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my favorite things

絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

クリスマスってまるごとぜんぶがおくりもの

2007-12-21 18:27:45 | 好きな絵本
好きな絵本のカテゴリーで、88冊目がこの絵本になりました。
偶然だけどなんだか嬉しい。 

 『マーガレットとクリスマスのおくりもの』 植田真 作


いろんなところで、今年出たクリスマス絵本を見ていて
これいいかも、欲しいかも、買ってしまうかもと思い、
16日(日曜日)に、ことり文庫さんで、やっぱり買ってしまいました。


マーガレットとクリスマスのおくりもの



久しぶりに、私の「好き」がぜんぶ入っている絵本でした。
大きさ、紙の色、紙の質、細い線、プロローグつき、そして
曇った空の色…

最初の見開きページの左上にタイトルが入っていて、
右下のほうに文章が入り、お話がはじまっているところも
かなり好きです。まるで映画のはじまりをみているみたいで
気持ちが遠くのほうを見て、わくわくしてくるのがわかりました。

すぐに読み切ってしまうのが惜しかったので、すこしづつすこしづつ
4日もかけて読みましたよ。

たぶんー。
読んでみたいと思う方が多いと思うので、ストーリーは全部秘密で
文章からの引用もなしです。

クリスマスのお話なんだけど、サンタクロースもクリスマスツリーも
出てきません。(もみの木はでてきますけど)
だけど、クリスマスに欠かせない、
あたたかい気持ちにあふれています。



思っていたとおり、この本は、私からわたしへのおくりものに
なりました。






眠れない

2007-11-26 19:28:50 | 好きな絵本

連休最終日の夜。
久しぶりに、娘が 眠れない と言い出しました。

赤ちゃんのときから寝付きがわるく、母である私も
寝かしつけるのがほんとうに下手で…眠れない夜は数知れず。

近頃では、やりたいことややらなければならないことが増えてきたので、
さすがに疲れるらしく、すっと眠りに入れるようになっていたのですが。
それでも朝寝坊が続くと、まだ「眠れない」なのです。





おやすみなさい

こんなよい本が手元にあったのだから、この絵本を読んであげれば
よかった、と気がついたのが、今日夕方近くになってからでした。


   おやすみなさいは まちを やさしくつつみこんで
   じっと うごかなくなりました。

   やねのうえのこねこは おかあさんをみつけて
   ゴロゴロ のどをならして そしていいました。

   「おやすみなさい おかあさん」
   ねこのおかあさんも いいました。

   「おやすみなさい」



一緒に読んだとき、いい本だねって言い合ったのに。
おやすみなさい と同じ色の丸い月が出ていた晩だったのに。





ほんとうに気がきかない母は、読んでといわれるがままに、
こっちの絵本を読んでしまいました。

ねこのセーター (学研おはなし絵本)

しかも、扉に書かれている これは さむがりで なまけものの ねこです。
っていうところを、昨日も 「これはさむがりで なまけもので、ちっとも
眠れない rです。」と読んでしまったし。

この絵本は、10月のことり便で迷いに迷った末決めた本なのですが…
rの一番のお気に入りとなっています
(11歳なのにいいのかなあ?とも思いますが)

あながあいているセーターと、そのセーターをこよなく愛するねこと
ねこが「帽子」をかぶせてあげているどんぐり。
その三つの関係は、家族みたいな間柄にも思えてきます。




「おやすみなさい」 イヴ・ライス作 片山令子 訳
「ねこのセーター」 おいかわけんじ たけうちまゆこ 作






もうひとりのゴールディー

2007-11-08 17:00:12 | 好きな絵本

今日は立冬なので、きょうから暦の上では、冬ということですね。

秋に読みたい音楽絵本‥「秋」の間に、3冊目を紹介することが
できませんでしたが、予定していたので、書いておこうと思います。


 ピアノ調律師
        『ピアノ調律師』
       M・B・ゴフスタイン 作



ゴールディーのお人形、わたしの船長さん、生きとし生けるもの、
作家‥

この1年半くらいの間に、それまで私の本棚になかった、ゴフスタインの
作品が次々とやってきました。絵本ブログとことり文庫さんのおかげです。
この『ピアノ調律師』もそんなふうに知った1冊でした。



主人公はデビー・ワインストックという名の女の子。2年前に両親が亡くなり
ピアノ調律師であるおじいさん、ルーベン・ワインストックに引き取られ
二人で暮らしています。

デビーの夢は、おじいさんのようなピアノ調律師になることです。
けれど、ルーベンはできることなら、デビーには裏方ではなく、
表舞台に立つピアニストになってもらいたいと思っています。

冬のある日、ルーベンはコンサートホールにグランドピアノの調律を
するためデビーをともなって出かけました。その時点では、
まだ古くからの友人で、有名なピアニストのアイザック・リップマンが
来ていることを知りません。予定が急に変更になり、その晩、
演奏をするピアニストはリップマンになったのです。

嬉しい再会の握手と、デビーを紹介したのち、
ルーベンはリップマンにこう言います。

「わたしはこの子にピアノを弾いてもらいたいのですが、この子は
ピアノの調律とか修理にばかり興味があるようで」
「そういう仕事は、ピアニストの指のためにはあまり良くないんだ
よ」アイザック・リップマンはデビーに言いました。
「でも、わたしはピアノ調律師になるの」デビーは小さな手でおじ
いさんの手を握ると言いました。


この本は65ページまであり、↑で抜き出した箇所は、話がはじまった
ばかりの16ページ目に書いてあります。このあと、ストーリーが
どんなふうに展開していくのかは、読んだときのおたのしみにとっておきます。




ピアノ調律師になりたい、というデビーのひたむきで真摯な態度は、
とても自然なかたちで、私のこころの一番深く、一番触れられたくない
ところにストレートに届きました。

泣きそうになってしまう本や絵本はたくさんありますが、
ほんとうに泣かされてしまった本は、ずいぶん久しぶりでした。

こんなに正直に、こんなにまっすぐ、自分の望みを語ることができる
デビーを心底羨ましいと思いました。

人生で自分の好きなことを仕事にできる以上に幸せな
ことがあるかい?

