はぁい♪ミス・メリーよ♪
明日は聖クリスマスよりも楽しみな――なんて言ったらキリスト様に失礼だけど――クリスマス・イブね♪
聖なる日を前に飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ、クリームとフルーツが載ったクリスマス・ケーキ、それからプレゼントも貰えるわ!
「そんな物、貰った事も無い」なんて言わないで。
ひょっとしたら、貴方が気付いてないだけで、いつかどこかで見えない宝物を貰っているかもしれないでしょ?
だってプレゼントを持って来るサンタクロースも、ソリを牽くトナカイ達も、人の目には見えやしないのだから。
「目に見えない存在は信じない」?…そうね、むやみやたらに信じない事は、自分の身を守る為に、時には大事だわ。
でも、もし貴方が大人で、貴方に子供が居て、貴方の子供に「サンタは居るの?」と尋ねられたら、貴方はどう答える?
「サンタクロースは本当に居るの?」
ニューヨークの或る所にヴァージニアという、8歳の少女が居ました。
或る日彼女は学校で、サンタクロースが居るか居ないかを巡り、クラスの友達と喧嘩になったの。
ヴァージニアは断固サンタクロースは居るんだって主張したわ、でも友達は断固居ないって否定したの。
ヴァージニアは腹立ちそのまま家に帰って、パパにサンタクロースは本当に居るのかを尋ねたの。
パパは言ったわ、「ザ・サン(新聞)に投書して訊いてみなさい」って、「新聞社の人が『居る』って答えるなら居るんだろ」って。
信頼の置ける大人に訊きなさいって事なのね。
そして1897年9/21、ニューヨークの大新聞「ザ・サン」の社説には、後に本にされて世界中の人に読まれる名回答が載ったのよ。
「へんしゅうしゃさま、わたしは8さいです。
わたしのなんにんかの友だちはサンタクロースはいないと言います。
パパは『サン新聞が言うことならそのとおりだ』と言います。
どうかわたしにほんとうのことを教えてください、サンタクロースはいるのでしょうか?
ヴァージニア・オハンロン
115 西95番街」
「ヴァージニア、それは友だちの方がまちがっているよ。
きっと、何でもうたがいたがる年ごろで、見たことがないと、信じられないんだね。
自分のわかることだけが、ぜんぶだと思ってるんだろう。
でもね、ヴァージニア、大人でも子どもでも、何もかもわかるわけじゃない。
この広いうちゅうでは、にんげんって小さな小さなものなんだ。
ぼくたちには、この世界のほんの少しのことしかわからないし、ほんとのことをぜんぶわかろうとするには、まだまだなんだ。
じつはね、ヴァージニア、サンタクロースはいるんだ。
愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといるし、そういうものがあふれているおかげで、ひとのまいにちは、いやされたりうるおったりする。
もしサンタクロースがいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。
ヴァージニアみたいな子がこの世にいなくなるくらい、ものすごくさみしいことなんだ。
サンタクロースがいないってことは、子どものすなおな心も、つくりごとをたのしむ心も、ひとを好きって思う心も、みんなないってことになる。
見たり聞いたりさわったりすることでしかたのしめなくなるし、世界をいつもあたたかくしてくれる子どもたちのかがやきも、きえてなくなってしまうだろう。
サンタクロースがいないだなんていうのなら、ようせいもいないっていうんだろうね。
だったら、パパにたのんで、クリスマスイブの日、えんとつというえんとつぜんぶを見はらせて、サンタクロースをまちぶせしてごらん。
サンタクロースが入ってくるのが見られずにおわっても、なんにもかわらない。
そもそもサンタクロースはひとの目に見えないものだし、それでサンタクロースがいないってことにもならない。
ほんとのほんとうっていうのは、子どもにも大人にも、だれの目にも見えないものなんだよ。
ようせいが原っぱであそんでいるところ、だれか見たひとっているかな?
うん、いないよね、でもそれで、ないってきまるわけじゃない。
世界でだれも見たことがない、見ることができないふしぎなことって、だれにもはっきりとはつかめないんだ。
あのガラガラっておもちゃ、中をあければ、玉が音をならしてるってことがわかるよね。
でも、目に見えない世界には、どんなに力があっても、どれだけたばになってかかっても、こじあけることのできないカーテンみたいなものがかかってるんだ。
すなおな心とか、あれこれたくましくすること、したもの、それから、よりそう気もちや、だれかを好きになる心だけが、そのカーテンをあけることができて、そのむこうのすごくきれいですてきなものを、見たりえがいたりすることができる。
うそじゃないかって? ヴァージニア、いつでもどこでも、これだけはほんとうのことなんだよ。
サンタクロースはいない?
