郡保家の一日

極く有りふれた家庭です。その生活の一端を記録していきたいと思います。

9月も最終日

2015年09月30日 | 日記

 子ども料理教室はウインナー入りパンを作りました。ウインナーを上手に包んでパンが美味しく焼け、子どもたちに好評でした。家人がパン生地を練るための機器を行きも帰りも運んでくれました。帰りは遅くなるので夕食におでんをお昼に作っておきました。その夕食を食べ終わるといつもの通り疲れてすぐ寝てしまいました。少し寒くなり、もう薄い布団でも掛けないと寝れなくなりました。  家人のコミュニティーセンター主催テニス教室は今日が終わりになりました。5か月間でしたが雨の日が多かったように思います。だから、金曜日に振替られたりして行けない日もありました。この参加者は初歩の初歩でしたので家人にとっては優越感の持てる教室だったようです。午前中のテニスクラブは初級2級から初級3級に1級上がって中級クラスの一歩手前になりました。早く中級クラスになりたいようですがまだまだ時間が掛かりそうです。

 今日の夕食は、








 ◆おでん ◆ほうれん草お浸し ◆ご飯
   ~ 夕食の後、ぶどう を食べました。 ~


今日はお仕事で

2015年09月29日 | 日記

 今日は秋晴れの良い天気で洗濯をしてから、母から貰った重い綿布団を干しました。お仕事なので駅まで歩いて行き、そこから山側の公民館まではバスを利用しました。終点で下りると丁度良い時刻でお部屋を開けていただきました。市・栄養教室を終え、帰りのバスに乗ると疲れが出たのか、眠ってしまい、駅に到着したよと同僚に起こされました。駅近くの食料品店で買い物を済ませ、歩いて家に戻りました。また、どっと疲れが出て眠ってしまいました。家人は私に遠慮して外出したようで、2時間して目が覚めると家人がいません。夕食を作り終えた頃に戻ってきました。忙しくしていると母のことを忘れています。明日も子ども料理教室で、明後日もお正月料理の試作会で忙しい。このように忙しいことは今の私にとっては良いことです。  

 今日の夕食は、
















 ◆サワラの幽庵焼き・クレソンのお浸し添え ◆豆腐の肉餡かけ ◆平豆の胡麻和え ◆アボガド ◆ご飯
   ~ アボガドが丁度食べごろでした。 ~


父の墓参り

2015年09月28日 | 日記

 朝早く父のお墓へ家人と一緒に参ってきました。父の墓はカマキリがいて少し草も生え、枯葉が落ち、土塊が付いていたのでお掃除をしてお墓に水を掛け綺麗にした後、お線香を上げました。父にはもうすぐお母さんが来るので現世の時以上に仲良くして下さいねと言いました。それから母の兄の墓にもちょっと綺麗にして線香を供えました。上を見ると父の一つ上の兄のお墓があったのでここにも線香を上げ、姉夫婦との朝食の時間に間に合うように急いで帰りました。が、7時10分を過ぎ、間に合いませんでした。姉夫婦はそれから父のお墓参りに行き、私たちは食事をしました。時間があったのでパーキングエリアの高速バス停までもう余りくることのない田舎の景色を味わいながら歩きました。実家の前を通りましたが、もう私の生まれた家は私を暖かく迎えてはくれない。通り過ぎた後の坂道で家を見ながら口の中で、おかあさん!、おかあさん!と何度も呼びました。 母がお墓に入ったら何回かお墓参りにだけは行こうと思いました。(民宿からの日の出、汗を掻いたのでPA売店で塩入ソフトと八朔ソフトを) 

 今日の夕食は、
















 ◆焼肉◆鯛のお刺身 ◆つる紫の胡麻和え ◆自家製昆布の当座煮 ◆豆腐の澄まし汁 ◆ご飯
   ~ 毎回仕出しの会席弁当だったので、民宿のあさり味噌汁が美味しかった。家の食事はやはり 何を食べても美味しい。 ~


母の告別式にも

2015年09月27日 | 日記

 通夜と同じ葬儀場で母の告別式が1時から営まれます。私達子ども夫婦は玄関でお迎えのため12時から並んで立ちました。昨夜の通夜と同じくらいの人が式に来て下さいました。式が始まるとエレクトーンで「ミカンの花咲く丘」や「赤トンボ」などの音楽をバックに司会者の人が昨夜の故人の在りし日の想い出を上手にまとめて出席者の人達に紹介して下さいました。私の亡き母に声を掛けるとしたら、「世界中で何億人のお母さんがいる中で、お母さんが私たちのお母さんでよかった。世界一素晴らしいお母さんでした」の家人が作った感謝文の最後の一節も入っていました。こちらは曹洞宗のお坊さんの読経に合せて出席者は懺悔分、三帰依文、十仏名を唱えます。全員の焼香が済み、最後の別れのためにご飯や故人が好きだったものを入れます。そしてお花を沢山、沢山入れてあげました。斎場でもお米粒を顔にかからないように入れてあげます。食事をしてからお骨拾いに斎場にまた行きました。お母さんは小さな小さな姿に変り果てています。切なくなって目は潤んできましたが気が張っていたのか、涙を流すことはありませんでした。葬儀場に戻り、遺骨迎えと初七日をして家に戻り、壇飾り(中陰壇)を設けて拝みました。喪主の家では今日から中陰の四十九日間、7日ごと家族は壇飾りの前に座り読経します。一連の行事が済み姉家族と私達夫婦は親戚の民宿に泊まりました。今日は中秋の名月で真ん丸なお月さんの背後にお母さんがいるようで見守って下さいとお願いしました。


母の通夜

2015年09月26日 | 日記

 葬儀場に多くの人が駆けつけて下さった。100人以上でしたので部屋に入れず入口ロビーにも椅子を並べるほどでした。これも一重に母の人徳であると感じました。この90数年間、率直ではあるが悪意のない、相手を思った言動がより人の心に届いていたのではないか。通夜は30分ほどで終わった。何事にも意欲的で前向きに取り組んできた人生であった。赤いテーラーに乗って農作業に行き、特にミカン作りには、新品種のデコポン、清見、はるみ、いしじなど人に先駆けて作り、ミカン作りに年老いてからも情熱を傾けた。趣味では銭太鼓、手品も練習して皆に披露して楽しませるのが好きだった。失敗したときのはにかんだ顔も素敵でいつもニコニコしていた。いぎす豆腐は天下一品で皆に好評で私達子どもは楽しみでした。家人もお昼に来て母の顔を拝みました。姉のご主人と二人の子も来てくれました。夜は皆で故人の想い出に浸りました。そして夜中に私は充分な看護が出来ず、申し訳ないと何回も泣きました。「ご免ね、おかあさん」。(田舎)