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「プリンセスチュチュ」ファンページ

18Akt

2005-11-30 21:03:38 | チュチュ感想文
ふぇみおに続き、今度は「電波っぽい人達」に目を付けられてしまったあひるちゃん。
でもぴけとりりえは「気をつけるのよ」と言ってたわりには、ふぇみおの時と同様、
あっさり見捨てて行ってしまいましたね。女友達って・・・

一方、ショッキングな夢を見て動揺した上に、復帰早々待ち構えていた(らしい)みゅうとに
捕まり、ネチネチとイジメられて、気分は最悪な(と思われる)ふぁきあ。
朝っぱらからハイテンションで、相変わらず何が言いたいかよく分からないあひるを
どう感じたんでしょうか?

ふぁきあの不機嫌に気がついたわけじゃないんでしょうが、あひるも一応気を使ったらしい。
「お芝居の中のバレエを『ふぁきあに』踊ってほしいんだって」と持ち上げ、正確には
「『この際』ふぁきあ先輩『でも』いいですわ」と言われたことは黙っていたようですね。
・・・いや、ただ単に、何が何でもやらせようと思っただけなのかも知れませんが。
台本押し付けて逃げたところを見ると、そっちの方が正解なのかな。

けど、ふぁきあはなんで台本が途中で終わってるって分かったんでしょうね?
話を聞いてる限りでは、そこで終わりでも一向におかしくないような気がするんですが。
「さすが直系の子孫」ということなのか・・・


ところで、幽霊騎士の踊りに使われていた「レ・プレリュード」(リスト)。
チュチュで使われてた部分以外もぞくぞくするくらいめっちゃカッコいいです~
それほど難しくないわりに聴き映えがするので、演る方にとってはオイシイ曲。

リストとワーグナーの仲が最悪だったのは有名ですね。
余談になりますが、御存知ない方もいらっしゃるかもしれませんし、
「おもしろい」ので簡単にお話しすると・・・

リストはワーグナーの後妻コジマのお父さんでした。
で、何が問題だったかと言うと、コジマがワーグナーの長女イゾルデを身籠った時、
ワーグナーには長年連れ添った妻(歌手)、コジマには2児をもうけた夫(指揮者)
がいました。(ちなみにリストとワーグナーは同年代で、コジマはワーグナーより
20歳以上年下。そりゃ親父も怒るよ)
そしてワーグナーの妻が亡くなってからコジマは離婚し、ワーグナーと再婚。
コジマの「元」夫ハンス・フォン・ビューローは、当初ワーグナーの音楽の支持者でしたが、
後に批判側に転向。・・・芸術の評価に私情を持ち込むべきではないとは思いますが、
こういう事情では仕方ないですね。
コジマとワーグナーがとても愛し合っていたのは確かなようですが、
その波紋も大きく、クラッシック音楽界最大と言ってもいいスキャンダルになりました。

メインテーマのエグモントについては前にもちらっと書いたので省略。
これも思い出の多い曲なので、語りだすと止まらない・・・
一言だけコメントすると、最後辺りがばっさりカットされてるのが笑えます。
ベートーベンの曲って、彼の粘着気質を表して(?)終わり方がやけにくどくて、
演る方も聴く方も疲れちゃうんですよね(笑)


さて、幽霊騎士とナシをつけに向かったふぁきあ、みゅうとのお払い箱宣言にもめげず
(一瞬めげてたか)力ずくの解決に突入。噂どおり短気なヤツだなぁ。
しかし、飛び込んできたチュチュを助けた反射神経はスゴイよ!
あのタイミングで有り得ないでしょう・・・まあでも、チュチュ殺しちゃうとお話が止まっちゃうし・・・

最後にドロッセルマイヤーがなんであんなに困ってるのかは、よく分かりません。
心のカケラも戻ってお話はちゃんと進んでるし、ふぁきあは自分の役立たずぶりを
あらためて噛み締めて悲嘆に暮れてるし、そんなに悪くないと思うんですけどね。


・・・というわけで、チュチュ感想文はしばらく止まると思います。
いつ再開するか分かりませんが、いつかは再開するつもりですので、
気長にお待ちいただけると有り難く存じます。

17Akt

2005-11-23 01:51:55 | チュチュ感想文
ビゼーと言えば『カルメン』の17Akt。
サブテーマ曲?もドビュッシーだし、ふぇみおはフランス語(もどき)を喋ってるし、
全体にフランス色にしたかったんだな、て感じですね。
(念のため・・・『カルメン』は舞台はスペインですが原作者はフランス人、
オペラ台本もフランス語です)

メインテーマのアラゴネーズは第4幕(最終幕)への間奏曲で、
破滅的な結末を暗示する派手な曲。聴きようによってはちょっと大袈裟で、
滑稽な感じもします。(そこがふぇみおらしいとも言える)
でも個人的には第3幕への間奏曲(チュチュ未出)の方が繊細で好きかな。
同じく第3幕の夜想曲(ミカエラのアリア;これもチュチュ未出)がまた、
温かく穏やかで心安らぐ素晴らしい曲。激情的な音楽が目立つ『カルメン』
の中では異色とすら感じられます。優しく語りかけるような音楽は、
自分を捨てた男を許し、あまつさえ危険を冒しても救おうとするミカエラの寛容さ、
心の強さといった、カルメンとは正反対の人物像(チュチュもそうだな・・・)
の表現なのでしょう。(にしてはちょっと甘すぎるけど)
まぁ結局のところこの二人は、男が求める二つの対極的な理想の女性像
(母親と娼婦)を象徴しているんでしょうね。(チュチュとクレールもか?)


