郡保家の一日

極く有りふれた家庭です。その生活の一端を記録していきたいと思います。

学校祭

2021年10月31日 | 日記

 コロナ禍で学校祭はオンライン形式で開催され家人が昔、通っていた学校の紹介や講演などをLIVEですると言うのでYouTubeを二人で見た。初め司会者の声は聞こえるが先ず出てきた学校長の挨拶の音声が聞こえない。こちらの何かの設定の間違いかなと私に尋ねるが私には分からない。すると、見ていた人がチャットで「声が聞こえませんよ」と打って、その表示が画面横に出たので事務局側に問題があることが分かり、安心して見ていたらほどなく、音声が聞こえるようになった。また、同窓会会長の映像もオンラインでつながらず、次の式次第に移っていった。現在の校内の紹介をしてくれたが、家人が通っていた頃と全く建物が違って別の学校を見ているようだと言う。それもそのはずで50年以上前のことだから当然だ。卒業してからも採用活動で学校に行くことはあったがそれも昔のこと。学校が法人化されてから一挙に変わっていったようだ。変わることで良いこともあるが、弊害も多いと聞く。もう昔の面影のない学校に愛着を感じなくなりYouTubeを家人は切った。
 見ていて私がためになったことはシリコンバレーに住む学校OBが言った言葉です。日本の子どもは「みなが出来ないのに、そんなの出来ない!」と初めから諦めるが、米国では「自分がやれば、きっと出来るようになる!」と取り組む。そして出来るようになった人が近くに居るとその刺激を多くの人が得てまた新しい事をやろうとする。その要因は日本の親が「どうして他の人と同じ事が出来ないの!」と子どもに言うからであり、米国では「どうして他の人と同じ事しか出来ないの!」と言う違いから来る。親が子どもの個性(多様性)を重視し尊重するか、しないかの差による。私はそれを聞いて日本の親も子どものためにそろそろ変わらないといけないように思う。  There is a genius in every one of us. ~ みんな違って、みんないい ~

 今日の夕食は、


 ◆牛肉とピーマンのオイスター炒め ◆鰺の南蛮漬 ◆きゅうりの生姜浅漬け ◆レタススープ ◆ご飯
   ~  ~


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ZOOMで

2021年10月30日 | 日記

 午前中、ZOOMをやる。今までは一方向通信のZOOMはしたことがありますが今回は双方向通信です。孫もこうやって勉強しているのかと思うと私たちも若い人の仲間入りした感じがしました。一度経験すると家に居ながらにして打ち合わせが出来ていろんな人とのコミュニケーションが図れて便利です。自分の幅が拡がったように思え嬉しくなりました。そういう意味では何ごとにでも挑戦することの重要性を認識しました。
 この間から暇に任せて読んでいた小説を読み終えることが出来ました。遅遅として進んでいなかったので登場人物をメモして読んでいました。それを見た孫に笑われてしまいました。私は一気呵成に読むのも良いと思いますが、ものをいろいろと味わって食べるように先に読んだ内容を反芻〔はんすう〕し思い出しながらゆっくりゆっくり読むのもまた良いと思っています。読み慣れてくると次第に読む速度も速くなりますが何冊読んだかより、どう楽しんだかを大事にしたいので今まで通り、ゆっくりでも読み続けたい(⇒挑戦)と思っています。

 今日の夕食は、


 ◆きんき一夜干し焼き ◆ひじきの白和え ◆ツルムラサキの胡麻和え ◆マスカットのみぞれ掛け ◆なめこ味噌汁 ◆ご飯
   ~ 孫はお友達とお寿司を食べに行きましたので二人だけの簡単な献立になりました。
(いつも簡単ですがより簡単なと言う意味です) ~


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細かい

2021年10月29日 | 日記

 電動シュレッダーを使ってみたら細かく寸断された。昔、私が別なところで使っていたのは細長く切れるだけであったが改良されたのであろう。個人情報は悪いことに使う人がいるから分からないようにしなければならないが、昔々の田舎のようにお隣さんや村全体が家族付き合いをしていたら個人情報を敢えて隠す必要はなく、変に隠すと冷たいとか言われ、仲間外れにされそうです。家の玄関や窓など鍵を掛けずに田や畑に出かけていた。皆があけっぴろげで心がオープンであった。だから村民全員が互いに信頼できた。今では外向きで大雑把から内向きで細かくなり、家も口も心もクローズである。そして細心の注意をそれらに払わなければならなくなり、信頼はその上に成り立っている砂上の楼閣のようにいつ崩れてもおかしくない。世の中、不信が渦巻いている。家人はいつも細かくであるが私はまだ大雑把であるので家人から見れば危ういと思えるのでしょう。

