今回の《手造の旅》の催行を最終的に決断したのは、このホテルの部屋が予約できたから。マチュピチュ遺跡の入り口にただ一軒建ち、三十室しかない
**まず、朝の出発は「聖なる谷」のユカイ村にあるカソナホテルから
庭の植物もとてもよく手入れされている

四葉のクローバーを二つも見つけた方があった
門を出るとすぐユカイ村の中心、大きな木が立っている。村の簡単な地図がホテルに用意してあって、ちょっと散策するのに役立つ。
バスで出発、となりのオリャンタイタンボ村
車窓からちょっと歩いてみたくなる道が見えるが、直接駅へむかう。
往路はビスタ・ドーム号を利用
ひとりひとりパスポートとチケットの名前を照合してからホームに入れてくれる
スカーフ売りのおねえさん
青いの、12ドルは10ドルになりました(^^)
**
車内の座席はこんな感じ
コーヒーとお菓子がサービスされる
並走するウルバンバ川の対岸には削り取られたインカ道が見える
途中の駅からは、このインカ道のトレッキングルートがあり、マチュピチュ遺跡までテント三泊の行程だとか。ここがスタート
マチュピチュ村(旧アグア・カリエンテス)に到着
今度は乗合バスで遺跡を目指す
ジグザグにのぼってゆくとだんだんと狭い渓谷が見下ろせる高さになってきた
途中、新しい崖崩れの跡が見える。やはりこういう事は起こるのです
ぼんぼんよく揺れるバスは三十分弱で遺跡の入り口到着。左に見える建物が本日宿泊のベルモントホテル・サンクチュアリー・ロッジであります
時刻はまだ11時半。まずは手荷物を預かってもらい二階の宿泊者専用のテラスでダイニングの開くのをまつ。

雲が時折太陽をさえぎってくれるのが嬉しい暑さ。
ここは標高2400mだが亜熱帯なのでこの時期でもけっこう暑くて湿気もある。
こちら宿泊者専用のダイニングが正午にオープン
アラカルトでゆっくり、いただきます。
●セビーチェ
マスをつかっている。先日ナスカからの帰路に食べたものとは全然違う。赤いお芋が甘い(^^)
●マスのバーガー
これがかなりおいしかったそうな。
●チッチャローン・デ・チャンチョ(Chicharron de Chancho)は、いわばポークの唐揚げ
どれもさすがのお味でした。
食事のあと13時半にチェックイン


・・・午後二時半、観光客が少なくなってくるころを見計らって、ホテルを出てすぐのマチュピチュ遺跡に入場!
入ってすぐに19011年の「発見者」アメリカ人ハイラム・ビンガムを記念したプレートが掲げられている
実際にはビンガム以前にもこの遺跡を訪れた欧米人はいたのが分かっていて、その先人の署名を削るような所業もしているビンガムだが、西欧社会にマチュピチュ遺跡の存在を知らしめたことで「発見者」として認知されている。
「あの」風景が見える見晴らし台までは少々登りが続く。雨がぱらついているが、日差しがきついよりもよいのかもしれない
そして、「あの」風景が眼前に広がった時には陽が射してきた(^^)

山の間にちょうどよくこんな盆地があったと思われそうだが、違った。
隠された伝説の都市遺跡は、山と山の間の土地を埋めたてて平らにしたところに建設されたのだとガイドさんに断面図を見せてもらってびっくり
ところどころにもともとの岩盤がその斜面をあらわしている
ただ土を埋め立てるのではなく、雨水が効率よく地面に吸収されてゆくように材料を選んである。内部には水路も埋め込んであるのがわかる

「太陽の神殿」は、先日クスコで見たものと同じかたちをした小型版だ
この神殿の地下の部分が埋葬所になっている事はしらなかった
奥の壁龕には王のミイラを安置したのではないかと言われている。
手前の石に初期の訪問者が書き残した名前が見える
頂上付近まで上がってゆくと、南十字星の形に削られた石
なるほど頂上が南を指している。
遺跡クローズの午後五時少し前、沈みゆく太陽にフランス人のスピリチュアルな団体が夕日からパワーをもらっていた?つられて我々の何人かも同じポーズを…
この時間になると、ほとんどの団体はバスで下の村へ降りてしまっている。遺跡を見学するのにはやはりこのぐらいのコンディションであってほしいもの
遺跡の出口には、ここでしか押せないスタンプが置いてある。

