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チュチュとはあんまり関係ないですが...

2011-07-29 00:59:36 | その他
『希望』が必要な町の話。

先月、とある三陸の町を訪ねてきました。

以前私がお世話になっていた臨海センターは、敷地の一部が海に沈み、瓦礫が撤去された後の建物は、歪んだ窓枠と垂れ下がった天井を残すのみ。
近くの水産工場が跡形も無くなっていることを思えば、建物が残っているだけでも奇跡的と言うべきなんでしょうが...
一年前の海の日に一般公開されてた船は、沈没したそうで、影も形もありません。
センターに縁のある人達で復興のために組織を設立して支援を始めていますが、正直、そう簡単にいきそうもないな...と思わざるをえませんでした。

町なかの被害は更に酷く、在るのは海砂に覆われたさら地と、焼け跡と、壮絶な瓦礫の山だけ。
いつも使っていた駅舎は、プラットフォームと歪んだ柵のはしっこだけを残して消滅。
鉄道橋を含めていくつかの橋が落ち、堤防の内側に海が入り込んで地形も変わっています。
さらには、打ち上げられた海泥と、大量の瓦礫から出る有害物質への懸念。
ライフラインの復旧云々以前に、前と同じ場所に同じように町を作るのか?というところから考え直さないといけない感じでした。



ただ、そういう中で印象的だったのが、あちこちに掲げられていた、災害派遣やボランティアなどの支援活動に感謝する看板や垂れ幕の多さ。
海外の報道で日本人の『礼儀正しさ』がしきりと取り沙汰されていましたが、私は、列に並んだり指示待ちだったりするのはある意味習性のようなもので、礼儀正しさとはあんまり関係ないような気がしてました。
が、あれほど酷い状態で、助けが来るのを当然と思わず、援助が十分でもないことにも文句を言うでもなく、来てくれた人達に素直に感謝ができるというのには、さすがに脱帽しました。
感謝することによって自分達の気持ちを奮い立たせてるという側面も確かにあるんでしょうが、もともと人が良い人達だったので、そういう感謝も出てくるのかもしれません。

あと、心に残ったのは、焼けた中学校の黒板で見つけた「I'll be back」の文字。
他にも、「あきらめない」「生き抜く」という言葉もあちこちに見られました。
(もちろん全て手書き)

先は長く、道もよく見えてこないというのが現実ですが、過去の教訓は今回、いくらかは生かされていたはずだし、今回の経験も必ず未来に生かされると信じたいと思います。

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