いいや、今このときも、これからもずっといる。
ヴァージニア、何ぜん年、いやあと十万年たっても、サンタクロースはいつまでも、子どもたちの心を、わくわくさせてくれると思うよ。」
まるで歌のお兄さんが子供達に言聞かせるような優しい調子ね。
でも社説を書いたフランシス・ファーセルス・チャーチという記者は、南北戦争時に戦争特派員として従軍した等、およそメルヘンに似つかわしくない経歴を持つ人で、同僚の話によるとリアリストで有名だったらしいわ。
そんな彼が何故サンタクロースの存在を肯定する意見を載せたのかしら?
メリーこう思うの――サンタクロースの存在を信じるのは、人(大人)の良心を信じる事に繋がるんだって。
以前にも書いたけど、キリスト教に染められる以前のサンタ像は、善悪両方を併せ持っていたわ。
自然の化身として人々に、恵みだけでなく、災厄も与える存在だったのよ。
姿形も最初は秋田のなまはげの様な恐ろしげな物だった。
恵みだけを与える全くの善人なサンタは、大人達の暮らしが豊かになった証拠。
現代のサンタは父性の象徴だわ。
父親として子供達に善人に見られたい、大人の良心を信じて欲しい。
サンタクロースは子供達の憧れだけじゃなく、大人達にとっても「(子供達の前で)そうありたい存在」、憧れであるんじゃないかしら?
そして子供達もいつかは大人になる。
今居る大人達は願うのよ、子供達が大人になっても素直な心で、サンタクロースを信じたように、この世の人の良心を信じられる事を。
新聞記者の彼の意見に感銘したかは解らないけど、大人になったヴァージニアは、入院生活を送る子供達の学校の副校長になったそうよ。
それじゃあ今日の終りに3曲目のクリスマスソングを紹介――「サンタが町にやってくる(Santa Claus Is Coming To Town)」!
1934年頃、ヘヴン・ギレスピーが作詞し、フレッド・クーツが作曲して生れたと言われてるわ。
また明日!一緒に楽しく歌いましょう♪
【サンタが町にやってくる― Santa Claus Is Coming To Town ―】
(日本語バージョン)
さぁ♪ 貴方から♪
メリークリスマス♪
私から♪ メリークリスマス♪
サンタクロース・イズ・カミィン・トゥ・タウン♪
ねぇ♪ 聞えて♪
来るでしょ♪
鈴の音が♪ 直ぐそこに♪
サンタクロース・イズ・カミィン・トゥ・タウン♪
待ち切れないで♪
お休みした子に♪
きっと素晴しい♪ プレゼント持って♪
さぁ♪ 貴方から♪
メリークリスマス♪
私から♪ メリークリスマス♪
サンタクロース・イズ・カミィン・トゥ・タウン♪
さぁ♪ 貴方から♪
メリークリスマス♪
私から♪ メリークリスマス♪
サンタクロース・イズ・カミィン・トゥ・タウン♪
ねぇ♪ 聞えて♪
来るでしょ♪
鈴の音が♪ 直ぐそこに♪
サンタクロース・イズ・カミィン・トゥ・タウン♪
クリスマスイブを♪
指折り数えた♪
幼い思い出も♪ 今宵懐かし♪
さぁ♪ 貴方から♪
メリークリスマス♪
私から♪ メリークリスマス♪
サンタクロース・イズ・カミィン・トゥ・タウン♪
サンタクロース・イズ・カミィン・トゥ・タウン♪
(英語バージョン)
You better watch out♪
You better not cry♪
Better not pout, I'm telling you why♪
Santa Claus is coming to town♪
He's making a list♪
And checking it twice♪
Gonna find out Who's naughty and nice♪
Santa Claus is coming to town♪
He sees you when you're sleeping♪
He knows when you're awake♪
He knows if you've been bad or good♪
So be good for goodness sake♪
You better watch out♪
You better not cry♪
Better not pout, I'm telling you why♪
Santa Claus is coming to town♪
Santa Claus is coming to town♪
(↓から、びょり記)
…面と向って「サンタは居るの?」なんて質問されたら戸惑うわな、「子供相談室に訊けぃ!」とばかりに逃げたパパ素敵。(笑)
写真はお台場アクアシティ内ディズニーストアで撮った物、自分の琴線に何か触れました。
参考「サンタクロースはいるんだ(ニューヨーク・サン紙社説担当フランシス・ファーセラス・チャーチ、大久保ゆう訳、電子図書館:青空文庫)」
明日は聖クリスマスよりも楽しみな――なんて言ったらキリスト様に失礼だけど――クリスマス・イブね♪
聖なる日を前に飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ、クリームとフルーツが載ったクリスマス・ケーキ、それからプレゼントも貰えるわ!