こうルーベンに語りかけた、リップマンの言葉に、また涙がこみ上げました。



デビーは、ものを作り出しはしませんが、自分の信じた自分の道を
自分の意志で歩んでいこうとする点において、もうひとりの
ゴールディーなのだと思います。

そして、私は、はらはらしながら、心配しながら、
すこしでも、社会的に、経済的に良い方向へと、自分の娘を導こうとしている
母親なのでしょうか‥本のはじまりのときの、ルーベンのように‥

難しいなあと、思います。

自分の問いに、自分で答えるのも、
いまだに、何かを願う気持ちを胸に抱えていることも。








ゴーシュ

2007-10-03 17:41:23 | 好きな絵本

 秋に読みたい、音楽絵本‥

 オーケストラの本を紹介したあとには、ピアノにするか、チェロにするか
迷いましたが、やっぱりチェロが先かなあと思い、『セロひきのゴーシュ』
にしました。

 セロひきのゴーシュといえば、茂田井さんが絵を描いた

セロひきのゴーシュこの本が有名だと思いますが。

 

 私は、こちらを↓を選びました。

 セロひきのゴーシュ
      『セロひきのゴーシュ』
    宮沢賢治 作 ささめやゆき 絵

 
 お話は、私が紹介するまでもなく、よく知られていると思います。
 最初に、文章だけの本から入った場合と、絵本から知った場合では
ゴーシュに対するイメージの持ち方がずいぶん違うかなあと思いました。

 私は、お話のほうはうろ覚えで、ささめやゆきさんの描いたゴーシュを
読んだので、すごくすごく、ゴーシュのイメージと絵があっていると
感じているのですが、茂田井さんの描いた、やさしくて知的な感じすらする
ゴーシュを先に読んでいる方は、おなじひとつの話でも、受け止め方が
大きくちがってきているのかなあと想像しています。

 

 ささめやさんの、表紙に描かれているゴーシュは、すました顔で
一心にチェロを弾いていますが、その生活ぶりはなかなかの破天荒だし、
最初から「やさしくていい人」でもありません。
 演奏の合わせがうまくいかず、楽長に叱られ、きっとおなかもすいているし。
そんなところに、突然ねこが、ゴーシュの畑から持ってきたにちがいないトマトを
「これおみやげ」です、とかなんとか言って訪ねてくる‥
ゴーシュじゃなくったって「切れて」当然の展開なのですが。

 その「切れた」ときのゴーシュ、ささめやさんの絵はすごく迫力があるのです。
こわいです。ガラス窓を蹴破って、かっこうを外に出してあげた場面なんか
ぱりーんというガラスの音と、そのあとから入ってきたすきま風の音が
聞こえてきそうです。

 ねことの場面でも、たぬきとの場面でも、ねずみの親子とのときも
いつでもゴーシュは全力です。自分の音楽に向き合うとき同様、
すこしも手を抜きません。動物だからといって、適当にあしらったり
しないから、激しい感情が、怒りとなって表れてしまうし、逆に、動物から
学ぶべきところは、素直な気持ちで受け入れています。

  おしまいまでひいてしまうとたぬきの子はしばらく
  首をまげて考えました。
  それからやっと考えついたというようにいいました。
  「ゴーシュさんはこの二番目の糸をひくときはきたいに
  おくれるねえ。なんだかぼくがつまづくようになるよ。」

  ゴーシュははっとしました。たしかにその糸はどんなに
  手早くひいてもすこしたってからでないと音が出ないような
  気がゆうべからしていたのでした。

 
 ゴーシュの激しさは、音楽への情熱なのだと、読者である私たちに
ストレートに伝ってきます。だから、私はささめやゆきさんが描いた
(すごくこわい)ゴーシュが、イメージに一番近いゴーシュに思えたのだ
と思います。

 そしてこの本で、はじめて「セロひきのゴーシュ」っておもしろいと
思えたし、ゴーシュが好きになりました。






黒&白

2007-09-19 18:13:05 | 好きな絵本

 秋に読みたい、音楽絵本シリーズ(そんなのあるの~?)第一弾は
ずっとずっと前に ことり文庫 からやってきたこの本です。

オーケストラの105人
      『オーケストラの105人』
  カーラ・カスキン 作 マーク・サイモント 絵
         岩谷時子 訳
 

 この本には、こどももおとなも両方楽しめる要素がぎっしり詰まっています。

 まず、こどもたち。

 子供は数字が大好きです。なぜなんでしょうね‥大勢のとかたくさんの
とか、書いてあるよりも、そこには36匹の羊がいて、とか、50台の車が
いっせいに走り出しました、のほうが喜びます。イメージしやすいからかなとも
思うのですが、逆に数字が込み合ってくると、こんがらがってよくわからない
くせに、それでも数字そのものにこだわります。

 だから、オーケストラを、仮に知らなかったとしても、105人には
興味しんしんのはず。そして、3ページ目にはこんな文章‥。

  まず みんな からだを洗います。
  105人のうち
  男のひとは 92人 女のひとは 13人です。
  ほとんどのひとが シャワーをつかい
  ふたりの 男のひとと 3人の 女のひとは
  しゃぼんの あわで いっぱいの おふろに
  はいります。

 3ページ目から10ページ目までは、裸かそれに近い格好の人たちが
体を洗ったり、ひげをそったり、パンツを履いたりの場面が続きます。
 子供はここらへんも大好き。カバーに書かれた紹介文をあえて読まないで
お話を読みはじめれば、この92人の男の人と、13人の女の人が
何をするために、身支度をしているのかわからないから、ますます先が
知りたくなります。
(2度目以降は、筋を全部知っているけれど、細部をたどっていく
楽しみが十分に残されています)


 次におとな(=私)が楽しめたところ(っていうか好きなところ)

 ひとつめに、タイトル。原題は The Philharmonic Gets Dressed
これを日本語にすると「オーケストラの105人」。直接的な英語も、
それを日本語にうまく訳したところもどちらにも拍手、です。

