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旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ルオストの凍った湖の上でオーロラ

2017-02-13 23:12:56 | フィンランド

凍った湖の上、午後八時過ぎ。昨夜よりずっと晴れている。 昨夜もオーロラは出ていたが、雲があって、こんな感じにしか撮れなかった↓

※オーロラというのは、高度十万メートル付近で起こる現象。これは気象現象の起きる高さの十倍ぐらいの高度である。

今夜は良いコンディション。北の地平線に白い光が動いている。午後十時ごろ、こんな瞬間がやってきた↓

***メール通信「人生のオーロラは見えたか その2」***

 

オーロラツアーへ参加した人は、帰国後周囲から必ず「見えた?」と訊かれる。

その時、「ほら、こんなふうに」と、誇らしげに見せられる写真がほしい。ですよね?

 今回も、こんなふうにオーロラは出た。

しかし、密かに知っておいてほしいことがある。 オーロラはけっして写真と同じように見えていたわけではない。オーロラの写真は現実よりもカラフルに撮れる傾向がある。

実際にその場で見ていた人は「ここまで緑色のひらひらではなかった」と必ず言う。

 

オーロラ待ちをしている時北の空に光が見えたら、カメラで撮影してみるとよい。

肉眼では白いだけの光でも、それがオーロラなら写真には薄い緑色に写るはずだ。

 

某カメラ会社でレンズを設計している友人に、そのあたりの事を質問してみた。

「どうして、オーロラは見たままに撮れないのでしょう?」

ちなみに、彼はオーロラを実際には見ておりません。

 

曰く

「人が見ているオーロラってスゴク地味なんだそうです。 見た目を再現すると苦労して見に行ったのにつまらない絵(写真)が撮れてしまうのだそうです。 記憶色≠記録色の典型です。」

 

なるほどこれが、ひとつの結論だろう。

通常、カメラは正直に「記録色」の写真を撮る。カメラの製作者も「そのまま(記録色)」に撮れるカメラを目指す。しかし、オーロラの光は特殊なので、一般の光を「そのまま(記録色)」にとれるレンズでも、オーロラだけは「撮れてほしい(記憶色)」に撮れてしまうのだ。なんて素敵な偶然。

 

オーロラが、「そのまま(記録色)」に撮れてしまうカメラがあったとしたら、それは撮影者を失望させる。それよりも「撮れてほしい(記憶色)」写真になる方が喜ばれる。

ソメイヨシノの花は「そのまま(記録色)」の写真だとほとんど白でしかないけれど、印刷物にするときには、ちょっとピンクを強くするほうが「本物らしい」と感じてもらえるのだそうだ。

 

これは「騙されている」のだろうか?

小松はそうは思わない。現実の世界すべてに共通する事柄だ。

実際に起きている事実よりも、自分自身が感じる現実の方が重要。写真であれ報道であれ、自分自身が見たいと思う現実を喜ぶのがあたりまえ。「多くの人は見たい現実しか見ない」と言った人があったが、それは幸せに生きるためのひとつの方法ではないだろうか。

 

冷静に事実を判断できる能力は、優秀ではある。しかし、自分が見たいと思う現実に喜べる人の方が、幸せに生きられる。

 

我々が「よく撮れた写真」と思って喜ぶのは、「見たかったように撮れている写真」である。

けっして「見たまま(真実が)撮れている」ものではない。

「真実はこちらだった」と、つまらない写真を選んで生きる必要はない。

 

人生も同じ。

「真実はどうなのか?」と冷めた目で追及する人よりも、「なんと美しい夜だったのだろう」と、うっとりと記憶をたどれる人の方が、幸せに生きていける。幸せに死ぬことができる。

 

オーロラを、旅を、人生を、その事実がどうであったかを冷静に鑑定する必要はない。重要なのは、自分自身がそれを「美しいものだった」と感じられる心である。

 


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