kotoba日記                     小久保圭介

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戸田鎮子著 『編集室の窓』

2023年01月12日 | 生活

編集室の窓

再読させていただきました

文はひらがなが多いです

これは編集責任者であり著者である『先生』の

特徴のひとつです

ひらがなが多いのは間違いないけれど

作家というのは妙なこだわりがあって

一般的にひらがなにする語彙を

あえて好き嫌いなのか長年の癖なのか

漢字にしている

それも注意深く読むと

楽しい

作者の文体は簡素極まりない

余分がない

比喩も暗喩も体言止めもない

いっさいの技術というものを

意図的に排除している節がある

その方法は極めて正しい

新聞記事に心象をさらりと

入れ込んでゆく技術のそれである

ただし

今回は百十回目の

最後の『編集室の窓』であり

当然に感傷的な感はまぬがれない

それが正しい

110号までの一冊一冊を思うと

この文字数ではもちろん足らず

だからとて

文字数を増やしたところで

それほど変わりはしないです

じゅん文学が送られてきて

最初に読むのが

この『編集室の窓(以前は、編集後記)』です

そんな同人や会員も少なくないと想像する

はて

すでに鬼籍に入った大谷 史氏(おおたに つかさ)の大叔母は

今何を思って鬼笑いをしておられるだろう

さらにまだ六十歳という若さで鬼籍に入った

長谷譲氏 コブギーヌン・イソヨ・マリネは

どんな思いで笑っているのだろう

知らされず鬼籍に入った関係者のみなさんは

今どんな思いで自作の小説が掲載された『じゅん文学』を

思っているのだろう

 

三十年弱の歳月は『じゅん文学』にかかわったすべての人に

等しく流れ

それぞれの人生の中に

『じゅん文学』という固有名詞は

確実に印として残っているに違いない

登山サークルやヨガ教室の如く

たくさんあるわけもないものが

文芸同人誌です

インターネットが当たり前に普及した昨今

文学の遺物と成りつつあると言ってもいい

極めて特異であり希有な存在形態

それだからこそ

各個人の中で

極めて彩色を放つ人生の印として

ずっと残る

もしかしたら

鬼籍に入っても

作品は良くも悪くも

遺作として残ってしまう

それが遺品の中で

極めて特異であるのは

亡き人が書いた

『小説』がそこに書かれてあるからです

亡き人はその年に

何を思って

このような物語を

人様に向けて発表する気になったのだろう

遺族はその小説さえ読んだことがない

そんな場合とて安易に想像できる

残された『じゅん文学』と書かれた

文芸同人誌の

目次には

亡き人の本名または筆名が書かれてある

遺族の中の一人くらいは

書かれた小説を読み

思いを重ねることだろう

その遺族がまた

もしかしたら

「わたしも」と思って

小説教室に通う日が未来にあるかもしれない

そのような有益な存在としても

『じゅん文学』はある

ページに挟まれた

新聞記事の切り抜きと照らし合わせ

「たいしたもんだ」

と誰それが思うかもしれない

名古屋市図書館には

文芸同人誌を並べるコーナを

設けている区図書館もある

在庫として書庫に保管もしてある

愛知県図書館とて

さらに大事に保管されていることだろう

そのような三十年弱の歳月は

重いようで軽やかだ

何故か

編集責任者であり作家であり本作の著者は

自他ともに認める

『淡々と仕事をする者』であるからに他ならない

長く続けるにはきっと秘訣があるのだろう

その一つに

何事においても

感情に支配されぬ冷静と知性を持ち

淡々と文字通り

するべきことをするだけの

著者の姿勢こそ

わたしたちの『じゅん文学』の真の姿に他ならない

著者であり編集責任者であり作家である

戸田鎮子氏を強い軸として

高き山

低き山の如く

空を飛ぶ名の知れぬ鳥の如く

名の知れぬ草草

木木

花花

雨雨

川川

音音

光光

言葉の

森羅万象に

最大級の敬意を払い

この文を結ばせていただきます

『淡々な仕事ぶり』を最後まで読ませていただき

ありがとうございました

 

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楠 次郎著 『がんばれません・なにごとも』

2023年01月12日 | 生活

がんばれません・なにごとも

 

今読ませていただきました

久しぶりに調子の良い文体を黙読しました

作者は一口で言えば

文才がおありになる

文の調子と内容が合っている

これを文才という

いろんな方の文体をここ数日

読ませていただきましたけれど

どの方もそれぞれの魅力があり

この作者は飛び抜けて

明るい文をお書きになる

同じ内容でも

書き手によって

まったくもって陰な印象を持ちうる可能性があります

一見

テレビのバラエティ的な要素がないわけではないけれど

このような軽快な文は読んでいて

お山を登りながら

馬鹿話や猥談をしているのと同じように

愉快極まりない

楽しく跳ね遊ぶ

言葉たちの嬉々として声

読ませていただき

ありがとうございました

 

 

 

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