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旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

カルタゴ遺跡の軍港

2019-03-10 13:00:00 | チュニジア
ここは釣堀ではない↓

紀元前二世紀、古代カルタゴの港だった入り江。

第三次ポエニ戦争の最終局面、古代カルタゴはBC149年から146年にかけて三年にわたる籠城戦を戦った。
外からの救援物資はこの港へ入った。塩野七生さんの「ローマ人の物語」第二巻にある港の地図↓

グーグルマップを拡大してみると、上の古代の地形と同じものが見えてきて驚いた↓

二千百年以上ものこされていたのかしらん…これはぜひ見てみたい…だが、実際に来てみるとぱっと見釣堀みたいだったというわけだ。
↓地図上の左、円形の軍港のほうはもう少し古代の雰囲気を感じられる↓

中央にあった軍船のドックだったとされる場所


開けてもらった小さな部屋に模型があった↓

↓ああ、なるほどこんな風にカルタゴの軍船が待機していたのか



塩野さんの地図にあるように、ローマ側は救援物資を入れさせないために堤を築いた。

カルタゴがそうはさせじと軍港からそのまま出られるように切り開いた港の出口が今もみられる↓


カルタゴの陥落から百年後、カエサルはカルタゴを都市として復活させることを決定した。
かつての軍港は円形のフォロとして復活した。
↓その復元模型

↓中央に実際に発掘された場所が見られる


ガイドさんによると、ここはイギリスの発掘チームが復元したのだそうだ。
現代イギリスの知識層はローマへの憧れが強く、伝説を目に見られるように復元するということを発掘の最終過程でよくやった。この港も、もしかしたら18世紀あたりには地形からしてちがっていたかもしれない。

前出の模型二つは、ロンドンからの寄付でつくられたというプレートがはまっていた↓












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