 ふたつめは、書き出し。

  金曜日の夜です。
  そとは だんだん 暗くなり そして
  だんだん 寒くなってきます。
  お家や アパートに
  あかりが ともりはじめました。

 金曜日の夜にいったい何がはじまるのでしょう‥
この後、「町では‥」と続き、町の字が当てられていますが、
こっちの「街」のほうがよかったような。
だって、ここは限定されていないけれど、ニューヨークシティだと
私は思うのです‥。冬の寒さの様子といい、後からでてくる
地下鉄の中の落書きといい、タクシーも内部しか描かれてないけど
きっと、たぶん、そう。

 みっつめに好きなところは、12人の女の人が黒い長いスカートを
はいたり、黒いセーターや黒いブラウスを着るところ。
(表紙の絵もそこからとってますね)

 そして、いちばん好きなのは、92人の男の人と13人の女の人が
身支度を整えて、「いってきます」と出かけた後の、家族が描かれて
いる真ん中あたりのページです。

 ある人のパートナーは椅子で新聞を読み、ある人のお嬢さんは
つまらなそうに机に両肘をつき、ある人の家のソファーでは
ネコがいつものことさ、って感じの顔をして寝そべり、ある人の家の
イヌはしゅんとうなだれています。

 金曜日の夜に、颯爽と仕事に行く人がいれば、その人たちが
パタンと閉めたドアの内側には、待っている人がいる‥
(あるいは、一人暮らしで待っている人も動物もいないかもしれないけど
でも、そこにはその人の普段の、普段着の生活がある)
それが、しみじみ感じられる、このページがとてもいいなあと思います。


  金曜日の夜 8時30分
  105人の 男のひとと 女のひとは
  黒と白の 服をきて
  白い紙に 黒で 音符が書かれた 楽譜を
  シンフォニーに かえるために ここへ
  きたのです。


     
   

        ‥      ‥     ‥     ‥




 
 シンフォニーに方々とは程遠いところにいるけれど、
 9月の最初の日曜日に、娘のピアノの発表会がありました。
 個人の先生主催の小さな発表会で、2年の1度の開催です。
 rが最初に出たのは3年生の時。着ていた服は、
 アニエス・ベーの薄手の白いニットに黒のフレアスカート。
 足首よりちょっと上ぐらいのコットンレースがついた
 白いソックスに黒い靴でした。季節はたしか10月。
 今回は、5年生で、9月といってもまだまだ暑い時期。
 どんな服にしたらよいかすごく迷いました。
 が、結局、いとこのあっちゃんに借りた黒い厚底のローファ型
 シューズがきめてとなり、2年前と同じ黒いスカートに、
 MUJIで見つけた大人用のSのブラウス。そして黒い透け感のある
 オーバーニーソックスにしました。

 そのイデタチに誰よりも満足していたのは私です。
 (一応、曲名も記しておきます。渚のアデリーヌと、友だちとの連弾で
  君をのせて、でした♪)



わたしのちいさないえ

2007-08-28 14:03:13 | 好きな絵本

 ゆうべ、ことり文庫の「おとなの夏休み」に参加しました。

 少しづつ暮れはじめた外の景色を、小田急線各駅に乗って眺めながら、
久しぶりに会う友、初めて会う方のことを思っていました。

 
 午後7時前、女の子4人の乾杯から始まった会は、ほんとうに楽しくって。
そのあと、ペア1組、男子1名の順で人数が増え、
ビール・音楽・おしゃべり…好きなものに囲まれて、時間はあっという間
に過ぎていきました。

 帰る時間を気にしつつも、絵本交換(その日、ことり文庫で、参加者は1冊づつ
好きな絵本を、他の人に気付かれないように買って交換をする、という趣向です)
まで無事すませ、あとは気合で、小一時間かけて家にたどり着きました。

 ※交換の方法は、こうめさんがアコーディオンを奏でている間、左隣に本を
まわしていって、音楽が終わった時点で手にしていた本が自分のもの、という
超古典的かつ王道のやり方でした※

 おとなの夏休み…わたしの夏休み…誕生日前日だったので、
古い年齢最後の日に乾杯できたこと、これから、毎年8月の終わりが
近づくたびに、27日、28日、29日はセットで必ず思いだすことでしょう。

 

 

 昨日のことり文庫の奥の部屋は、とても居心地のよい、
「ちいさないえ」といった感じでした。

 8月22日に、ことり文庫から この絵本(↓)が届いたのは、もちろん偶然ではなく、
こうめさんのお薦めで、私が選んだからなのですが、それが、昨日の
「おとなの夏休み」まで示唆していたとは、ちょっと驚きです。

 そして、娘の誕生日に、彼女のために、贈った本なのに、
なんと私にぴったりな中味だったでしょう。これも驚きです。


   あなたは、たくさんの ちいさないえを
   みつけることができます。
   あなたは、たくさんの あなただけの
   ちいさないえを つくることができます。


   そして、このことを
   わすれないでいてください。‥‥‥

   ひとは だれでも、そのひとだけの
   ちいさないえを もつひつようがあります。

 

  あなただけのちいさないえ

     『あなただけのちいさないえ』
   ベアトリス・シェンク・ド・レーニエ  文
       アイリーン・ハース  絵





好きな青

2007-08-22 13:46:51 | 好きな絵本

 先週の金曜日、三重県より帰ってきました。西に行っても、東に戻っても
暑いことにかわりはないですね。

 帰省旅行の楽しみは、四日市にある絵本のお店「メリーゴーランド」
行くことです。

 もう10年もの間、年に2回づつ帰っていたのに、お店を知って立ち寄るように
なったのは、昨年から。だからまだ4回しか行ったことがないのです。

 もっとずっと前から行っていれば、常連さんになれたかなあと思ったことも
あったけれど、ドアを開けるたびに、ドキドキした気持ちを味わえるのも
(ウインドウを眺めて、ドアに手をかけただけでも、なんだか胸が
高鳴ってしまうのです‥聖地感覚??)とても新鮮なことだと、今は思えます。


