諭しても言い訳されたり、意見の違い、諍〔いさか〕いを考える上で、「子どもの目線で!」とよく言うが、大人がそのまま腰を屈めて見てしまいがちです。これでは子どもの目線に立てていません。そう言う意味では「相手の靴で歩いてみて!」の方が身体も心も子どもの頃に戻って思い出したり考えたりして子どもの気持ちや見方を理解出来そうです。分りやすいように子どもを例に取りましたが、相手が大人でも一緒です。そして、自分の立場・基準を相手に近づけたり、許容度を緩くしたりして妥協出来れば更によいのですが、理解出来ても妥協は出来ないケースもあります。妥協すれば自分の方が負けた、悪かったと相手に思われるのが嫌で、あるいはそれ以外の理由で前段階の理解をも拒むこともあります。でも、これは理解と妥協を混同しています。理解と妥協は別物と割り切れば、理解の道が啓けていけるように思えるのですが、それでも無意識に頭から反発・拒否をしがちです。あぁ自分は無意識に反発しているな!と感じたらこの問題は次回にと、一時棚上げし、冷静になったとき理解し合うしかありません。平行線になろうとも先ず自分の方から相手の立場や気持ちを理解し尊重することが大切です。(アマリリスが咲きました。大きな花は何もかも包んでくれるような包容力があります。)
今日の夕食は、
◆鰆の西京焼き ◆油目の南蛮漬け ◆そら豆と新玉ねぎのかき揚 ◆五目なます ◆味噌汁 ◆ご飯