瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

2011年、クリスマスには歌を歌おう♪その1

2011年12月21日 21時59分04秒 | クリスマス
はぁい♪ミス・メリーよ♪
町にクリスマスソングが奏でられる頃、私はこのブログに帰って来る。
髪を結う金と銀との鈴を鳴らしながら。

久し振りねぇ、皆!
今年も一緒に、明るく楽しく、クリスマスソングを歌いましょう♪

さて、今年のテーマは何かしら…何だと思う?
じゃじゃんと発表♪今年のテーマは「クリスマスを題材にした文」よ♪

この世でクリスマスほど昔から祝われてる祭日は無いの。
それは聖キリストの誕生日になるよりも、ずっとずっと遥か昔からの大事な行事。
1年でクリスマスほど愛されてる日は無いわ。
え?貴方は「正月の方が好き」ですって?――ノープロブレム♪
正月だってクリスマスの内に含まれてるのよv
加えて言うなら盆の祭だって昔は兼ねてたの。
だからクリスマスは1年で最も盛大で、特別で、賑やかで、楽しいお祭なの!

大昔から世界中の人達に祝われて来たクリスマスだけど、現代で広く見られる形式はヨーロッパ・欧米流。
キリスト教圏というのも有るけど、冬至のお祭は寒い北国でこそ重要な意味を持つもの。
今でも世界中でクリスマスを最も愛してるのはヨーロッパの国の人達でしょうね。

ニューヨーク生れのアメリカ人作家ワシントン・アーヴィングは、「スケッチブック」と言う随筆集の中で、イギリスではクリスマスがどんな風に特別かを書いてるわ。

「イギリスでは元来社会のどの階層にも田園の風習が強く染み渡っているので、人々は昔から何時も、祝祭や休日で田園生活の単調さが途切れるのを喜んだ。そして、クリスマスの宗教上の儀式や社会の慣例を特に良く守ったのである。」

「イギリスではクリスマスは今も尚楽しく心が踊る時である。あらゆるイギリス人の胸の中に、家庭的感情が湧起こって、強い力を持つのは、見るからに嬉しい事である。親睦の食卓の為の万端の準備がされて、友人や親戚が再び結び逢わされる。ご馳走の贈り物は盛んに往き来して、尊敬の意の印ともなり、友情を深めるものともなる。常緑樹は家にも教会にも飾られて、平和と喜びの象徴となる。こういう事全てのお陰で、睦まじい交わりが結ばれ、慈悲深い同情心が燃え立たされるのである。夜更けに歌を歌って歩く人達の声は、例え上手ではないとしても、冬の真夜中に湧起こって、無情の調和を醸し出すのだ。『深い眠りが人々の上に落ちる』静かな厳粛な時刻に、私は彼らの歌声に起されて、心に喜びを秘めて聞き入り、これは、再び天使の歌声が地に降りて来て、平和と善意とを人類に告げ知らせるのだとさえ思った。想像力は、このような道徳的な力に働きかけられると、実に見事に、全てのものを旋律と美とに変えるものだ。雄鶏の鬨の声が、深く寝静まった村に、時折聞えて、『羽の生えた奥方達に夜半を知らせる』のだが、人々は聖なる祭日の近付いた事を告げているのだと思うのである。」

アメリカ生れの作家な彼にとって、イギリスは祖先が築いた旧い歴史の有る国。
イギリスが「既に年功を積み、永い間に蓄積した宝物に満ちている」事に憧れてる様子が解る文章ね。
彼はイギリスに滞在した折に友人と再会し、友人の父親であるブレースブリッジ邸に招かれ、旧き英国のクリスマスを体験した事も、随筆集の中で紹介してるわ。
この友人曰く、昔気質のイギリスの田舎紳士ブレースブリッジ氏は、昔ながらの慣習や遊び等を守る事を使命と考えているんですって。