 
 今回は、ささめやゆきさんが絵を描いている、こんな本を見つけました。
まだ6月に出たばかりの絵本です。


    なつのおうさま(ポプラ社)
       『なつのおうさま』
    薫くみこ 文 ささめやゆき 絵

 
 なんといっても、この青色にひとめぼれです。

 表紙も開かず、この青色と、ささめやさんのお名前だけで、
買ってしまいました(笑)。

 その晩、寝る前にはじめて本を開きましたが、お話も期待以上のものでした。
素敵な青色も、家の外壁や、空や、池で、ふんだんに見ることができました。



 おかあさんに連れられて、おかあさんの友だちにうちに遊びに来たひなこちゃん。
 同い年の男の子がいるから遊びなさいと言われるけれど、年が同じだって
 いうだけど、仲良くなんかできません。

 男の方もおんなじ気持ち‥いじめるつもりはなくても、ついつい、おかあさんに
 叱られてしまいます。



 私も、とっても人見知りな子供でしたから、そのなじめない気持ち、わかり過ぎます。

 前に遊んだことがあっても、久しぶりだというだけで、母方のいとこには
帰るまでひとことも口をきけなかったこともありました‥。



 お話の中のふたりは、「なつのおうさま」を見つけたことで、急速に仲良くなります。

 好きなものが同じだというのは、最大の共通項です。
池に行ったり、走り回ったり、同じ体験をしたというのも、仲良くなれる近道でした。

 ささめやさんの描く、おかあさんたちは、なんだかちょっと外国の方の匂いが
して、とてもいい感じです。ワンピースの柄とかね‥。





   ‥      ‥      ‥      ‥





 本日、8月22日は、娘の11回目の誕生日です。
このブログでそれをお知らせするのも、今年で3回目。
体は、ぐんぐん大きくなっています。がんばりやさんなので
学校の成績もなかなか。

でも、こころのほうはどうかな。大きくなっているでしょうか。
ちょっとだけ心配なんです。

その心配の原因を作っているのは、ああ、私だなあと思うから
また余計に心配になったりして。3歳の時には3歳用の心配があり、
6歳には6歳用、そして11歳にはちゃんと11歳用のがありますね。



 母からというか、私(自身)からの誕生日プレゼントは、今年から
毎年絵本にすることに決めました。

 今までも、本や絵本を贈った年もありますが、11歳の今回からは
必ず毎年、そして20歳の誕生日までは続けようと思います。


 さて、今年の絵本、喜んでくれるでしょうか。
 
 ことり便、届いたので、夕ごはんの時まで、気付かれないようにしないとね。







ずっーと四時半

2007-06-27 16:30:40 | 好きな絵本

 図書館の新刊の棚で、目に留まりました。

 表紙の絵とタイトル、そしてその文字の並び方に惹かれて手にとってみたら、
見返しも、中の紙もとっても好きな質感でした。

  よじはんよじはん
     『よじはん よじはん』
     ユン ソクチュン 文 イ ヨンギョン 絵
       かみや にじ 訳


 作者のユンさんは、韓国を代表する童話作家で、この本の原詩は1940年、日本による
殖民統治時代に書かれたそうです。
 若手実力派の絵本画家イヨンギャンさんは、その詩を絵本にするにあたり、詩が書かれた
年代よりもすこし下げて、1960年代を念頭において、韓国の田舎の風景を描いたとのこと。


 まだ普通の家には時計というものがなかった頃のお話です。

 どこの村にも必ず一軒はあるよろず屋さん‥雑貨はもちろんお酒、お塩、食料品、
生きたニワトリまで売っているなんでも屋さん‥に、隣に住んでる女の子が聞きにきます。

  「おじさん おじさん
   いま なんじ
   かあさんが きいてきてって」

  「よじはんだ」

  「よじはん よじはん」


 4時半だと、教えられた女の子は、呟きながらお店を出たのですが、お店の前で
水を飲んでいるにわとりを ちょっと みていこう と思い、

 そのそばに居たありが、どこへ行くのかが気にかかってついていくと、そこにとんぼが
すぃーと飛んできて‥

  「よじはん よじはん」

 言いながら、足はどんどん気持ちの向くほうへ行ってしまいます。

 やっと女の子が、元のよろず屋さんの前に帰ってきたときには、街灯に灯りがともっていて
さっきは中で、ラジオを直していた店のおじさんも、外の縁台で涼んでいます。
 でも、女の子の気持ちは、4時半で留まったままだから、お母さんにそう報告した声は
きっと誇らしげに響いたでしょう。ほかの兄弟姉妹は、とっくに夕飯を食べ始めているけれど。

 女の子を見つめるお母さんの顔。何かいいたそうな目をしてるけど、口元や頬は優しそうです。




 夏の日の午後4時半は、この本の中の女の子だけでなく、すべてのこどもと、子供時代を
記憶しているすべてのおとなにとって、永遠に続いてほしいと願う特別な時間かな、と思います。
 
 陽はたしかに傾きはじめているけど、まだ十分高いところにあって。今から出かけるのは遅いかな、
ううん大丈夫と、自信をもって言えるそんな時間‥。

 夏の日の午後4時半。いとおしいです。


 

   …      …      …      …




 時間までは覚えてないけど、
本日6月27日はこのmy favorite thingsの満2歳の誕生日です。
 
 ほんとは、28という数字が好きなので、28日を誕生日にしようと思っていました。
 けれど、最初の記事を前日から用意して、さあ今日が当日!とUPしてみたら、
投稿日時が前日の27日のままになっていて‥どうやって直すのかもわからなくって。

 といういきさつで、27日がブログ初投稿となりました。それから、365日×2の時間が流れた
なんて、信じられない気持ちです。読んでくれる人が居てこそのブログなので、ほんとうに
みなさまに感謝しています。ありがとうございます。

 小3だった娘も、小5になって。

 お昼寝後だった「私のじんせいじかん」も、限りなく、おやつの時間に近づいています。
 でも、じんせいじかん午後4時半も、そうわるくはないかも、と思っている自分に気付き、
気付いたと同時に、ずっと4時半くらいで留まっていたい、とすぐに思い直したりしています。