 今日の夕食は、


 ◆カレー風味の和風ロールキャベツ ◆サーモンマリネ ◆スパゲティサラダ ◆ピーマンとじゃこ炒め ◆ご飯
   ~  ~

  追記: 部品交換の依頼で
       ある古い部品が壊れたので2つの業者に来て貰った。A業者はこの部品は古いので多分無いだろうと言いながら製品から取り外して解体して細かく寸法を測ってくれた。B業者はこの部品は多分有りますよと言って製品から取り外しもせずに少し寸法を測って終わった。素人目には逆のことをやっているように思えた。交換部品が無ければ製品全体を取替えなければいけません。A業者はこの製品についてB業者より不慣れであるのかも知れないし、B業者は交換部品は有ると言いながら無かったと言い、製品全体の買い換えを意図しているかのようにも思える。その結果が楽しみだと家人は言う。


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なにゆえ

2021年10月28日 | 日記

 令和も、いつの間にかと言うよりもコロナ禍で右往左往している間に4年を迎えようとしている。2ヶ月を過ぎれば新年となる。時のありかは掴もうとしても掴めない。空気も水も人の心も同じで大切なものほど掴めない。コロナ禍という世の中の流れもこれからどう流れていくのかも重要であるが掴めない。掴めないからその中を泳いだり、沈んだり、浮かんだりしながら流されたりしながら、あてどのない所へたどり着くのであろうか。そう、まだ泳げるときはよい。自分で自分の目標を曲がりなりに作ってそこに泳げる体力がある。邪魔なものは押しのけたり、避けたりしながら目標へと近づこうする。目標をそれほど意識しなくても一日いちにちを満足に、あるいは不満足に生きようとする。けれど、年老いて生きていると目標もあやふやとなり、意識ももうろうとなり、満足も不満足も感ぜずにただ浮いている。感情が希薄になり、どうでも良くなる。生きていることに意味を求めてさまよう。この地球は自転しながら公転している。人も何かの力で自転してきたけれど、力が衰え自転をゆっくりとした回転に変わってももっと大きな力で公転させられている。そこに意味があるのであろうか。バラは花を咲かせている。人に見せるために咲いているのではない。そして来年も咲くであろう。木が病に冒され朽ち果てるまで雨や土から栄養を摂って咲き続ける。なにゆえ、バラは花を咲かせ生きようとしているのか。種の保存という公転に似た力がそこに働いて、生かされているにすぎない。人の生もただ生かされている。そこに意味はない。「1日、何も無く過ごせた」と言う自己満足しかない。

 今日の夕食は、


 ◆チーズタッカルビ ◆生ハムサラダ ◆ナムル ◆スープ ◆ご飯
   ~  ~


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読書週間

2021年10月27日 | 日記

 読書週間は今日から2週間だそうです。大きくなってから、こう言う動機付けで本を読むことは余りなかったと思う。小さな時は学校で強制的に本を借るよう指示されたかも知れないが、もう昔のことなので忘れた。本を読むのは遅い方なので精読しているかと言うとそうではなく単純に遅いだけです。家人も遅い方だと自分で言ってますが私よりは速い。小さい頃は漫画、小学中・高学年になってからは字の大きなものから次第に小さな文字のものまで読んでいたそうだ。本が好きだからと言って国語が好きだったわけではないらしい。読書は情景を想像するけれど、国語は情景を考えて解答しなければなりませんから。答えが一つではなく無数にあるように思えて複雑であるように思えた。それに反して算数は答えは一つでハッキリしているから国語より算数の方がどちらかと言えば好きだったと言う。私はどちらも好きだとか、嫌いだとか思ったことがない。ただ、何となく勉強をしていたのでしょうね。いま、私が読んでいる小説は意外に面白い。最近は少しずつではありますが、本を読む習慣が出来つつあります。

 今日の夕食は、


 ◆鰤のムニエルと茄子のトマト煮、薩摩芋、ブロッコリー添え ◆ローストビーフ ◆カプレーゼ ◆野菜スープ ◆ご飯
   ~ ローストビーフはオーブンで上手く焼けました ~


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