「何時でも家族に祭日はちゃんと祝わせ、家の祝いの日には、私達を周りに呼び集めたものでした。父は私達の遊戯を指図し監督もしましたが、その厳格さといったら、他の親達が子供の勉強を見る時の様なものでした。たいへん几帳面で、私達が昔のイギリスの遊戯をその本来の形式通りにやらなければならないと言って、古い書物を調べて、どの様な『遊びごと』にも先例や典拠を求めたものです。ですが、学者ぶるといっても、これほど愉快なものは有りません。あの善良な老紳士の政策は、子供達に、家が世界中で最も楽しい所だと思わせるようにした事です。そして、実際、私はこの快い家庭的な感情こそ親が与えうる贈り物の内で1番立派なものだと思っているんです」

イギリスの歴史はブレースブリッジ氏の様な頑固な地方地主らが居てこそ守られて来たのかもしれないわね。
イギリスの作家チャールズ・ディケンズは、アーヴィングのこの随筆集に影響を受け、あの有名な「クリスマス・キャロル」を執筆したと言われてるわ。
作品を書く2年前に彼は、アーヴィング宛に出したファンレターの中で、「馬車に乗って、御一緒にブレースブリッジ邸まで旅を致したいものです」と述べてるの。
そういえば「クリスマスキャロル」で登場する、主人公が若い頃に丁稚奉公していた、主のクリスマスパーティーのシーンは、ブレースブリッジ邸でのクリスマスパーティーシーンに、イメージが重なって思えるわ。

「様々の古い祭の中でも、クリスマスの祝いは、最も強いしみじみした連想を目覚めさせる。それには厳かで清らかな感情が篭っており、それが私達の陽気な気分に溶け合い、心は神聖で高尚な悦楽の境地に高められる。」

「古い昔からの美しいしきたりによって、この、愛と平和の宗教の宣布を記念する祭の日々には、一族は相集い、また、肉親の者でも、世の中の苦労や、喜びや、悲しみで、何時も引き離されがちな人々がまた引寄せられるのだ。そして、子供達は、既に世間に旅立って、遠く離れ離れに彷徨っていても、もう一度両親の家の炉辺に呼び返されて、その愛の集いの場所に団欒し、幼年時代の懐かしい思い出の中で、再び若返り、慈しみ合うのである。」

「季節そのものも、クリスマスの祝いに魅力を添える。自然があらゆる魅力を奪われて、一面に雪の経帷子に包まれると、私達は心の満足を精神的な源に求める様になる。私達の思索は、他の季節よりも集中し、友情も湧出て来る。私達は、人と睦まじくする事の魅力をしみじみと感じ、互いに喜びを分け合うようになり、親しく寄り合うのだ。」

「夜は戸外が真暗で陰鬱なので、炉の火が暖かく輝いている部屋に入ると、心はのびのびと膨らむのだ。赤い焔は人工の夏と太陽の光とを部屋中に満ち渡らせ、どの顔も明るく歓待の色に輝く。人をもてなす誠実な顔が、優しい微笑みに綻びるのは、冬の炉が1番である。」

アーヴィングが論じるように、クリスマスが特別な日になりえたのは、「宗教上の祭日」で、「1年を終える節目」で、「最も暗く寒く厳しい冬」だから――この3つの理由が大きいでしょうね。

さて、それじゃあ第1曲目のクリスマスソングよ!
イギリスが誇る賛美歌の父アイザック・ウォッツが作詞、アメリカ人のL・メーソンが、ドイツ生れのヘンデル作曲『メサイア』のテーマを下地に作曲――正に世界の作詞家・作曲家が集って生れた「諸人こぞりて(Joy To The World)」!
歌で〆て今夜はこれまで…また明日も一緒に楽しく歌いましょう♪


              【諸人こぞりて―Joy To The World―】



日本語バージョン

諸人こぞりて♪ 迎えまつれ♪
久しく♪ 待ちにし♪
主は来ませり♪
主は来ませり♪
主は♪ 主は♪ 来ませり♪

悪魔の一夜を♪ 打ち砕きて♪
虜を♪ 放つ者♪
主は来ませり♪
主は来ませり♪
主は♪ 主は♪ 来ませり♪

この世の闇路を♪ 照らし給う♪
妙なる♪ 光の♪
主は来ませり♪
主は来ませり♪
主は♪ 主は♪ 来ませり♪

英語バージョン

Joy to the world♪ The Lord is come♪
Let earth♪ Receive♪ Her King♪
Let every heart♪ Prepare Him room♪
And heaven and nature sing ♪
And heaven and nature sing♪
And heaven♪ And heaven♪ And nature sing♪


