JRホテルは岬の先端近く、絶好の景勝地にある。「谷崎(たんざき)鼻」の灯台まで日の出の少し後に向かった。
雲の多い夜明けだったが、赤く染まる岩場↓
磯には釣り師の姿が見えた。
磯まで降りるのはちょっと急なコンクリートの階段↓
坂を上ってホテルに戻り朝食
山側の部屋の眺望も、海側に劣らない。モッチョム岳の岩肌をながめていたら、むこうから雨のカーテンがやってくるのがはっきり見えた↓
しばらく雨を降らせて、虹を残して去ってゆく↓ なんだか、ハワイを思い出していた(ほんと)
**島の南端のJRホテルから、北東岸に位置する宮之浦までほんの一時間ほど。
文化センターで「里めぐり」ガイドさんにお会いした。元新聞記者の長井さんは実に博識。「里めぐり」と言う牧歌的な響きではなく、屋久島を俯瞰する話もたっぷりきかせていただいた↓
下の写真は益救(やく)神社の境内入口
↓この社は10世紀には記録に出てくる、屋久島でいちばんの神社である。昭和20年七月にアメリカ軍の爆撃をうけて焼失し、現在のモノは昭和29年の再建だが↓
奉納された手水は砂岩でできている。島にある花崗岩の方が高級だと思ったが、島では珍しい砂岩を使う方がありがたかったのだそうである↓
小さな祠のとなりに亀の様な石が祭られていた↓
↑これは花崗岩が山から流れてくるとき、自然にこのようになった「亀石」で、集めている人もいるとか↑
ぼろぼろになった砂岩の「仁王」↓明治維新の廃仏毀釈で壊され・埋められていたものを発掘・復元した↓
南方的な巨大「あこう」の木も↓
境内を出て村を歩き出す。巨大な木材が家の前に無造作に積み上げられている↓
これが、「土埋木」↑ 江戸時代に杉を切り出した時の残りの部分。当時、根に近い部分は木目がそろっていなかったので、残して切り出していた。いまでも森の中に入ると、たくさんの苔むした切り株に出会う↓※下の写真はベルテンポ・トラベルの高萩さん 後ろの巨大な切り株、ごらんください↓
こういった「土埋木」は、現在でも年二回切り出されたものを安房で選別し、セリをおこなっているのだそうだ↓下はその時の写真↓左奥に積み上げられたもっとも状態の良いものは、内地の業者に高く買い取られていき、手前のものを島内でセリにかけるそうな↓
宮之浦にはかつて松並木があったが、今残されているのはこれだけ↓みんな松くい虫にやられたのだとか↓
この松の向こうに見える建物、今は廃業したホテル↓内部の一室には、ウィルソン(屋久杉を世間に知らしめるきっかけをつくったアメリカ人)が滞在していた屋久杉の木目がはりめぐらされた部屋があるのだそうだが、見せてはもらえない・・・残念↓
宮之浦川に昭和五年はじめてかかった橋↓
島民から森の所有権を奪った林野庁が、いわば懐柔策にと建設を約束した島の周回道路のひとつとしてつくられた。そうか、昭和になるまで、島をぐるりとまわる道はなかったのだ。まるで、江戸幕府が民衆を分断して支配していたように↓下の写真は橋ができた時の「渡り初め」↓
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通りかかったくるまが止まって、ガイドさんに声をかける。彼女も里めぐりガイドをしているという方。つくったばかりの、まだ温かい紫いものでんぷんお菓子をくださった→ 見た目も、味も、屋久島の忘れられない印象になってゆく↓
↓三叉路におかれた「石敢当(せっかんとう)」は、南の島に見られるどくとくのもの↓
このあたりは昔の雰囲気が感じられる道↓
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島の仏教は、明治になるまですべて「法華経」、つまり日蓮宗だった。丘の上に位置する久本寺は、15世紀末に京都は本願寺からやってきた日増(にっそう)という僧によってはじまった。鳴動する山を祈りにより鎮めたことにより、島中が法華経に改宗したのだそうだ。現在の場所は移転されている。墓も移転されているが、いちばん奥に「旦那墓」とよばれる、薩摩藩が派遣した代官の墓がまとめられている↓
屋久島の墓は、鹿児島県らしく、どこもとてもきれいに掃除され、生き生きとした花が手向けられていた。
寺から降りてきて、見覚えのある建物に出会った↓「ヤクニク」とは、屋久島の鹿肉を販売している唯一の業者であるそうな↓この建物の裏で解体もやっているそうな。ネットで見つけて、この旅の行程に入れるか、ちょっと考えた、が、やめときました↓
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「里めぐり」を文化センターで終えて、屋久島のモデルをつかっての説明をうける↓
天井から下がっている水色の球は何を表す?それは、降水量。雨が多い屋久島のなかでも、もっともよく降ったのが、かつて小杉谷集落のあった山の中↑上で水玉が模型にくっつきそうなほど降りてきています↓
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さて、屋久杉の森を比較的楽にみられるもうひとつの場所「白谷雲水峡」へも行っておこう↓
公共のバスは一日三本ほどしかないから、やはりこの島をめぐるのはチャーターバスかレンタカーが便利だ↓
入場してしばらく、下の写真のような川べりを歩いていく↓
しばらく歩いたが、見えてくる景色がそれほど変わらないと思った。奥の奥にいけば「もののけ姫」のモデルになったといわれる苔むした森があるそうだが、そこまではかなり遠い。一時間ほどでもどってきた。車で海岸へ降りてゆく道から、宮之浦がきれいに見えた↓
空港へ行く前に、「あ、開いている!」と車をもどして寄ったのがこの押し寿司の店。以前、案内してくれたバスガイドさんの友人のお母さまがやっているとのこと。飛行機で食べることにした↓
注文したからつくるのでしばらく待つ。お茶とあんのんイモの焼き芋をだしてくださった↓
飛行場へつくと、昨夜夕食を一緒にした空港に務める方がサプライズを用意してくださっていた。
あ、お寿司の後にデザートでいただきます(^.^)
搭乗
夕暮れに開聞岳と池田湖がくっきり見える↓
そして、デザートに、VITA特製の手作りプリン!↓
三月と四月の本番にて、お会いいたしましょう!