 ブログはなんじまで、続いていくのかわかりませんが、また明日からの3年目も、
変わらぬおつきあいを、どうぞよろしくお願いいたします。






明日に架ける橋

2007-06-24 18:58:09 | 好きな絵本

 「好きな絵本」のちょうど80冊目(そして、このブログの満2歳の誕生日前最後の絵本)は、
この本になりました。 

 
偶然そうなったのですが、偶然とは思えない偶然を感じてひとりで嬉しくなってます。



  たいようオルガン
           『たいようオルガン』
        荒井良二 作

 

 『たいようオルガン』のキーワードというか、ポイントというか、描きたかったことは
以下の3つだと、青山ブックセンターのトークショーで、荒井良二さんはおっしゃっていました。

 たいよう+オルガン   ゾウバス    橋

 そして、試みのひとつとして、文章の中から助詞を削ること。それによってリズムが妨げられる
ことを防げるかなあと、思ったそうです。


   たいようオルガン たいようオルガン
   たいようがオルガンひいて あさがきた
   ゾウバスはしる みちせまい みちほそい

 確かにそうですよね? ゾウバスがはしる みちはせまい みちはほそい となるよりも
ゾウバスが懸命に走っていく様が、みちせまい みちほそい によく表れていると思います。

 こんな箇所もありますよ。

   たいようオルガン たいようオルガン
   たいようがオルガンひいてる
   くもでてきた くもりのくもでてきた
   ゾウバスはしる いえ ちいさい いえ おおきい あっちこっち

   のりたいひと てをあげて
   どうぞ どうぞ のったり おりたり



 ゾウバスは、こんなふうに、手を挙げている人たちを乗せて、その人たちの行きたい所まで
乗せていってくれるのです。
 ある人は会社へ、ある人たちは大きな街へ。

 ゾウバスのその姿は、なんとも健気で、なんともいえずかわいらしい。

 大きな街へも、海辺の町へも、砂漠の道でも、夕方になっても、ゾウバスはずっとずっと
走り続けます。その姿に、自分自身の毎日を重ねることもできるだろうし、道で手を挙げている
誰かに、自分を重ねることもできるかもしれません。

 ゾウバスが、ただ、てこてこと走り続けることが、この本のストーリーであり、この本の
(もしかして)すべてなのかな、と思います。


 そして、ゾウバスが走って行く道の先が、橋によって、向こう側(向こう岸)へと繋がって
いくことが、ゾウバスにとっても、ゾウバスのストーリーにとっても、読み手の私たちにとっても、
忘れちゃならない大切なことのように、思えました。

 こっち側と、あっち側。

 それを繋いでくれる橋は、目に見える頑丈な建造物であると同時に、絆のようなものでしょうか?

 「すっごく橋を描きたかった」と言っていた荒井さん。目に見えない橋も、画面の中に描き込んだに
ちがいないと思っています。



 気がつかないだけで、太陽が音を出しているとしたら…?
その音に慣れっこになってしまったから聞こえないだけで、ほんとは音が鳴っているとしたら…?
それはどんな楽器だろうと考えて、オルガンにたどり着いたのだそうです。

 

 ゾウバスの存在を知らなくても、ちっとも不便なことはないけれど、でも、ゾウバスが
雨の中も雷の中も、ひとりで、橋のこっち側からあっち側までてこてこ走って、誰かを
乗せたり下したりしている姿を、心の中に思い浮かべることができて、よかったと思います。

 その「よかった」という気持ちは、たとえば、結果的に別れることになってしまったけれど
 あなたに会えてよかった、という気持ちとおんなじところから、出ているような気がします。



    ゾウバス はしのとちゅうで とまりまーす

    たいようオルガン つきオルガン



  



  
  ※『たいようオルガン』の原画展は、丸善丸の内本店で下記の通りに。

   開催期間:2007年7月2日(月)〜7月15日(日)  
   展示場所:丸善・丸の内本店 3F中央エレベーター前

   原画の美しさは格別です。ぜひご覧になってくださいね。7月14日には
   サイン会もあるそうです。


 
  
 

   

 


あめの月曜、はれの日曜

2007-05-25 17:01:34 | 好きな絵本

 今週はずっと、初夏を思わせる天気が続いていたので、今日の雨は気持ちを落ち着かせるのに、
ちょうどいいかもしれません。仕事や学校が始まる、週明けの月曜日に雨が降ると嫌だけど、
週末の金曜日の雨はそんなに悪くはないのかな。




 久しぶりに紹介する本は、『よあけ』『ゆき』で有名な、ユリ・シュルヴィッツの絵本です。
図書館で偶然見つけ、読んでみたら、私の「大好きなもの」が2つも入っていて、
たちまち好きな絵本になりました。


  あるげつようびのあさ(徳間書店)

  『あるげつようびのあさ』
 ユリ・シュルヴィッツ 作 谷川俊太郎 訳



 大好きなもの、ひとつめは、お話の中の街がニューヨークであるということ。

 絵本に限らず、小説でも、映画でも、テレビドラマでも、ニューヨークが舞台になっている
というだけで、大抵のものは好きだなあと思ってしまいますが、この絵本は、読み進めていくうちに、
主人公の「ぼく」がどこに住んでいるのか‥通りの名前や、ビルのある番地まで‥が
自然にわかってくるという仕掛けつきです。

 ふたつめの、大好きなものは、話を最後まで読んで、そこに描かれている絵をみると、
あれ もしかしてこれって‥と、最初のページを開いて確かめたくなるような、そんな構成に
なっているお話です。


 
 扉に描かれた題名の下に、丸く切り取られたような絵があって、そこには降りしきる雨と、
建物がすこしだけ見えています。
 ページを繰ると、街灯がひとつ。
 また繰ると、さっきの雨降りの丸がすこし大きく描かれ、次の見開きページには、
雨降りの街が見える窓辺の絵が左側に。その窓辺がさらに大きく描かれた右側の絵には、
主人公の「ぼく」が居ます。
 窓枠には、シルエットになっているお人形‥?