Joy to the world♪ The Savior reigns♪
Let men♪ Their songs♪ Employ♪
While fields and floods♪ Rocks, hills and plains♪
Repeat the sounding joy♪
Repeat the sounding joy♪
Repeat♪ Repeat♪ The sounding joy♪


(↓から、びょり記)

…今年のクリスマスもやって来ちゃいましたよメリーさん。
また暫く乗っ取られちゃってますが、今年もお付き合いどうか宜しく。

ワシントン・アーヴィングは首無し騎士伝説「スリーピー・ホロー」の作者で有名。
映画「スリーピー・ホロー」の元になったお話です。

写真は恵比寿ガーデンプレイスの坂道プロムナード、詳しいスポット紹介はまた後日。

参考書籍:「スケッチブック(吉田甲子太郎、訳 新潮文庫、刊)」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あにめぞん感想、ざっくばらん14

2011年12月18日 15時00分17秒 | 漫画&アニメ
最近更新が週1ペースなのは裏で色々動いてるからです、いや私ではなくメリーさんが。
今年のクリスマスも間違い無くメリーさんはやって来るでしょう。
いつもいつも予告を裏切ってばかりいるけど今度ばかりは大丈夫、だって更新するのは私ではなくメリーさんだから。
彼女は私と違って約束は破らないのをモットーにしてるのです。
ブログ主としては破って貰っても全然構わないんだけど。
几帳面な人だから…きっとA型だ。(偏見)
先日怪盗キャッツアイの予告状よろしくクリスマスカードが――しゅぴん!と飛んで来て壁に刺さりました。
「2011年12/21~2012年1/1迄、此処のブログ乗っ取りに来まして候」、なんて書いてありましたよ。
何人なんでしょうね?あの人…。
ちなみに開くとオルゴール音が鳴るタイプで、曲は「サンタが町にやって来る」でした。
来ーる♪きっと来る♪きっと来る♪貞子のよーおーにー♪長い髪を振り乱しなーがーらー♪――やだな、そんなの。(汗)
それはさて置き今週も東京MX局絶賛再放送中に合せて、あにめぞんの感想プレビュー前回の続きで御座います。
尚、メリーさんに乗っ取られてる間は、勿論レビュー休止となりまする。

▲第14回「やったね五代くん!響子さんと初デート」 脚本:島田満 コンテ・演出:鈴木行 作画監督:音無竜之介(高橋ナオヒト)

…早いもので響子さんが一刻館にやって来てから1周年。
ほんま早いわ、第14回目で1周年って、1ヶ月に約4回放送と考えても、開始から4ヶ月経ってませんよ。
3/26~放送開始だったから、7月に(作中では)1年が終って、冬を迎えたという。
当時隔週連載だった原作の季節に合せる事で、実際の暦からは大いに外れてしまった。
原作通りにアニメ化しようとして、原作の魅力である季節感を失くしてしまうのは、皮肉と言うしかない。

あにめぞんは監督(CD)が3度交替、その度にコンセプトを切り替えた為、結果的に3部構成なアニメとなったわけっすが、第1部やまざきCD時代の中で、個人的に最も印象深いのがこの回。
原作には登場しない、こずえちゃん坂本君を絡ませ、2人を原作以上にすれ違わせたのは見事。
比較するとかなり改変されてる、批難する向きも有ろうが、上手く膨らませてたと思うよ。
デート代に当て込んでた月謝を手に入れる迄のプロローグ部分も笑えたです。
月謝を払う日を忘れてる相手を前に、どう切り出して良いか解らず、玄関で見詰め合う気まずい間。(笑)
結局言い出せなくて、とぼとぼ帰る道の途中、月謝を渡しに郁子ちゃんが駆けて来る。
大喜びで郁子ちゃんと小躍り(?)する五代君――ここでタイトルコール。
本編が始まり、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、響子さんをデートに誘う五代君。