話をチュチュに戻して・・・なんと言ってもふぇみお!
この回、ふぇみおのキャラだけで成り立っていると言っても過言ではない!
(あと、ふぁきあの狼狽と)
チュチュ登場人物中で唯一人、自力でカラスの闇から抜け出した男!
他人の反応を気にしようとか、話を聞こうとかいう気がカケラも無い男!
ビバふぇみお!!
ドロッセルマイヤーの次くらいに私が共感するのは、りりえと彼かもしれない・・・
そういやりりえの「彼とあひるなら・・・」はかなりツボでした。

それにしても、ラスコーリニコフを捕らえていた「罪と罰」と比べて、
ふぇみおのはなんと単純でお手軽で罪が無いことか。
(ロシアとフランスの太陽の差かな)
まぁでも自己完結してしまってるところは同じか。


サイトの方でも書きましたが、ふぇみおの『牧神の午後への前奏曲』は
そんなに妙じゃなかったって気がするんですけど、どうなんでしょう?
このバレエはだいぶ前に1回見たきりですが、こんなもんだったような気が・・・
それとも私の贔屓目?

で、その抜き打ち実力テストの件ですが、ああいうのって普通、
成績の悪い方からやるもんなんじゃないでしょうか?
だから、ふぇみおが言ったこと(「一番に・・・」)は間違いじゃないと思うんですが。
どうですか、猫先生?

しかしさすがはみゅうと、一瞬とはいえ、あのふぇみおをたじろがせるとは。
そしてみゅうとがふぇみおの憎いくらいの眩しさ(違)に失神した後、
猫先生はみゅうとに付き添い・・・てことは、レッスンは自習になったのか?
だとすると、ふぇみおは見事抜き打ちテストをぶっ潰したわけで、
ある意味英雄だったかも。

20Akt-3

2005-11-17 22:07:26 | チュチュ感想文
微妙な態度ときわどい会話で色んな人をうろたえさせ、
「あひるさんとお散歩」しながら水車小屋へと向かったレーツェルさん、
「ふぁきあの書いた物語はね、時々本当になることがあったの」
というところで第2組曲のインテルメッツォ(間奏曲)です。

アルトサックスの響きがメランコリックな第2主題の甘い旋律
(4小節分ほど切られてますが)に乗って、
”元々は素直で可愛かった”ちびふぁきあの逸話が意味ありげに語られ、
(今ふと思ったんですが、レーツェルさんが「ふぁきあが変わった」と言ったのは
花屋前のふぁきあの態度も含むのかな?
まぁ確かに、子供の頃は『姉』にあんな優しげな態度は見せないだろう・・・)
それをきっかけにあひるちゃんの突っ込み無用な妄想が繰り広げられます。

そして古本屋に引き続き今度は厩でヘコんでいるふぁきあを探し出した
あひるちゃんが、ふぁきあのトラウマをざっくり抉り出す瞬間、
劇的な第1主題の再現部に突入。お見事。


ちびふぁきあが両親に見守られて(どんな顔で見てたのかなぁ?)書いてたお話は
'Es war einmal ein Junge. +++. Das ist...' (昔々、少年がいました。それは・・・)
という、わりとオーソドックスなものでしたね。+++のところにもなんかありそうなんですが、
ふぁきあが手で隠してるんで読めません。
続きもありますが、やっぱり読めません。

ついでに20Akt冒頭、古本屋の2階で無意味にぐるぐる悩むふぁきあの脇に積んであった
本の一番上のヤツのタイトルが'ein wunderlicher Mann'(奇妙な男)で、ちょっと象徴的。
・・・たしかにふぁきあは奇妙な男かも・・・


そして黒みゅうとxふぁきあ一騎打ち。
役立たずな上に死に損ないの騎士、詰めの甘さは健在。
一度足を封じられて剣を抜かざるを得なくなったというのに、
性懲りもなく再びとっ捕まり、文字通り手も足も出ないふぁきあに
キレた黒みゅうとが斬りかかり、危機一髪!
(あの近さだと、目は開いてようと思っても、反射運動で閉じるんじゃないかな?)

ここでチュチュが叫ぶのは「ふぁきあ!」
・・・みゅうとを止めなきゃならないんだから、呼ぶのはみゅうとの方が良かったのでは・・・

しかしさすがは王子、カラスの血に蝕まれ「大切な人を傷つけるのを止めることもできない」
はずなのに、ちゃんと止めてます。
まあ、「それでも悲劇からは逃れられない」と。

そういや、黒みゅうとの守備範囲ってどれくらいなんでしょうか?
「若い心臓」ってあいまいな表現だよな・・・内臓年齢って人によって違うし・・・
レーツェルさんの歳が幾つなのか知りませんが、
だいたい10代くらいって感じなのかな?

