旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ハイランドの首都~インヴァネス

2017-08-22 12:00:09 | イギリス

スコットランドは、ハイランドとローランドに分かれている。エジンバラやグラスゴーといった大都市はローランド。第三の都市アバディーンもローランド。ハイランドは北西部、ヘブリディーズ諸島を含み、荒々しい自然の中、交通も不便な一帯である。しかし、もっともスコットランドらしさがあるのはハイランドだとスコットランド人が言う。


ハイランドの「首都」とされているのがインヴァネス。人口は近年増えたとはいっても10万に届かない。観光都市になっても落ち着いた佇まいが保たれている。


キングス・ミルズ・ホテルから出発旧市街ど真ん中とはいかないが、町まで歩ける距離。中庭があって部屋の施設も悪くない


市内を流れているのはネス川。あのネス湖が北海へ流れてゆく河口から少しだけ上がった位置にある↓ 川向うに見えているのは19世紀に建設された大聖堂。



↑上の風景は、対岸のこの城がある場所からのもの↓



現在の建物は19世紀に再建されたもので、役所・裁判所になっている。前に立つ像はフローラ・マクドナルド。彼女は1746年カローデンの戦い(イギリスからの独立のための最後の戦いだった)で敗走してきた「ジャコバイト(名誉革命でオランダからやってきたウィリアム王を認めず、議会に追放されたジェームズ王(=ラテン表記でジャコブ)の血統を正しいとした)」の大将、ボニー・プリンスを、自身の出身地であるスカイ島へ導きフランスへ亡命させたという人。ハンサムだったというボニー・プリンスとの恋もあったのか、彼の落ち延びた先を見ているのだ↑


この戦争で破壊され、二百年以上も廃墟だった城。再建時に残っていた石材は再利用しているので、一部はがらりと色がちがう。


↓同じ地元のタラデール砂岩をつかっても年月は色を変える↓



坂を下ってゆくと、市庁舎の建物が修復中↓こちらも同じタラデール砂岩だが、新しいとこんなに白いのか↓


はめ込まれた紋章↓左はラクダ?右はゾウ↓



道を挟んで向かい側に、かつてはここで入市税を徴収していた門塔↓



昔城壁のあった場所を過ぎて、橋をわたってゆく↓



↑19世紀のマンション群。


↓振り返るとさっきのお城↓



大聖堂への道案内表示↓上がゲール語、下が英語となっている↓ハイランドの僻地へ行けば、いまでもゲール語で生活しているひとがいるのだそうだ↓



地方独自の言語は、近年どこの国でも復活させようという機運がある。学校で必修事業にし、地元の放送局はその言語で番組をつくる。


大聖堂入口↓



中にあったこの胸像の司教=ロバート・イーデン氏がが奔走して資金を集め、この教会が完成した↓



いや、実は完成していなくて…彼のもともとのプランでは尖塔がつく予定だったのだそうだが、ない。


当時の「完成予想図」が壁にかけられている↓



**


インヴァネスからネス湖の湖畔をドライブして、逆側のフォート・オーガスタまで向かう↓


ネッシーはいずこ、売店にはたくさんいるけれど


ネス湖は19世紀はじめに建設された★カレドニア運河の一部である。



これは北海と大西洋の間を安全に航行するため、1799年に国家事業として計画され1803年トマス・テルフォードが着工二十七の水門を使って細長い湖まで船を上げ下げする仕組み。フォート・オーガスタでその水門を船が行き来するのを見られた↓



★トマス・テルフォードの名前は、昨年の《手造の旅》ウェールズで何度も出てきたのでよく覚えていた。1779年に世界で初めての鉄の橋=世界遺産「アイロン・ブリッジ」や、船が石橋を渡るこちらも世界遺産の「ポンテカサステ水道橋」1805年、コンウィ城からかかる橋など、現代の目から見ても価値がある仕事をたくさん遺している。※こちらから昨年訪れた時の日記をみていただけます



トマス・テルフォード、これからもお目にかかりそうな人物


**ネス湖クルーズは一時間ほど、湖水はこんなウィスキー色↓




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ダフタウンとスコッチ・ウィ... | トップ | アイリーン・ドナン城からア... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。