思いました。
ラチにとってのりんごと、この「だいじょうぶ」という言葉は、
まったく同じものなんだなあって。(『ラチとらいおん』は、
今学期中もう一度回ってくる6年生のクラスで、読むつもりで
いますので、そのときに詳しく書きたいと思っています。)
読み聞かせの時の絵本は、あまりメッセージ性の強くない
ものがいいと思っていますが、卒業式が近くなると、
どうしても6年生には、「力が入って」しまいがちです。
みんながナーバスになる時期だからこそ、からっと笑える
ような本のほうが、いいのかもしれないなあとも感じています。
でも、親しんだ小学校をもうじきはなれていっても、みんななら
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」という老婆心(?)が、つい
働いてしまうのです。