旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

アヴィニョン到着、翌朝歩きはじめる

2023-02-11 09:14:03 | フランス
有名なアビニョンの橋は途中で壊れたままになっている。

2023年2月10日、暗くなる前に「オクシタン」地区に入った。

今は南仏方言となったオック語を話すエリア、という意味。

アビニョンの城壁そばのホテルにチェックイン。

翌朝、ガイドさんと共に

城壁の中、旧法皇庁宮殿まで伸びる並木道を歩く

このリパブリック通りがアヴィニョンの目抜き通り。まっすぐな通りは革命後に建設されたのだろう。

途中にある作家フレデリック・ミストラルの胸像↓

「ミストラル」というと冬にこの地域に吹く強風のこともそういうが、
オック語もつかって文学作品を発表した郷土作家も同じ名前。

市庁舎↑その向こうに14世紀からの時計台↓

動かなくなって久しいようです。

↑ローマ法皇庁が「アヴィニョンの虜囚」だった時代に建設されていった宮殿。
1309年に、当時治安が悪かったローマ周辺から護るという口実でアヴィニヨンにつれてこられた法皇。
アヴィニョンはローヌ川に面した国境の片田舎だったが、
その後七十年のあいだにこんな法皇宮殿が建設され、発展した。
現在でも夏の演劇祭が行われる文化芸能の街になっているのはこの時代があったおかげ。

向かっていちばん左にみえる「ドンの聖母」教会へ

入ってすぐのロマネスクのフレスコ画がある空間が中世の雰囲気を留めている。


↑身廊部分はだいぶ新しい雰囲気。
アヴィニョンの発祥、ローヌ川をみおろす「ドンの岩山」に登る
冒頭の「アビニョンの橋」が見えた。

大河ローヌを渡る橋はずっと求められてきたが建設が困難だった。
12世紀に羊飼いのベネゼが「神のお告げ」をうけ、衆目の中巨石を動かして橋の建設がスタートした。
この時の橋はしかし、現在みるようなものではなく川の中に立てた石に板を渡した程度のものだった※2004年に橋博物館のイヤフォンガイドをきいたときの日記にリンクします2004年には三回もアヴィニョンに来ていたっけ。

↑橋の下の中州で踊る人々の写真↑演劇祭の時に撮影されたもの



↑教皇庁の建物に入ろう
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