 
 あるげつようびのあさ

 おうさまと、

 じょおうさまと、おうじさまが、ぼくをたずねてきた。

 でもぼくはるすだった。

 おうじさまはいった、
 「そんならかようびにまたこよう」



 
トランプの絵柄がそのまま抜け出てきたような、王様と女王様と王子様が、自分で傘をさして、
ニューヨークのソーホーを歩いているのです。(たぶん)ぼくに会うために。

 「ぼく」はそんな人たちが会いに来ていることを知らずに、バスを待っています。

 火曜日。今度は、おうさま、じょおうさま、おうじさまに加えて、きしが、またぼくをたずねてきますが、

 でもぼくはるすだった。

 だって、その頃地下鉄のDラインに乗っているのですから。

 おうじさまはいった
 「そんならすいようびにまたこよう」



 
 
そうやって、王様たちの一行は毎日ひとりづつ増えてきます。水曜日には衛兵が、木曜日には
王様のコックが行列に加わりました。でも、ぼくは毎日留守なのです。


 いよいよ日曜日の朝。8人と1匹にまで増えた王様たちは、「ぼく」に会えるのかな、会ったら、
何の用事があって訪ねてきていたのかがわかるのかなと、期待は膨らみます。

 おうじさまが言った最後のひとこと。
      ‥‥
 さすが王家のおぼっちゃまは言うことがちがうなあ、と私はへんに感心してしまいました(笑)。



 一行が去った「ぼく」の部屋の窓からは、晴れた空と、ビルが見え‥。
 あれっ? 窓枠にのっているあの人形はもしかして、と慌ててページを戻してみたくなるのです。
そして、テーブルの上にはちらばったトランプが‥。

 

 物語のはじまりが月曜の雨の日で、物語のおしまいが日曜の晴れた日なのは、
ちょっと出来すぎていて、ステキだなあと思ったのでした。




 






たいせつにしたいこと

2007-04-11 18:40:05 | 好きな絵本

 高校時代からの友人Mさんと、もう一人の友人(同じくイニシャルが)Mさんには、
同じ年のお嬢さんがいます。

 二人は1994年生まれで、しーちゃんが4月、みーたんが12月に生まれています。
小学校入学の時に、私が二人に贈ったのが↓の絵本。(このときはわりとすんなり決まりました。)
ほんとにほんとにほしいもの かあさんのいす
            

 
 
 そして、その二人が、この春小学校を卒業したので、そのお祝いにも本を贈ろうと思い‥
小説や詩や物語、あるいはお料理の本?まで範囲を広げて考えたのですが、「今」の私が
選ぶのならやっぱり絵本かなあと8割方心に決め、最後は、梅ヶ丘のことり文庫さんの
店内で、ことりさんに置いてある本の中から選ぼうと思ったのでした。

 Mさんのお嬢さん、みーたんにはこの本を。
はっぴぃさん
   『はっぴぃさん』  (過去記事は

 もう一人のMさんのお嬢さん、しーちゃんにはこの本を選びました。

 たいせつなこと

    『たいせつなこと』
   マーガレット・ワイズ・ブラウン 作
     レナード・ワイスガード 絵
        うちだややこ 訳
  

 

 マーガレット・ワイズ・ブラウンの絵本といえば、『しずかでにぎやかなほん』(過去記事)を
ずっと愛読していて‥この『たいせつなこと』が2001年に出た時は、なんとなく、いいかな
(買わなくても)と思い、知ってはいたけど、じっくり味わったことがありませんでした。

 ことり文庫さんの奥の部屋で、一緒にお店に行った娘に、声を出してこの本を読んでみました。
(娘が読んで、と言ったわけではなく、私が勝手に聞かせ始めたのです。)

 やっぱり、絵本は、声に出してこそ、だし、ひとりで声に出すよりは、誰かに向かって
語りかけてこそ、のものです。今までさらさらっと読んでいた時は、この本の魅力の10分の
1もわかっていなかったと思いました。

 
 言葉のつながり方の美しさ。語りかけの優しさ。

 あとがきで、翻訳された内田さんが ひらがなという美しい音色にかえ、
言ってるとおりだと思いました。


     あめは うるおす

    
    あめは そらから おちてきて
    
    しとしと ざぱざぱ おとが して
    
    いろんな ものを
    
    つやつやに かがやかせ
    
    どんな あじにも にてなくて
    
    くうきと おんなじ いろを している
 
    
    でも あめに とって
    
    たいせつなのは
    
    みずみずしく うるおす と いうこと


 


 私はしーちゃんへの手紙にこう書きました。

 この本は、小さな子供たちのために書かれた絵本だけど、10代の子が読んでも、
 大人が読んでも、詩の本を読んだ後のような気持ちになれると思い選びました。

 しーちゃんは、最初は何が言いたいのか分らなかったし、そんなのあたりまえ!
 って思い、でも、2,3回読むうちに、最後に書いてあることが大切だなと
 思ったそうです。そして「少しだけ」なら人に合わせてもいいし、「少しだけ」なら
 自分の意思を持って行動するのもいいと思ったと、結んでありました。

 しーちゃんは、「少しだけ」をカッコに入れてはいませんでしたが、私は、そう手紙に
書ける、素直さと正直さをかわいいなあと思うと同時に、羨ましくもなりました。

 生きていく中で大切なことは多々あり、優先順位だってありますが、本当に大切なこと、
たいせつにしたいことは、13歳のしーちゃんが教えてくれた伸びやかな素直さなのでは
ないかと、思っています。




 
 今年愛用している手帳には、1月1日からの「通し番号」がついていて、昨日がちょうど
100日目でした。100日といえば、1年の3分の1が過ぎようとしているということ。
今年になって、もうそんなにたってしまったのかと、焦る気持ちは、「たいせつにしたいこと」
の逆をいっているようで…。それではいけないと、しーちゃんからの手紙を読みなおした日でした。

 
 


かなしさがそよっとやってくる

2007-03-28 11:42:44 | 好きな絵本

 そよそよとかぜがふいている

 この題名を見て以来、<1>そよそよとした風が吹いてくるのは、いつの季節なのか。
<2>その季節に合わせてこの本のことを書きたいと、いう二つのことを、ずっと頭の隅で
思っていたような気がします。

 そして、今日。 私が思う、そよそよとした風が、そよっと吹いています。
「そよそよとした風」は、私の中では、春のはじまりに吹く風のイメージです。


   そよそよとかぜがふいている
『そよそよとかぜがふいている』
    長新太 作


 私が買ったこの本には、黄色の帯が付いていて、それにはこう書かれています。
 
  ふしぎな ふしぎな 
  ネコのおはなし。
  長新太、待望の新作!