五代「それじゃあ待合せ場所は『ま・めぞん』で!」
響子「はい!『豆蔵』ですね!」

しかし互いに待合せ場所を聞き間違えた事からすれ違う2人。
前回同様、携帯さえ有れば、瞬時に解決してしまう、旧き良き昔だからこそ成立するドラマ。
かてて加えてアニメでは、違う喫茶で待合わせしていたこずえちゃんの姿を、パチンコ帰りの坂本君が見かけて、それを五代君と響子さんに申告、事態が益々ややこしくなる。

「おい五代、デートの待合わせか?彼女だったらここじゃなく、駅前の喫茶で待ってたぞ、早く行ってやれ!」
「奇遇ですね~管理人さん!五代なら彼女…こずえちゃんって言ったっけか?デートの待合せに飛んで行きましたよ!」

五代は待合せの店を響子さんが勘違いしたと思い(事実だが)、坂本の言う喫茶へ急行。

響子さんはといえば、彼女の1周年を祝う三鷹や住人達と、居酒屋「豆蔵」に居た。
偶然にも住人達の指定した祝いの場も「豆蔵」だったのだ、そこで彼女は心密かに五代を待っていた。
しかし何時まで待っても来ない。

「来ないじゃないか、あんたの待ち人」
「場所はここで間違い無いの?」
「ええ、確かに『豆蔵』と…」
「ひょっとして『ま・めぞん』じゃないのォ?」
「あー!そう言われてみれば確かに似てるね!『豆蔵』と『ま・めぞん』!」

朱美の指摘により、勘違いに気付いた響子さんは『ま・めぞん』に走る。
しかし前述の通りタイミング悪くも五代はこずえちゃんが待ってる喫茶に向った後。
そして響子さんは坂本とばったり出くわし、五代はこずえちゃんと待合わせしてると聞かされる。
腹を立てた響子さんは坂本を誘って豆蔵に戻る、そこへ友人と待合せてたこずえちゃんが入って来て…。

「こずえさんと待合せてない!?だったら、五代さんは――」

全て自分の誤解だった事に気が付いた彼女は、再び『ま・めぞん』へと飛び出す。
折良く夜の街に降る涙雨、道に滑って脱げるパンプス、裸足のシンデレラはずぶ濡れで、ネオン瞬く通りをひた走った。

雨に濡れた響子さんの横顔がとても美しかった。
後年ファンから印象深いシーンに挙げられてたなと。
当時アニメ雑誌でも評論家がこのシーン挙げてレビュー書いてたのを記憶してる。
ラストの傘も含めて、雨の演出が素晴しい効果を上げていた。

ただあまりにドラマティックに演出した為、五代と会えたあと彼に肩を抱かれた響子さんが、「仕方ないわね…自分が遅刻したのが悪いんだもの…」と呟くのが、薄情に感じられなくもないという。(笑)
原作以上に大袈裟に演出した事で、ラブストーリーに余計な笑いを挿入してる様に感じさせるのだな。
それと親友の坂本は五代が響子さんを密かに想ってる事を知っている。
なのにこずえちゃんと付き合ってるからといって、彼女に「五代がこずえちゃんの所に向いました~」と申告するかは疑問。
そこまで彼は無神経な奴じゃない気がするんだわ。

原作を忠実にアニメ化するのは無理な事だと、あにめぞんを観ていてつくづく感じる。
作者の思惑通り作る事が出来るのは作者以外居ない。
脚本家や演出家がちょっと改変した積りでも、次第にずれて歪を溜めてく断層の様に、地形を変える原因になるんですよ。
なら開き直って別作品創る積りで取り組んだ方が全体のクオリティは上るだろう。
後年まで「傑作」と称えられる原作付アニメは、全て原作とは全くの別物になってる事実を考えると、アニメ化になった時点でファンも原作者も「別作品」と捉えるべき。

