今、私たちが居る場所が「こっちがわ」なら、
もう生きている間は会うことができない人が居るのが「あっちがわ」。
そんなふうに、生と死の2つで、居場所を分けていたけれど‥
今日、この本を読んだら、今自分が居る「こっちがわ」へ、来る前の人たちも
「あっちがわ」にいたのかもしれない、ということに気がつかされ、
それなら「あっちがわ」に行った人たちも、そんなに淋しくはないかも
しれないと思いました。

『
わたしのおじさん』 湯本香樹実 植田真・画
わたしは、みわたすかぎりの草原で目を覚まし、
ずっとむこうに見えている大きな木のところまで、
歩いていきました。、その木の下には、青いシャツをきた
コウちゃんが座っていました。
コウちゃんは、8歳の男の子だけれど、「わたしのおじさん」なんです。
わたしの、(まだ見ぬ)おかあさんが11歳のときに、
車にぶつかって死んでしまった、おかあさんの弟だから。
わたしは、コウちゃんと遊び、コウちゃんと眠り、コウちゃんの
おとうさん、おかあさんといっしょにごはんを食べます。
コウちゃんとの別れの日、むこうがわへのダイブを躊躇しているわたしに、
コウちゃんは、ここでのことを忘れてしまうわけではないのだと、
教えてくれます。
「むこうで、たとえばどこかはじめての場所に行って、 はじめてなのに来たことがあるような気がするって思ったり、 そういうことが‥」 「あるの?」 「ある。なんだかはじめて見たって感じがしないものを見たり、 はじめて会ったって感じがしない人に会ったり」
rが生まれた時、私の祖母はもういなくって、それを残念だといつも思ってきたけれど、
rはもしかして、あっちがわで、私のおばあちゃんに遊んでもらってきたのかもしれません。
初めて会ったはずの人なのに、いつかどこかで会ったような気がする人や、
初めて来た場所なのに、懐かしい気持ちを感じたなら、それもやはり
自分がこっちがわへ、ダイブしてくる前の記憶のせいなのでしょう。
植田真さんの絵が、お話を一層、味わい深いものにしています。
※体裁や、文章の量からすると、「絵本」には入らないのだと思いますが、
植田さんの絵は、挿絵の域を超えている!という個人的な好みで、
「好きな絵本」のカテゴリーに入れました。