実家へ行ったらちょいと懐かしい写真が出てきました。かなり枚数あるので何度かに分けてご紹介します。何卒ご高覧のほどを。
なお、ネガではなく印画紙をスキャンしたので褪色もあり、また技術も未熟なのはご勘弁ください。
冒頭写真は1988年秋から登場した旧3000系の旧塗色です。戦後から昭和40年ごろまで使われてたとのこと。1989年3月の引退までこのカラーで走りました。最後は3000系全車を目蒲線に集めて、それのみで10日間運用するという、もはやスケールとしては最初で最後であろう“引退興行”が行なわれました。といってもヘッドマークなどの飾りつけも一切なく、それはそれで味がありましたね。
撮影場所は大岡山‐奥沢間、機材はペンタックスSPです。細かいデータは記録していませんが色補正フィルター程度は使用しています。
こちらが標準色のライトグリーン、場所は多摩川園駅(当時)です。
3000系よりも前に東急を去った5000系です。場所は奥沢検車区(当時)でホームから撮りました。譲渡先の地方私鉄からの要望とはいえ、新性能車を撤退させて旧式のツリカケ駆動車が残りました。
こちらは7200系、撮影日は1995年1月29日とあります。場所は大岡山‐奥沢間、機材はミノルタα7700iです。当時はスピードを出す区間だったのでタイミングやシャッター速度設定の難しさはありましたが線路より高い位置から撮れるので好きなスポットです。
おまけと言いますか、日比谷線から東横線に乗り入れてくる営団3000系、場所は田園調布駅です。向こうにはやはり日比谷線に直通する東急7000系が見えます。こちらはペンタックスで撮りました。撮影年は1988年秋頃ではないかと思われます。日吉駅で折り返していた日比谷線直通列車が同駅工事のため菊名まで延長されました。
なお、ネガではなく印画紙をスキャンしたので褪色もあり、また技術も未熟なのはご勘弁ください。
冒頭写真は1988年秋から登場した旧3000系の旧塗色です。戦後から昭和40年ごろまで使われてたとのこと。1989年3月の引退までこのカラーで走りました。最後は3000系全車を目蒲線に集めて、それのみで10日間運用するという、もはやスケールとしては最初で最後であろう“引退興行”が行なわれました。といってもヘッドマークなどの飾りつけも一切なく、それはそれで味がありましたね。
撮影場所は大岡山‐奥沢間、機材はペンタックスSPです。細かいデータは記録していませんが色補正フィルター程度は使用しています。
こちらが標準色のライトグリーン、場所は多摩川園駅(当時)です。
3000系よりも前に東急を去った5000系です。場所は奥沢検車区(当時)でホームから撮りました。譲渡先の地方私鉄からの要望とはいえ、新性能車を撤退させて旧式のツリカケ駆動車が残りました。
こちらは7200系、撮影日は1995年1月29日とあります。場所は大岡山‐奥沢間、機材はミノルタα7700iです。当時はスピードを出す区間だったのでタイミングやシャッター速度設定の難しさはありましたが線路より高い位置から撮れるので好きなスポットです。
おまけと言いますか、日比谷線から東横線に乗り入れてくる営団3000系、場所は田園調布駅です。向こうにはやはり日比谷線に直通する東急7000系が見えます。こちらはペンタックスで撮りました。撮影年は1988年秋頃ではないかと思われます。日吉駅で折り返していた日比谷線直通列車が同駅工事のため菊名まで延長されました。
日々直の営団3000 東急7000形
7200のトップ日立製
この頃の自分はかなりな東急マニアでした
拙者は7000系の日立車が好きでしたね。
あの悲鳴のようなモーター音と暴力的な加速はなかなか他では味わえませんでした。