最近も「らんま」がドラマ化したが、自分は観ずに終りました。
傑作になろうが駄作になろうが関係無い、「らんま」じゃない「らんま」には興味が持てない。
アニメらんまも途中から観なくなったし
逆にあにめぞんを何故観続けたかというと、原作にそこまで執心してなかったから。
うる星も好きだけど、押井版のうる星も好きだったから、観続けられた。
ワンピはワンピで、アニメ版のも結構気に入ってるのかも。
原作一義だとアニメやドラマになった時、楽しめない。
「原作者やファンに楽しんで貰える作品を目指す」なんて平気で言える制作者は信じない事にしている。

(個人的評価) 脚本○ 演出△ 作画○ …最初の頃は幼く可愛らしい顔に設定されてた為、雨に濡れて突如アダルトタッチになる響子さんの衝撃度は高かった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あにめぞん感想、ざっくばらん13

2011年12月11日 15時46分12秒 | 漫画&アニメ
アマからプロまで嬉々として天体観測に勤しんだであろう昨夜、自分は月が完全に隠れるまで外で頑張ってました。
その後は寒さに負けて家に戻ったけど、肉眼でもぼんやり怪しい赤い月を確認できて満足。
一夜の内に段々と欠けてく月は、理由を知ってても不思議だ。
昔の人はそりゃあ驚き恐れた事だろうなぁ。
晴れていたおかげで始まりから終りまで世紀の天文ショーをくっきり楽しめた。
次に国内の天文ファンが待ち望む大イベントは来年5/21、7時32分頃に起るという金環日食か、東京では江戸時代以来の観測になるそうで、昨夜みたく晴れてくれれば良いなぁ。
ちなみに全然関係無いけど今年のミス・メリー出現期間は12/21~1/1です。
お楽しみに~って言って良いものだろうか…?

それではそろそろ前回の続きで、本題に参りましょう。(汗)

▲第13回「モテモテ五代くん?桃色電話にご用心!」 脚本:武上純希 コンテ・演出:吉永尚之 作画:河南正昭

…響子さんの「何よあの――色餓鬼!!!!」なる衝撃的台詞でファンには有名な回。(笑)
動きと声が付く分アニメでは更に迫力、野球エースばりに見事な投球フォームだった。

大学に入学して交流が盛んになった五代君。
こずえちゃんとの付き合いも始まり、これが噂のモテ期というものか!?
常に女性の熱視線を感じる~なんて浮かれてたら、暇人という事で人形劇のサークルに勧誘されてしまった。
サークル会員は逞しい風貌の部長以外、若い女ばかり(当り前か)。
入会して以来、一刻館管理人室には、若い女からの五代君ご指名電話が、ひっきり無く鳴るようになり、響子さんは苛々してしまう――というのがこの回の粗筋で御座います。

携帯電話が無い時代だからこそのラブコメ展開、友人や恋人からの電話を家族が受けて、プライバシーを侵害された記憶も今は昔。
こうして考えると私生活は護られる様になった反面、携帯は人間関係を急速に希薄させた道具なのだなと。
正に現代を現代たらしめる魔術的アイテムと呼べよう。
しかし放送当時、既に親機子機に分かれる電話が普及してたように記憶してる…当時から既に原作世界は古風なものだったという事で、高橋先生の青春時代の憧れを描いてたわけだから然もありなん。

原作で傑作と評されたエピソードを、原作に忠実に作ってた良回でした。
繋ぎのオリジナルシーンも今回は浮いてなかった。
黒木さんは声優の演技力も加わり、原作以上に妖気を醸していた。(島津さん流石!)
男トイレの個室に侵入しての張り込みはやり過ぎな気もするけど笑った。
咥えてたのは禁煙パイプ?
坂本と五代との会話も何時もより活きてたなぁと。
剥いてる林檎が途中から実の部分に変る描写(しかし最後まで剥いてって、あんな形にはならんだろう)、モップが倒れる間、響子さんが編み棒をカチャカチャ喧嘩させる描写等々、地味だけど生活のリアリティに溢れてて印象に残った。
やはり吉永さんの演出カラーは「めぞん」という作風に合ってる。

作画も大分落ち着いたものに変って来てる様な…しかしまだまだ「うる星」カラーを引き摺っておるなぁ。
可愛いんだけどさ、響子さん。

(個人的評価) 脚本○ 演出○ 作画△ …島本さんの鈴の鳴るよな美声で凄まれると尚恐い。(笑)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怪しい奇しい、お月様

2011年12月10日 22時11分20秒 | ただいまおかえり(雑記)
今夜は皆既月食――空を見上げてみるのだ!