「そんな物、貰った事も無い」なんて言わないで。
ひょっとしたら、貴方が気付いてないだけで、いつかどこかで見えない宝物を貰っているかもしれないでしょ?
だってプレゼントを持って来るサンタクロースも、ソリを牽くトナカイ達も、人の目には見えやしないのだから。
「目に見えない存在は信じない」?…そうね、むやみやたらに信じない事は、自分の身を守る為に、時には大事だわ。
でも、もし貴方が大人で、貴方に子供が居て、貴方の子供に「サンタは居るの?」と尋ねられたら、貴方はどう答える?
「サンタクロースは本当に居るの?」
ニューヨークの或る所にヴァージニアという、8歳の少女が居ました。
或る日彼女は学校で、サンタクロースが居るか居ないかを巡り、クラスの友達と喧嘩になったの。
ヴァージニアは断固サンタクロースは居るんだって主張したわ、でも友達は断固居ないって否定したの。
ヴァージニアは腹立ちそのまま家に帰って、パパにサンタクロースは本当に居るのかを尋ねたの。
パパは言ったわ、「ザ・サン(新聞)に投書して訊いてみなさい」って、「新聞社の人が『居る』って答えるなら居るんだろ」って。
信頼の置ける大人に訊きなさいって事なのね。
そして1897年9/21、ニューヨークの大新聞「ザ・サン」の社説には、後に本にされて世界中の人に読まれる名回答が載ったのよ。
「へんしゅうしゃさま、わたしは8さいです。
わたしのなんにんかの友だちはサンタクロースはいないと言います。
パパは『サン新聞が言うことならそのとおりだ』と言います。
どうかわたしにほんとうのことを教えてください、サンタクロースはいるのでしょうか?
ヴァージニア・オハンロン
115 西95番街」
「ヴァージニア、それは友だちの方がまちがっているよ。
きっと、何でもうたがいたがる年ごろで、見たことがないと、信じられないんだね。
自分のわかることだけが、ぜんぶだと思ってるんだろう。
でもね、ヴァージニア、大人でも子どもでも、何もかもわかるわけじゃない。
この広いうちゅうでは、にんげんって小さな小さなものなんだ。
ぼくたちには、この世界のほんの少しのことしかわからないし、ほんとのことをぜんぶわかろうとするには、まだまだなんだ。
じつはね、ヴァージニア、サンタクロースはいるんだ。
愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといるし、そういうものがあふれているおかげで、ひとのまいにちは、いやされたりうるおったりする。
もしサンタクロースがいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。
ヴァージニアみたいな子がこの世にいなくなるくらい、ものすごくさみしいことなんだ。
サンタクロースがいないってことは、子どものすなおな心も、つくりごとをたのしむ心も、ひとを好きって思う心も、みんなないってことになる。
見たり聞いたりさわったりすることでしかたのしめなくなるし、世界をいつもあたたかくしてくれる子どもたちのかがやきも、きえてなくなってしまうだろう。
サンタクロースがいないだなんていうのなら、ようせいもいないっていうんだろうね。
だったら、パパにたのんで、クリスマスイブの日、えんとつというえんとつぜんぶを見はらせて、サンタクロースをまちぶせしてごらん。
サンタクロースが入ってくるのが見られずにおわっても、なんにもかわらない。
そもそもサンタクロースはひとの目に見えないものだし、それでサンタクロースがいないってことにもならない。
ほんとのほんとうっていうのは、子どもにも大人にも、だれの目にも見えないものなんだよ。
ようせいが原っぱであそんでいるところ、だれか見たひとっているかな?
うん、いないよね、でもそれで、ないってきまるわけじゃない。
世界でだれも見たことがない、見ることができないふしぎなことって、だれにもはっきりとはつかめないんだ。
あのガラガラっておもちゃ、中をあければ、玉が音をならしてるってことがわかるよね。
でも、目に見えない世界には、どんなに力があっても、どれだけたばになってかかっても、こじあけることのできないカーテンみたいなものがかかってるんだ。
すなおな心とか、あれこれたくましくすること、したもの、それから、よりそう気もちや、だれかを好きになる心だけが、そのカーテンをあけることができて、そのむこうのすごくきれいですてきなものを、見たりえがいたりすることができる。
うそじゃないかって? ヴァージニア、いつでもどこでも、これだけはほんとうのことなんだよ。
サンタクロースはいない?
