旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

トロワ街歩き~ローマ時代の名残、大聖堂

2023-02-09 15:53:13 | フランス
トロワ旧市街はシャンパンのコルクのカタチをしている。


キノコ型の部分にローマの街アウグストボナがあった。

↑現在のパリ=上の地図のルテシアはセーヌ川でアウグストボナ=現在のトロワとつながっている。

ローマ帝国時代の南北直線道路(=カルド)と東西直線道路(=デクマヌス)

ローマ街道に沿って建てられた教会群。
中世13世紀に建設がはじまった現在の大聖堂もその一角に位置している。

つまり、地下にはローマ時代の遺構がねむっている。

Muse saint-Loup博物館には↑地下に下りる階段があって↑

↑発掘された様子をそのまま見ることができる。

↑壺に満載された貨幣は紀元後二世紀ごろ=ガリア帝国として一時的にローマ帝国から独立していた時代のものと推察されている。

↑貴重な青銅のアポロ像は紀元後一世紀ごろ?

Loup博物館は自然史からはじまって石器時代から現代までを俯瞰している。


今回はローマと中世のセクションをざっと見ただけで時間切れだった。

↑トロワ大聖堂は正面右側にも塔が建設される予定だったが財力がつづかなかった。

↑壁には1429年にジャンヌ・ダルクがシャルル七世を奉じて短期間滞在していたことを示すプレート↑

↑トロワでもっとも壮大な教会

バラ窓も見事↑

13世紀に遡るステンドグラスもある、ということは、シャルトル大聖堂のステンドグラスと同時期のものもあるということか。

大聖堂見学でいちばん驚かされたのはしかし↓ステンドグラスではなく象牙の小箱だった↓

↑ひと目で正倉院宝物の鳳凰を思い出した↓※下は正倉院に伝わるペルシャからとおぼしき布をモチーフに、現代日本で織られたもの



↑同じ小箱の側面に刻まれた狩りの図を見て、ロンドンの大英博物館のハイライトのひとつ「古代アッシリアのライオン狩り浮彫」を思い出す↓



この象牙の小箱はコンスタンチノープル(現イスタンブール)から、1204年の第四回十字軍でもたらされたと解説。
当時のコンスタンチノープルは東ローマ帝国の首都。
古代アッシリアの現イラク北部も領有していたから、この象牙の浮彫を制作した職人は見たことがあったのかも…などと妄想する。


↑絹と金糸でつくられたこれは何?
↑腰に下げていた「財布」で、貧者に施すための銭が入れられていたのだそうな。
※マドレーヌ教会のステンドグラスで赤いこんな財布をさげた金持ちがえがかれていた


↑このケースには聖人「クレルボーのベルナルド」の遺骨が収められている。
彼は1146年に第二回十字軍への参加演説をした。
シャンパーニュ伯爵アンリ一世はまっさきに参加を表明。
その息子チボー三世は第四回十字軍に参加するはずだったがトロワで急死している。
フランス中部の諸侯は十字軍とのかかわりが深い。

ベルナルドの遺骨は彼が創設したクレルボーの修道院にあったが、フランス革命動乱で廃止され1792年この大聖堂に移された。
象牙の小箱も元は別の場所にあったものがフランス革命期にここへ移されたと思われる。
大破壊の時代をのりこえてここで見ることができることに感謝。


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