千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「巨大投資銀行」黒木亮著

2006-03-27 23:58:58 | Book
評価:★★★★★ 本作品の感想をひとことで述べるとしたら、この星5つにつきる。

大ヒットした映画「プリティ・ウーマン」のリチャード・ギアが演じた主人公は、極めて有能なビジネスマンだった。初めてこの映画を観た時は、企業同士の結婚の仲人を生業とするだけで、何故あんなにもリッチなのか謎だった。その後、あまりなじみのなかった投資銀行によるM&Aなる事業が国内で認知されるようになり、ホテルのスイートルームも趣味のオペラもブランド街でのショッピングも、決して誇張ではないことをわかる。米国では、ビッグ・ディールをものにすると年収が億を超す。

本書は、リチャード・ギア(映画侍さん?)のように女性経験は豊富ではないが、ひとりの日本人が米国投資銀行に転身し、厳しい競争に勝ち抜き、最後に55歳にして金融・経済財政担当大臣の要請により、金や自分の将来のために仕事を選ぶ人生の段階は通過したと感じ、新しい銀行の会長に就任して日本の金融システム変換に一石投じる決意をするまでの「課長 島耕作」の金融界を舞台にかえた小説版のような物語である。

主人公である彼の名前は、桂木英一。京大を卒業して東都銀行に入行するも、理不屈な人事システムに納得がいかず、1985年投資銀行モルガン・スペンサーに37歳にして転職する。この時代、一流の都市銀行を退職して外資系企業で働くことに対して、まだ理解もなく偏見が残っていた。出世できないから、外資にフェード・アウトしたと同期から陰口をたたかれながらも、着実に仕事をこなし、M&Aのノウハウを身につけていく。CP部門マネー・マーケット部門が突然閉鎖されると、所属していた職員は年配のベテランからハーバードでMBAをとった新人までいっせいに解雇される。能力だけでない運も必要である。桂木は誠実に仕事をすすめ、バブル景気に浮かれるジャパン・マネーの追い風も手伝い順調に出世の階段を登っていく。
しかし、なにかが心にしこりが残る。大学時代の恩師の「君たちが勉強するのは社会に貢献するためだ。自分の判断は、社会に役に立つものか考えて欲しい。そして日本のために尽くすしてほしい」という祈りのような言葉を決して忘れることはなかった。やがてバブルが崩壊し、日本経済は出口の見えない暗黒時代を迎える。

桂木とは対照的な人物として登場する竜神宗一。中央大学を卒業し、縁故で山一證券に入社するもソロモン・ブラザーズ東京支店に移る。トレーディングでも麻雀でも美しく大きく勝つことを流儀とする竜神は、裁定取引で巨額な富を築く。いまだ未成熟だった当時の日本の市場は、儲ける機会は多い。儲けが薄くても確実に儲かるところに途方もない金額を注ぎ込む。価格の歪みが修正されて、市場があるべき姿に戻るconvergenceは、裁定取引者にとって天地創造のような出来事である。彼は、宇宙を支配し、豊饒なる果実を摘み取る。それは莫大な収益を会社にもたらすことである。やがて時代も変わり市場も洗練されるにつれ、裁定取引が成立する機会も減り、竜神は巨万の富を築いて若くして引退する。

そして桂木の友人になるファースト・スイス証券東京支店資本市場部ディレクターの藤崎清司。几帳面で最もロマンチストであると私には思える彼は、資産を貯えてヘッジファンドを設立する。

実名と実在する企業を一部織り込みながら、1980年代から金融の歴史を振り返りながら金融商品の説明を巧みに紹介している本書は、ビジネスマンお薦めである。ともすれば日本企業対外資、同じ外資の中でも狩猟民族である欧米人に対する日本人、投資銀行と商業銀行の単純な対比におちいりがちだが、それも上下巻かなりの長編に収めるためにはやむをえないかもしれない。バブル時代、その崩壊後、日本の銀行はどう戦ったのか。不毛なビジネスに精をだし、脚のひっぱりあいにエネルギーを費やしていたかに見える日本の銀行。経済小説の賞味期限は短い。文庫本化する頃には、すでに鮮度は落ちている。しかしこのように過去を検証しつつ現代につながる四半世紀の経済史的側面をもつ小説は、地味ではあるが時間経過とともに陳腐化することのない格好の金融経済史でもある。

最も印象に残るエピソードは、やはり12章のナイジェリアの炎であろう。1995年ケン・サロ=ウィワをはじめとする少数民族活動家を、当時のナイジェリア軍事政権は国際的批判をしりぞけ処刑する。しかし、ナイジェリアに対する制裁は発動されずに、米系石油会社の株と債権は予定どおり発行されることになった。
「9人の命や世界の片隅の小さな正義より、ナイジェリアの石油の方が重かった」
こう喝破したヘイヤーは、その後引退して船乗りに戻っていく。