20Akt-2

2005-11-10 21:15:05 | チュチュ感想文
レーツェルさんのテーマ(と私が思っている)アダージェットは
カット無しで全曲聴ける(あひるの「あ・・・ふぁきあ」の後から
「時々もっのすごく憎たらし・・・あ!」まで)んで、すごく嬉しいv
まあ、もともと短い(=3分弱)曲なんで・・・

どっかのバカップルみたいに花屋前でいちゃつくふぁきあとレーツェルさんのバックに
ふわっと流れ始めるこの曲、「アルルの女」では、主人公(裕福な農家のせがれ)
の家の老農夫が、昔の恋人に再会するシーンのもの。
穏やかで優しい曲ですが、諦観というか、溢れ出す甘い記憶に浸りながらも
同時にそれが既に過ぎ去ったものと認識してるという、一種の寂しさが
感じられる気がします。

で、ここのシーンは色々萌えポイントが多い~
「姉みたいなものだから」と言われてついほっとして、そんな自分に焦るあひるとか、
「姉はらぶらぶと違うズラか?」と訊かれて固まり、横目でうずらを睨むふぁきあとか、
みゅうとのことを適当に誤魔化すふぁきあを心配そうに見ているあひるとか。

気になったのがレーツェルさんの台詞「まさかカロンの・・・」。
そのあと何て言おうとしてましたか、レーツェルさん?『隠し子』?
(奥さんがいないってのは分かってるんだから、そういうことになるよな)
カロンもふぁきあも躊躇なく首を振ってましたが、「カロンがこっそりつくった」
という点から言えば、あながち間違いではないかもしれない・・・

レーツェルさんって含みのある言い方することが多いですね。これも。
「ふぁきあがこんな可愛い子と・・・」
・・・可愛い子と、何?
あひるは「可愛い」の方に気をとられて、レーツェルさんの誤解はスルーですが。
でもさすがのレーツェルさんも、まさか二人が裸を見せ合った(見せたわけじゃないか)
仲だとは思わなかったに違いない。

色々とスゴイ人だと思わされるレーツェルさんですが、何より
誰も居ない所に向かって話しかけてるあひるに対して平然と
「おもしろい人ねv」と言えるとは、まさに「大人の女の余裕」です。
そういやこの回、ぴけとりりえも絶好調。
「さんざん弄ばれて、ぼろぞーきんのように捨てられるふぁきあ様」は
私も是非見てみたかったなあ(鬼)
いや、ある意味、みゅうとにされた仕打ちはそうだと言えるか?

(まだ続きます)

20Akt ・・・つか、アルルの女。

2005-11-06 01:14:35 | チュチュ感想文
19Aktラスト、みゅうとの「どいつもこいつも愛されたいだけのくせに」を受けて(?)
「誰だって愛する人には愛されたい」の20Akt。
最終ステージの超重要アイテム(?)「ふぁきあの物語の力」が明かされ、
一見ただのヘタレな従者と思われたふぁきあが実は「魔法使い」だった
(しかも力の発動を自分で制御できないヘタレ魔法使いだった)てことが判明する、
一大イベントの回ですね。


20Aktの変身時テーマ曲は「売られた花嫁」ですが、全体的な比重から言えば
「アルルの女」かな。
個人的にいろいろと思い出のある曲なんで、20Aktのフランス映画っぽい(?)
ほろ苦さの滲む話と相まって、胸に込み上げるものがあります。

第1・第2組曲の中で私が一番好きな前奏曲とアダージェット(どちらも第1組曲)
が使われてて嬉しいです。
(有名なのは第2組曲のメヌエット(←本当はアルルの女じゃない)、
ファランドール辺りでしょうけど)
「アルルの女」はストーリー的には「カルメン」と対になってると言えるでしょうね。
ただし女は名前すら出てこなくて、男の(かなり一方的と見える)執着と、
田舎の家族との軋轢がメイン。
簡単に要約すると、都会の女にのぼせ上がった男が苦悩のあまり自殺し、入れ替わりに
白痴だった男の弟が正気になるという話(省略し過ぎ?)。
でも、正気に戻った弟が果たして幸せだったかどうかは私には分かりません。

後半始まってからわりとすぐ、レーツェルさんの「ふぁきあがそんなことを」から、
あひる「その人を助けられると思ったんですけど」の間に一瞬聞こえてくるのが
前奏曲(それぞれ別の主題を持つ3曲から成る三部構成)の第2曲で、
そのあとすぐに第3曲に代わっちゃうんですが、この第2曲が白痴の弟のテーマです。
(短過ぎてよく分からないかも)
アルトサックスの奏でる、夢見るような純粋で優しいメロディーが表すように、
現実の苦しみを知らない彼の世界は、憂いの無い、平和なものだったはず。
そこから、兄が自殺した厳しい現実に連れ戻されるのは、
彼にとって良かったと言えるんでしょうか?
・・・うーん、これはむしろ6Aktのテーマか?

(話はまだまだ続きますが、今日はここまで)