レッスンがないうちに、レシピ大整理をやってしまおう!と、今日も黙々と作業を続ける。
なかなか終わらないけど、あきらめずにやっていこう。
レシピを整理していると、色んな情景が目に浮かんできて、センチメンタルな気持ちになる。
「あぁ、今は亡くなった方から、教えてもらったんだわ。」とか。
「○○さんが、とっても喜んで下さったのよね」とか。
「あの時は、まだまだ未熟だったな」とか。
「あぁ、これって、昔からずっと食べてる定番だよね」とか。
毎月、毎月追われてしまいがちなので、見失いがちだったけれど、本当に家庭料理には思い出があるんだなぁ、ということをつくづく感じる。
最近、テレビで、料理研究家のケンタロウさんが「我が家のイベント食は、ラザニアでした」とお話しされていたのを聞いて「『イベント食』っていう言葉って、すごくいいな」と思った。
なんだか、特別な日を、その家オリジナルのお料理で、独自の楽しみ方をしているような気がするし、きっとその思い出は、より色濃く残る気がするから。
レシピには、味よりも、その時流れた時間が、深く込められている気がする。
たぶん、このレシピ達は、何よりも深い思い出になるんだろうなぁ。
なかなか終わらないけど、あきらめずにやっていこう。
レシピを整理していると、色んな情景が目に浮かんできて、センチメンタルな気持ちになる。
「あぁ、今は亡くなった方から、教えてもらったんだわ。」とか。
「○○さんが、とっても喜んで下さったのよね」とか。
「あの時は、まだまだ未熟だったな」とか。
「あぁ、これって、昔からずっと食べてる定番だよね」とか。
毎月、毎月追われてしまいがちなので、見失いがちだったけれど、本当に家庭料理には思い出があるんだなぁ、ということをつくづく感じる。
最近、テレビで、料理研究家のケンタロウさんが「我が家のイベント食は、ラザニアでした」とお話しされていたのを聞いて「『イベント食』っていう言葉って、すごくいいな」と思った。
なんだか、特別な日を、その家オリジナルのお料理で、独自の楽しみ方をしているような気がするし、きっとその思い出は、より色濃く残る気がするから。
レシピには、味よりも、その時流れた時間が、深く込められている気がする。
たぶん、このレシピ達は、何よりも深い思い出になるんだろうなぁ。