 
 昨年の夏に、四日市市のメリーゴーランドに行った時、長新太フェアをやっていて、
ウィンドウに飾られたたくさんの本の中に、この本もあったのでした。
 題名も魅力的でしたが、ピンク色の中に居る「鼻の長い赤ザル」から目を離すことが
できなかったのを、覚えています。

 赤いサルがやけに印象的だったので、お店の中で本を見つけ、帯を読んだとき
「え?どこにネコが??」と思いました。これはネコのお話なの‥?と。
 よーく見ると、赤いサル(この猿は本文中でテングザルであるということがわかります)の
後ろに、「手」らしきものが見えていますが、これがネコの手だとわかるのは、この本を
一度でも読んだことがある人だけだと思います。

 鼻がやけに長いテングザル。

 本物のテングザルがこんな鼻をしているのかどうか知りませんが、長新太さん、ご自分の
顔をマンガで描くとき、鼻がやけに大きいおっさん顔にしますよね?それを、何度も見て
いたせいか、なんだか、このテングザルが、長さんに思えてしまって。そして、あきらかに
何かから逃げようとしているサルの格好と、後ろから不気味に迫ってくる「手」らしきものが、
なんか不吉な感じに見えてしまって。
 それは、長新太さんがご病気で亡くなった後に、この絵をみたせいや、2004年発行で
晩年の作品だと知っているからだとわかっていても、この表紙にはタダナラヌモノを、
私は感じているのです。


 さて、肝心のお話の始まりのこんなふうです。 

   ネコ でてきた。
   ペッタン ペッタン


 
あ、やっぱりネコが主人公の話なんだ、とここでわかります。が、「ぺッタン ぺッタン」が
くせものです。

 異常なまでに手が大きいネコなんですね~。
 
 この異常にでかい手を使って、ネコが「あること」をするのですが、その「あること」をするために、
手が大きく生まれてきたのか、それとも「あること」が大好きで、大好きでそればっかり
していた結果、しだいに手が大きくなってしまったのでしょうか。私は、前者のほうだと
思っているのですが‥。 

 ぺッタンぺッタン状態で、ネコが歩いていくと、まずタヌキに「ばったり出会う」。
 突如、「あること」をタヌキにむかってしでかすネコ(かなり攻撃的)。
 次にライオン、カバ、ワニ、と次々に会い、テングザル、ゾウ、ヒョウ、そしてブタで
終わる「あること」。

 
 凄いですよ~、ネコの「あること」。

 最後にはわりと牧歌的?な雰囲気で、お話は終わるのですが、私的には心底からは
安心できない感じです(笑)。だって、ネコはあのぺッタン手のまま、誰かに「ばったり」
出会うことを望んでいるにちがいないのですから。

 ここで、またまたテングザルに話しを戻したいのですが。

 テングザルだけが、なぜ「テングザル」に限定されているのかなあと、思うのです。
 ライオン、カバ、ワニときたら、ただの「サル」でいいはずですよね。長さんは、テングザルが
特にお好きなのでしょうか?それともテングザルが描きたい気分だったのでしょうか?
(もしかしたら、私の深読み通り、ご自分をテングザルに重ねていたのでしょうか)
 しかも、他の動物は一頭づつなのに、テングザルだけ二匹描かれているのです。
見開きページの右側と左側に、膝をかかえたポーズで‥。



 ぺッタン手ネコの行動を、わはわは笑って、ああおもしろかったと本を閉じることが
できたらいいのですが、私は、何度読み返しても、テングザルが気になって、滲んだ
水彩絵の具の色が気になって、表紙絵の構図が見事だなあと思って、そして、最後に
ちょっと悲しい気持ちになってしまうのです。

 春風が吹くと、ほんとはすごく嬉しいのに、でもすこしだけ冬が終わってしまうことが
切なかったりするその気持ちと、一緒かもしれないし、それとはまったく別の種類の、
悲しさかもしれません。



 


てつだってほしいの

2007-02-20 16:05:47 | 好きな絵本

 起きたときからくもっていて、降っているのかいないのかわからないくらいの雨模様。
しんみりと冷たい空気が満ちていますが、不思議と気持ちを重くしない天気です。
 全体に雲で覆われているけれど、それを思い切り吹き飛ばせば、その下にはブルーの
空とおひさまが休んでいるのがわかっているからだと思います。


 今日の本。

 これもまた「ことり文庫」のこうめさんに教えてもらったものです。早速図書館から
借りてきました。

  うさぎさんてつだってほしいの
  『うさぎさんてつだってほしいの』
 シャーロット・ゾロトウ文 モーリス・センダック絵
    こだまともこ 訳


 ゾロトウさんの文章に、センダックの絵だなんて、豪華版です!
 「うさぎさん、てつだって ほしいの」
 もうタイトルから、表紙の絵から、いきなりドラマがはじまっています。

 手足が長く、耳がすっと後ろに伸びて‥なんて精悍なうさぎさんなんでしょうね。
それに対して女の子、体と頭のバランスからしても小さい子どもです。けど、お話の中で、
ふと見せるしぐさが、妙に大人びているときがあって‥そういうときの方が、子ども子ども
しているときより、私には、いとおしくかわいらしく感じられました。