いいや、今このときも、これからもずっといる。
ヴァージニア、何ぜん年、いやあと十万年たっても、サンタクロースはいつまでも、子どもたちの心を、わくわくさせてくれると思うよ。」
まるで歌のお兄さんが子供達に言聞かせるような優しい調子ね。
でも社説を書いたフランシス・ファーセルス・チャーチという記者は、南北戦争時に戦争特派員として従軍した等、およそメルヘンに似つかわしくない経歴を持つ人で、同僚の話によるとリアリストで有名だったらしいわ。
そんな彼が何故サンタクロースの存在を肯定する意見を載せたのかしら?
メリーこう思うの――サンタクロースの存在を信じるのは、人(大人)の良心を信じる事に繋がるんだって。
以前にも書いたけど、キリスト教に染められる以前のサンタ像は、善悪両方を併せ持っていたわ。
自然の化身として人々に、恵みだけでなく、災厄も与える存在だったのよ。
姿形も最初は秋田のなまはげの様な恐ろしげな物だった。
恵みだけを与える全くの善人なサンタは、大人達の暮らしが豊かになった証拠。
現代のサンタは父性の象徴だわ。
父親として子供達に善人に見られたい、大人の良心を信じて欲しい。
サンタクロースは子供達の憧れだけじゃなく、大人達にとっても「(子供達の前で)そうありたい存在」、憧れであるんじゃないかしら?
そして子供達もいつかは大人になる。
今居る大人達は願うのよ、子供達が大人になっても素直な心で、サンタクロースを信じたように、この世の人の良心を信じられる事を。
新聞記者の彼の意見に感銘したかは解らないけど、大人になったヴァージニアは、入院生活を送る子供達の学校の副校長になったそうよ。
それじゃあ今日の終りに3曲目のクリスマスソングを紹介――「サンタが町にやってくる(Santa Claus Is Coming To Town)」!
1934年頃、ヘヴン・ギレスピーが作詞し、フレッド・クーツが作曲して生れたと言われてるわ。
また明日!一緒に楽しく歌いましょう♪
【サンタが町にやってくる― Santa Claus Is Coming To Town ―】
(日本語バージョン)
さぁ♪ 貴方から♪
メリークリスマス♪
私から♪ メリークリスマス♪
サンタクロース・イズ・カミィン・トゥ・タウン♪
ねぇ♪ 聞えて♪
来るでしょ♪
鈴の音が♪ 直ぐそこに♪
サンタクロース・イズ・カミィン・トゥ・タウン♪
待ち切れないで♪
お休みした子に♪
きっと素晴しい♪ プレゼント持って♪
さぁ♪ 貴方から♪
メリークリスマス♪
私から♪ メリークリスマス♪
サンタクロース・イズ・カミィン・トゥ・タウン♪
さぁ♪ 貴方から♪
メリークリスマス♪
私から♪ メリークリスマス♪
サンタクロース・イズ・カミィン・トゥ・タウン♪
ねぇ♪ 聞えて♪
来るでしょ♪
鈴の音が♪ 直ぐそこに♪
サンタクロース・イズ・カミィン・トゥ・タウン♪
クリスマスイブを♪
指折り数えた♪
幼い思い出も♪ 今宵懐かし♪
さぁ♪ 貴方から♪
メリークリスマス♪
私から♪ メリークリスマス♪
サンタクロース・イズ・カミィン・トゥ・タウン♪
サンタクロース・イズ・カミィン・トゥ・タウン♪
(英語バージョン)
You better watch out♪
You better not cry♪
Better not pout, I'm telling you why♪
Santa Claus is coming to town♪
He's making a list♪
And checking it twice♪
Gonna find out Who's naughty and nice♪
Santa Claus is coming to town♪
He sees you when you're sleeping♪
He knows when you're awake♪
He knows if you've been bad or good♪
So be good for goodness sake♪
You better watch out♪
You better not cry♪
Better not pout, I'm telling you why♪
Santa Claus is coming to town♪
Santa Claus is coming to town♪
(↓から、びょり記)
…面と向って「サンタは居るの?」なんて質問されたら戸惑うわな、「子供相談室に訊けぃ!」とばかりに逃げたパパ素敵。(笑)
写真はお台場アクアシティ内ディズニーストアで撮った物、自分の琴線に何か触れました。
参考「サンタクロースはいるんだ(ニューヨーク・サン紙社説担当フランシス・ファーセラス・チャーチ、大久保ゆう訳、電子図書館:青空文庫)」