「わたしのなまえはきむらたくーや」と、いきなり話しかけてきた物売り
そのごもいろんな名前出して我々を感心させます。で、何人もハガキをお買い上げ。物売りも勉強しとくといいことあります(^^)
****
マチュピチュ遺跡すぐにあるベルモントホテル、夜になると他にホテルはないから静かな空間になる。なんせ一泊一室1200ドル以上はするから、滞在している人もそれなりの方々ばかり。
昼間、少し休憩していたテラス庭には天体望遠鏡を設置して、解説してくれる方がいる
月のすぐ右に見えている明るい星は?「ジュピター」
覗かせてもらうと、たしかに縞縞模様が見えました。
月はこんなふうに
*****
19時にダイニングへ降りてゆく。今日もアラカルトで、さぁ、何たべましょ(^^)
全員へのアミューズは帆立貝
前菜の一つにフォアグラがあったので注文してみると、缶詰でないふわふわしたホンモノの味で出てきた
こちらはアルパカのステーキ
赤みがサクッとしております。
音楽も入って、サンクチュアリー・ロッジの夜はふけてゆく
・・・明日朝は、いよいよ一日限定四百人のワイナピチュ山への登山です。

**まず、朝の出発は「聖なる谷」のユカイ村にあるカソナホテルから



四葉のクローバーを二つも見つけた方があった

門を出るとすぐユカイ村の中心、大きな木が立っている。村の簡単な地図がホテルに用意してあって、ちょっと散策するのに役立つ。
バスで出発、となりのオリャンタイタンボ村

往路はビスタ・ドーム号を利用


スカーフ売りのおねえさん

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車内の座席はこんな感じ



並走するウルバンバ川の対岸には削り取られたインカ道が見える

途中の駅からは、このインカ道のトレッキングルートがあり、マチュピチュ遺跡までテント三泊の行程だとか。ここがスタート

マチュピチュ村(旧アグア・カリエンテス)に到着




ぼんぼんよく揺れるバスは三十分弱で遺跡の入り口到着。左に見える建物が本日宿泊のベルモントホテル・サンクチュアリー・ロッジであります

時刻はまだ11時半。まずは手荷物を預かってもらい二階の宿泊者専用のテラスでダイニングの開くのをまつ。

雲が時折太陽をさえぎってくれるのが嬉しい暑さ。
ここは標高2400mだが亜熱帯なのでこの時期でもけっこう暑くて湿気もある。
こちら宿泊者専用のダイニングが正午にオープン

●セビーチェ

●マスのバーガー

●チッチャローン・デ・チャンチョ(Chicharron de Chancho)は、いわばポークの唐揚げ

どれもさすがのお味でした。
食事のあと13時半にチェックイン



・・・午後二時半、観光客が少なくなってくるころを見計らって、ホテルを出てすぐのマチュピチュ遺跡に入場!
入ってすぐに19011年の「発見者」アメリカ人ハイラム・ビンガムを記念したプレートが掲げられている

実際にはビンガム以前にもこの遺跡を訪れた欧米人はいたのが分かっていて、その先人の署名を削るような所業もしているビンガムだが、西欧社会にマチュピチュ遺跡の存在を知らしめたことで「発見者」として認知されている。
「あの」風景が見える見晴らし台までは少々登りが続く。雨がぱらついているが、日差しがきついよりもよいのかもしれない


山の間にちょうどよくこんな盆地があったと思われそうだが、違った。
隠された伝説の都市遺跡は、山と山の間の土地を埋めたてて平らにしたところに建設されたのだとガイドさんに断面図を見せてもらってびっくり

ところどころにもともとの岩盤がその斜面をあらわしている

ただ土を埋め立てるのではなく、雨水が効率よく地面に吸収されてゆくように材料を選んである。内部には水路も埋め込んであるのがわかる


「太陽の神殿」は、先日クスコで見たものと同じかたちをした小型版だ

この神殿の地下の部分が埋葬所になっている事はしらなかった

手前の石に初期の訪問者が書き残した名前が見える

頂上付近まで上がってゆくと、南十字星の形に削られた石

遺跡クローズの午後五時少し前、沈みゆく太陽にフランス人のスピリチュアルな団体が夕日からパワーをもらっていた?つられて我々の何人かも同じポーズを…

この時間になると、ほとんどの団体はバスで下の村へ降りてしまっている。遺跡を見学するのにはやはりこのぐらいのコンディションであってほしいもの

遺跡の出口には、ここでしか押せないスタンプが置いてある。

「わたしのなまえはきむらたくーや」と、いきなり話しかけてきた物売り

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マチュピチュ遺跡すぐにあるベルモントホテル、夜になると他にホテルはないから静かな空間になる。なんせ一泊一室1200ドル以上はするから、滞在している人もそれなりの方々ばかり。
昼間、少し休憩していたテラス庭には天体望遠鏡を設置して、解説してくれる方がいる


覗かせてもらうと、たしかに縞縞模様が見えました。
月はこんなふうに

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19時にダイニングへ降りてゆく。今日もアラカルトで、さぁ、何たべましょ(^^)
全員へのアミューズは帆立貝



音楽も入って、サンクチュアリー・ロッジの夜はふけてゆく

・・・明日朝は、いよいよ一日限定四百人のワイナピチュ山への登山です。