     

     

幸運にも今夜は晴れてて良く観える。
午後11時58分まで月がすっぽり隠れた状態でいるらしい。
中天に在るから、外に出なきゃ観られないのは辛い…寒い!
それでも皆観に来てるんだから偉い。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あにめぞん感想、ざっくばらん12

2011年12月01日 17時31分16秒 | 漫画&アニメ
オチで負ける辺りが鷹らしい…。
それはそれとして(いや語りたい事は多いんだけど)前回の続きです。

・第12回「恋のスクランブル!好きって言ったのに…」 脚本:金春智子 コンテ:小島多美子 演出:関田修 作画監督:服部圭子

…こずえちゃん本格登場~。
演出も作画も今回は「凡庸」の一言、×を付ける程悪くはないけど、全体的にパッとしない出来だった。
のっけからキラリンパラリンと無駄に効果音使い捲り、響子さんが出掛けるまで何コマ使ってるんだっつう。
そのせいで狂った演出のテンポを救ったのは声優の頑張り。
こずえちゃん役を演じてる冨永みーなさんは、子供の頃からバリバリ活躍しており、十代後半を迎える時点で既にベテラン声優の域に到達しとったのです。
伝説の欧米ドラマ「大草原の小さな家」に登場する、インガルス一家の三女キャリーの声をあてたのは小学生の時だそうな。
最近だと「サザエさん」のカツオ役とか、大人も子供も少年も少女もヒロインもライバルもナレーションも、何でもこなせる実力派声優。
業界では山寺宏一さんばりに頼られてる声優さんじゃないかと。
「めぞん」内で演じておられる声優さんは全員上手い方ばかり、中でもこのこずえちゃん役の冨永さんと、一の瀬さん役の青木和代さん(ジャイアンの母ちゃん役もこの方)は、特にはまってたなぁと感じた。

冨永さんが声をあてた事で、アニメのこずえちゃんは活きた。
眼鏡からコンタクトに替えた理由は、原作同様五代の気を惹きたいが為と匂わせるのみ、でももしかしたら前の彼氏にふられる切っ掛けがそこに有ったのかなぁと、演技から想像できなくもない。
「眼鏡女には色気を感じない」、なんてな。
彼女が五代に積極的に迫るのも、前の恋では消極的だった為に実らず、彼氏は新しい彼女と手を組み去ってしまった、だから今度こそ手を離さずに居ようと必死なのでは…なんて想像できてしまう。

原作者の留美子先生は、このこずえちゃんの性格が、描いてて掴めんかったらしい。
「(自分とは)血液型が違うんじゃないか」なんて仰ってる。
逆に「響子さんは自分そのもの」と仰っており、だからこそこずえちゃんの思惑は、原作ではっきり描かれてないんだろう。
原作だけだとこずえちゃんの心理はむしろ今一解り難い印象。

他、四谷さんにしろ、朱美さんにしろ、一の瀬さんにしろ、声優さんの力でもって盛上げてる。
四谷さんの「落~ちて行きましょ♪」は千葉さんオリジナルの節回しですな。(笑)
ずばり言って五代君と響子さんだけの物語だったら、自分は「めぞん」に興味持たなかったと思う。
「めぞん」は他人の人生の妨害に徹する脇役有ってこそ面白い。

声優さんばかり褒めてるが、実際今回は殆ど声優さんの演技くらいしか、褒めるとこ無いなぁと。(汗)
「夜霧よ今夜も有難う」とか、演出のセンスが当時からして古臭く感じられた。
作画も、美しかったのはラストの響子さんのアップくらい。
あの絵の美しさは原画マンの響子さんへの愛故ですな。(笑)

(個人的評価) 脚本△ 演出△ 作画△ …響子さんの紛らわしい声の演技も素晴しかった、あれじゃ誤解するのも仕方ない。(笑)


コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする