千の天使がバスケットボールする

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「生命の跳躍」ニック・レーン著

2011-03-19 11:49:02 | Book
今日、私たち人類をはじめとして数え切れないくらいの生物、生命がこの地球上で生きている。それは、おそらく想定外の苦難が起ころうとも、明日も来年も、延々と生命の鎖はつながれていくと願っている。

さて、本書では46億年前に地球が誕生し、およそ40億年ほど前に原始生物が発生してからの生命の歴史観(ここでは、あえて”観”を入れたいのだが)を、進化をキーワードに大胆に論じられている。ここでの進化は、魅力的にも革命的でもある。その進化の革命は、生命の誕生・DNA・光合成・複雑な細胞・有性生殖・運動・視覚・温血性・意識・死と10の物語となっている。著者のスタンスが「世界のあらゆる驚異は、偶然と必然の両方を内包した、ただ一度の出来事に端を発している」という言葉にあり、これはなかなか考えさせられるものがある。

たとえば、有性生殖は偶然のなりゆきかもしれないが、そのための”作業”につきまとう快楽ははたして必要なのか。クローン生殖の方がよほど効率がよいのでははないだろうか。有性生殖には様々なデンジャラスがつきまとうのは、ある程度の年齢を重ねればご想像がつくだろう?しかし、「クローン生殖を行うのは同じ宝籤を100枚買うのと変わらない。それよりも番号の違う宝籤を50枚買うほうがよく、これが有性生殖の出した答えなのだ」というある科学者の意見には思わず頷き、進化という現象に感嘆した。

ところで、著者のニック・レーンは科学的な探求だけでなく、思想・哲学の意表をつくようなエッセンスが絶妙なバランスで随所に装飾音のように奏でられていて、サイエンスライターとしての文章がおしゃれできまっている。訳者の斉藤隆男さんによると「生物界の村上春樹」となるそうだが、私の感想は違う。比喩の巧みさと、それが意表をついている点でニック・レーンの文章が村上ワールドにつながるのかもしれないが、スタイリッシュさを装いつつゆるぎない確固たる生命感による構成が壮大な進化の歴史の流れによりそっている。しかも、多細胞生物に個々の死を恵むことで逆の個の生存、進化の潜在力を活かすことを可能にするという死で最後に幕を閉じるなど、出来過ぎている。評価が高いのも当然だ。さすがに、英国人らしい少々ブラックなユーモアに笑わされもした。しかし、考えてみれば、日本には彼のような純粋なサイエンスライターが存在していないのではないだろうか。文章表現力も高い研究者による一般人向けの本か、立花隆さんのような教養人によるサイエンスもの、もしくは科学者の評伝に近い科学本。これは残念なことだと思うのだが、エピローグに1973年にイギリスで放映された『人間の進歩』という番組が紹介されていていて、日本にはそもそもサイエンスライターという職業が育つ土壌がないということを知らされた。

著者が観たその番組では、ポーランド生まれの科学者ジュエイコブ・ブロノフスキが、自分の親族を含めて400万人もの灰が捨てられたアウシュヴィッツの湿地を歩きながら「人が神の知識を求めるばかりで現実による検証がないとそうういうことが起こる。」と語っていたそうだ。そして「科学の判断はどれも、誤りと紙一重で、主観的です。科学とは、不完全な我々でも知るうることがらを立証するもの」だと。こういう深い科学番組がお茶の間に流れて(今でなお茶の間そのものが消滅しつつあるが)、こどもたちが家族と一緒に観ているがお笑い番組全盛の日本のテレビ業界とは違うイギリスらしい。それはさておき、無神論者の私にとっては、信仰の篤い科学者がどうやって進化とおりあっていくのか謎なのだが、宗教と同じように科学の世界にも荘厳な輝きがあり、時には敬虔な気持ちにうたれることがある。また、その不完全さがあればこそ、人は知への探求心が豊かな人間性を培うとも考えれる。そんなことを思い起こさせてくれたのも本書のおかげである。


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