千の天使がバスケットボールする

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「赤い指」東野圭吾著

2006-11-27 23:11:21 | Book
その憂鬱な電話は、夕方会社で会議の資料を作成しおえて、昭夫が一杯呑む相手を探している時にかかってきた。
「あなた、ちょっといろいろあって、早く帰ってきてほしいんだけれど。」
妻の八重子の要領をえない、うろたえた声が聞こえてきた。最近、毎日帰宅すると、昭夫は同居している老母について八重子から抗議をぶつけられる。いかに自分が嫌な思いをしているか、忍耐の限界にきていることを切々と、またある時は激怒して訴えられる。中学1年生の一人息子の直巳は自室に閉じこもりゲームに熱中して、食事を両親と一緒にすることもない。平凡ながらつつましく「家族」を営んでいてはずなのに、いつのまにかその輪が軋んできてゆがんできた。直視すれば、実はその実体は崩壊寸前なのに、いつも面倒なことには背を向け棚にあげてきた昭夫。
しかし、早々に帰宅した彼はもはや逃げられない現実に直面する。それはあまりにも厳しく苦しい現実だった。

満を期して直木賞受賞後のファン待望の第一作。今度もファンの期待を裏切らない仕上げは、著者の東野圭吾氏のこれまでの作品に通じる単なるミステリーの謎解きではなく、読者の琴線にふれる普遍性のある人としての情が核心にあるからだろう。直木賞受賞作「容疑者Xの献身」で、理系男、孤独な数学者の純愛を描いて読者の涙を誘い、6年の構想を経て書き下ろした最新作「赤い指」では、事件を起こした家族と捜査に関わる刑事とその父という二組の親子の情愛を書いた家族の物語でもある。また他者と関わらずひきこもるこどもたち、幼いこどもや少女が被害者になるという悲惨な事件の多発、高齢化社会に伴う老人介護の問題、今日的な社会性をももりこんだ著者らしい視点と明確なメッセージ性をもあわせもつ。
誰にでもこの世に生を受けたからには父や、そして母がいる。就職して、結婚して家庭をもち、必死になって働き新しい家族を築いていくうちに、気がつけば両親は老いていた。しかも元気だと思っていた親が認知症になっていた事実に驚くことは、格別不運や不幸な家庭ではなく、ごく日常的な風景になってしまった。日本は誇るべき世界一の長寿国だ。しかし、長生きした老人の介護の実体は、もはや社会問題にもなっている。

老いて痴呆になってきた母を目の前にして、昭夫が事件を隠滅するために選択した決意は、決して人として許されるものではなかった。
やがて真相に近づいた加賀刑事は、「刑事というものは真相を解明するだけでなく、いつ、どのようにして解明するかも大事だ」と、従兄弟の刑事で一緒に事件を担当した松宮に諭す。加賀刑事が、彼ら自身でこの家の中で解決するためにとった方法は、涙なしには読めないだろう。
「放課後」のデビュー作で60作目という多作の作家ではあるが、その水準は常に高く、まなざしは清々しい。
ミステリーとしても一級品。


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