 原題は、MR.RABBIT AND THE LOVELY PRESENT
 
 
お母さんの誕生日プレゼントに何を贈ろうか迷っている女の子の相談に、うさぎさんが
親身にのってあげるお話です。

 「でも、なにが いいかしら?」
 「そうだね、なにが いいかなあ?」
 「おかあさん あかが すきだわ。」
 「あか? あかなんて あげられないさ。」
 「それじゃ、なにか あかいもの だったら?」
 「ああ、あかいもの だったら いいよね。」
 「あかいものって なにが あるかしら?」
 「えーと‥‥、あかい けいとの はらまき。」
 「あーら、そんなもの あげられないわ。」


 
こんなふうな会話を続けながら、女の子とうさぎさんは森の中を歩いたり、水辺に
座って休んだりするんです。相談ごとは続くのだけれど、いつしか二人は会話そのものを
楽しんでいます。



 
 声にだして、言葉にして。誰かにむかって話してみることで、自分の思っていることが
より確かになるってこと、よくあります。

 だいじな話には、真剣に。普通のことは普通のレベルで。些細な心配ごとには、
ユーモアをもって。毎日の会話を身近な人と楽しんでいきたいです。そのための、家族ですからね。


   ‥    ‥    ‥   ‥   ‥


 今朝。夫と話して‥それでもまだ決めかねていることがあって‥目に入ったのが
『うさぎさんてつだってほしいの』でした。ほんとに誰かに手伝ってもらいたい、助けてもらいたい
気持ちだったので、びっくり。
 そして、そのあと、 「ことり文庫」のHPを見ていたら、新しいフェアのタイトルが「扉をあけるあなたへ」。

 そうだ、私も、扉を開けようとしているところだった、それに私の今年の目標は
のうさぎさんのように」だった。その2つの、たいせつな大切なことを思い出したら、
気持ちはすっと落ち着いてきました。

 会話 のほかに、私には 絵本 も不可欠なものなのでした。

 ふふ。新しい扉‥開きそうな気配がしてきたらまたお話します。





  


空のような。

2007-02-15 16:25:14 | 好きな絵本
 胸のなかで想っていることを、まず「言葉」にして、それを次は「文字」に置き換える‥
書くという一連の動作。

 手にしている筆記具を使って、紙に文字の形を記していくのと、キーボードをぽんぽんと
叩いて、アルファベットを組み合わせて文字にしていくのとでは、何かちがいがあるかなあと、
そんなことを思いながら窓の外を見ています。

 そこには、ほんとうに美しい青空が広がっていて、この本の表紙と、びっくりするくらい
おなじ空色なのでした。
   
             『作家』
    M.B.ゴフスタイン作 谷川俊太郎 訳

 

 この本の中で、作者ゴフスタインは、作家は庭師だと言っています。

 あたためた考えを、言葉におき、

 それを切り、刈りこみ、
 設計し、形をととのえる。


 ‥ふーん、庭師か。

 そんなふうに思ってみたこともなかった私は、「ふーん」と言葉になって口から出ないように
気をつけながら、何度も何度も言ってみます。ふーん。

 

 
 ゴフスタインの絵本を、図書館で借りてきて、市内にないものは取り寄せしてもらって。
この『作家』もそんなふうにして知った1冊でした。

 火曜日にこうめさんの「ことり文庫」に行ったとき、この本が置いてあるのを見て
ドキドキしました。行く前から、買おうと決めていたゴフスタインの本は別のものだったから。
けれど、見てしまったからには、もう「見なかったこと」にはできません。
 
 新品のこの本には、空色のカバーの上に、パラフィン紙でもうひとつカバーがしてあるのです。
自分がそれを知っていたから驚かなかったのか、それとも知らなかったにもかかわらず、
あまりにもしっくり馴染んでいたから驚かなかったのか、わかりませんが。
 そのパラフィンのカバー。霞がかかった空のようにも思えるし、大切なものを、だいじに
しまっておくときの気持ちに近いようにも感じます。

 カバーを全部はずしてみれば、背表紙と、表紙の一部が布張りになっていて。見返しの色と
同じとっても好きなグレー色。
 この本が、ことり文庫から、私のところへやってきた必然のような偶然が、嬉しくてなりません。
 
 


 そして、この本は、この方に捧げられているのですよ。 

 
 シャーロット・ゾロトウに


 


 

 
 

好きでいるってこういうこと

2007-02-08 16:15:04 | 好きな絵本
 もうすぐバレンタインズデイですね。

 この時期は絵本が売れると聞きました。

 好きな人に、好きな絵本を贈る女の子が、たくさんいるのかなあと思います。
今は、プレゼントにしたくなるような、絵本がたくさんありますものね。

 口ではうまく言えないことを、絵本の中味が代弁してくれたり。
 自分の気持ちまるごとを、絵本が表してくれたり。

 そういうのがベストにちがいないけれど、そうじゃなくっても‥
 たとえば、ラッピングに凝るような感覚で、あるいは雑貨屋さんであれこれ迷うように、
おしゃれ小道具のひとつに絵本が使われたとしても、それはそれでいいかな、と私は思います。

 贈られた人には、本1冊分の重みが手の中にあるし、贈った人の心には、「好き+何か」
の何かとしてその絵本が必ず残るから。


 
 


 私の船長さん
      『私の船長さん』
  M.B.ゴフスタイン 作 谷川俊太郎 訳


 ずっと前に、この絵本があったなら、きっと誰かに贈っていたと思います。
 誰かを、好きでいるって、こういうことだなあと、しみじみ、しみじみ思います。


    でも私たちには
    気にかけ帰りを待つひとがいる
    おだやかな航海を願いながら。

    そしてるすのあいだに
    起こったことはなんでも

    そのひとが帰ってきたときに
    話す値打ちのあることなのだ。


 
 

 
ゴフスタイン絵本にすっかり魅了されています。今頃って驚かないでくださいね。
なんとなくなんとなく気になっていたものの、本当につい最近なのです、読み始めたの。

 そして、今わたしの中では、この『私の船長さん』『ゴールディーのお人形』 
『ピアノ調律師』が、ゴフスタイン3部作と呼ばれています。